ひさかたのおと(1) [作]石井明日香
気持ちのいい風と波の音。ページをめくるたびに、それらが胸いっぱいに広がり、心が軽やかになる。豊かな自然の島を舞台に、穏やかでちょっと不思議な日々の暮らしを体感させてくれる作品だ。
主人公は都会から移り住んできた男。到着するなり、理屈で説明できない奇妙な現象に次々遭遇し、とまどう。しかし島の人間にとっては普通のことのようだ。人と自然の距離が近く、古(いにしえ)の伝承が生活に根づいているここでは、いつも何か人知を超えたものの気配が満ちている。物語は、理屈と常識に縛られた彼の心が、濃密な自然の息づかいの中で徐々に解き放たれていくさまを追っていく。
アニミズム的な自然観を描く作品は、妖怪や神様などのキャラクターに頼ることが多い。しかしこの作品は、風や水や霧などの自然現象をそのままに描き、しかも何ものかの存在をそこに感じさせようとする。わかりやすい戯画化を極力避けて、現象や体感そのものを描いていく。画力あってこそ可能な表現だろう。その結果、読者も自分の感性で同じ現象を受けとめ、追体験していくことになる。
このみずみずしい世界を、登場人物たちとともに呼吸することが、とても心地よい。=朝日新聞2018年2月11日掲載