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ル・グウィンの世界 日常に冒険見つける魔法の眼

 北のほうからとてつもない寒気団がやってきた冬のさなか、アーシュラ・K・ル・グウィンの訃報(ふほう)を聞いた。今年は〈ゲド戦記〉第1巻『影との戦い』(1968年)がアメリカで刊行されてから、ちょうど半世紀。いっぷう変わったファンタジーだった。
 舞台は、群島からなる異世界アースシー。のちに大魔法使いとなるゲドの少年期を描いている。魔法の才能に恵まれていたゲドは自信過剰なあまり言いつけに背き、禁断の魔法に手を染めてしまう。1巻は、その失敗と償いのお話だ。
 普通の英雄の冒険譚(ぼうけんたん)と違って、地味なストーリーだが心に沁(し)みる。誰もが陥りがちな人生の落とし穴の話なのだ。自分のバカさ加減で招いた失敗を、自分の弱さとともに認めて償うには、おそらくヒーロー以上の強さが必要。それを悟ったゲドは、弱さを認める強さを武器に、アースシーの闇と向き合い、それを是正する旅へと身を委ねる。

わたしは男です

 ル・グウィンはなぜこんな魔法使いを描いたのか。父はアメリカの文化人類学の基礎を築いた伝説的な学者アルフレッド・クローバー、母も有名な作家シオドラ。自身も名門校出身者で文学的な才能をほしいままにし、学者の夫と有能な子供達に恵まれている。まさに非の打ち所のない作家だが、ただ一点、彼女は「女性」だった。
 『ファンタジーと言葉』(2004年)の中で、名エッセイストの彼女は「わたしは男です」と皮肉混じりに自己紹介している。この世は結局男を評価する基準しかないから、みんな男として評価されるし、女はその基準では二流の男なのよ、どんなすごい女でもね、とチクリと刺している。
 〈ゲド戦記〉が書き始められた当時、女性解放運動は全世界に広がり始めていた。性差別に反対するフェミニストとして、ル・グウィンは颯爽(さっそう)と『闇の左手』(1969年)というSF小説を書く。両性具有人の惑星を、男性使節ゲンリー・アイが訪ね、社会制度から生理現象まで性のシステムが全く異なる社会で暮らす。ゲンリーは穏やかで知的な男だが、そんな彼でも両性具有人と接する時、自らの性的な偏見に気づかざるを得ない。やがて、現地人との間に性差を超えた信頼関係を結ぶ。性差SFの最高峰と今でも讃(たた)えられているのは、優れた社会的洞察を、非常にうまく物語化できるからだ。
 政治哲学者マイケル・サンデルによって引用され注目された「オメラスから歩み去る人々」(1973年、浅倉久志訳、短編集『風の十二方位』〈ハヤカワ文庫SF・1231円〉に収録)も、そうした洞察力が発揮された代表的作品である。

勇気出して見て

 豊かで美しい国オメラスには、豊かさを支えるために犠牲者を閉じ込めている、という秘密があった。人々はそれを知りながら見ないふりをしている。どきりとするような短編だ。この世には、正すのが難しく、直視するのさえ憚(はばか)られる問題がたくさんある。ル・グウィンは、でも勇気を出してそれを見て、と励ましてくれる。
 我が国の優れた日本語の使い手である村上春樹が、この素晴らしい物語作家の童話を訳した。『空飛び猫』(1988年、講談社文庫・802円)はたまたま翼を持って生まれてしまった四匹の子猫のお話だ。猫世界の変わり者たちは、鳥のようには飛べないものの、翼によって自らの居場所を見つける。
 人生には確かに大冒険は必要だ。きっと一見何も起こりようもない日常にこそ、その秘密が埋もれているのだろう。それを発見できる魔法の眼(め)を、ル・グウィンは教えてくれた=朝日新聞2018年2月18日掲載