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前川喜平「面従腹背」書評 個人か国か せめぎ合う教育行政

評者: 齋藤純一 / 朝⽇新聞掲載:2018年07月14日
面従腹背 著者:前川 喜平 出版社:毎日新聞出版 ジャンル:政治・行政

ISBN: 9784620325149
発売⽇: 2018/06/27
サイズ: 19cm/235p

面従腹背 [著]前川喜平

 「面従」を続けていればたいていは「腹従」に変わっていく。まして官僚制の規律はそれを求めてもいる。その中で「腹背」の姿勢を貫き通すのは生半のことではない。
 本書を読むと、戦後の教育行政の現場では、「個から出発する思想」と「国家から出発する思想」とが激しくせめぎ合ってきたことが分かる。1947年に施行された教育基本法は明らかに前者に立脚しているが、岸政権から中曽根、森、安倍政権へと続く保守の系譜は、それを後者によって覆そうとしてきた。実際、2006年の改定によって、歴史の中で鍛えられてきた普遍的価値を重視する教育の指針は、伝統と文化を尊重する方向へと大きく傾いた。
 「個人の尊厳に基礎を置かない超越的な価値(国家、民族、伝統、共同体など)を認めたとたんに、個人の尊厳は際限なく掘り崩される危険に直面する」と著者は明言する。改定後の教育基本法はなおも「個人の尊厳」を重視し、「不当な支配」を排する原則を維持している。だが、それを切り崩そうとする動きは現に進行中であり、教育行政も教育の現場も政治的な介入や圧力に曝されている。
 本書を、たんに「腹背のすゝめ」として読むべきではないだろう。「腹背」はあくまで「腹背」。組織の論理に従わざるをえないという限界がある。組織の論理に縛られない、自由な意見の公表と交換をI・カントは「理性の公共的使用」と呼んだ。「腹背」や公益通報などの行動も、組織を超えて理性を使用する公共の議論によって支えられている面が多分にある。
 公務員は「全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」(憲法15条)。行政がその時々の政治権力によって曲げられないようにするためには、監視だけではなく連携も必要である。公務員は叩きやすい標的になってきたが、そうではない市民と行政の関係を築くことができるだろうか。
    ◇
 まえかわ・きへい 1955年生まれ。79年に文部省(現・文部科学省)入省。官房長、事務次官などを経て2017年退官。