1. HOME
  2. ひもとく
  3. 「アメリカの権力と文学」をひもとく 政治的危機がもたらす傑作

「アメリカの権力と文学」をひもとく 政治的危機がもたらす傑作

 歴史はくりかえす。

 19世紀半ば、共和党前身のホイッグ党はメキシコ戦争に反対だったにもかかわらず、同戦争の英雄ザカリー・テイラーを第12代大統領候補に押し上げた。投票経験もなく奴隷制の是非をめぐって緊張高まる南北問題への見識もない彼に対しては、ホイッグ党内にすら反感が高まったが、圧倒的人気ゆえに当選。しかし任期中に急死したため、その座を継いだ副大統領のミラード・フィルモアは南北問題にも日本開国にも足跡を残す。
 20世紀半ば、民主党のケネディ第35代大統領暗殺後に繰り上がったジョンソン大統領から政権奪還すべく、共和党が好戦的極右バリー・ゴールドウォーターを擁立したのも、同様だ。彼は米ソ冷戦期に共産主義の浸透を憂えたパラノイア(偏執狂転じては陰謀論者)であり、公民権法を転覆し、さらにはベトナム戦争への核兵器導入すら夢想し、党内の反発にもかかわらず大多数の支持を得た。結局惨敗を喫するも、彼に心酔するロナルド・レーガンは1980年代に第40代大統領に当選。トランプ第45代大統領の先史である。

陰謀理論の歴史

 歴史は愚行をくりかえす。

 軍事を優先し陰謀理論を貫く反知性主義が今に始まったものではないのは、バーバラ・タックマンが『愚行の世界史』(原著1984年)において、トロイア戦争からヴェトナム戦争までを先例に明かしたとおりだ。
 とはいえ、歴史的愚行は必ずしも文化的凋落(ちょうらく)を伴うわけではない。テイラーが当選した1850年代はアメリカ文学最初の黄金時代(アメリカンルネッサンス)となり、ホーソーンやメルヴィル、ストウなど、多くのロマン派作家が黒人奴隷制批判を刷り込んだ傑作を発表したし、他方ゴールドウォーター人気の1960年代にはヘラーやディック、ヴォネガットなど、同時代の現実が一枚岩ではなく多重の陰謀に支配されているというパラノイアの深層へ斬り込むブラックユーモア文学、さらには小説批判の小説(メタフィクション)が勃興した。当時のパラノイアの気分をつかむ一冊としては、トマス・ピンチョンが西海岸を舞台に、現実の表層を構成する国家権力と現実の暗部を操る秘密結社の対抗勢力が識別しがたく絡み合う陰謀論的構図を描き出した傑作長編『競売ナンバー49の叫び』(原著66年、志村正雄訳、ちくま文庫・972円)が絶好だろう。
 21世紀に入ると、9・11以後にイラク戦争を先導したジョージ・W・ブッシュ第43代大統領は我が国をも含む世界各国における嫌米気分を高揚させた。しかしまさにその渦中でフィリップ・ロスは高度な歴史改変小説『プロット・アゲンスト・アメリカ』(原著04年)を世に問う。そこでは1940年、反ユダヤ主義思想を持つ有名飛行家チャールズ・リンドバーグが第33代大統領となり、アメリカが日独伊との連携を深めていく全体主義化の恐怖が描かれる。

国境地帯の現実

 まったく同じ2004年、チリ出身のラテンアメリカ作家ロベルト・ボラーニョが実験精神の限りを尽くした巨大なる遺作『2666』が刊行された。北米自由貿易協定(NAFTA)以後、メキシコ最大の麻薬カルテルが謀略と暴虐の限りを尽くしているという国境地帯の危機を盛り込み、ナチス・ドイツのユダヤ人大虐殺の悪夢が甦(よみがえ)る問題作だ。この惨状に注目したボーダーランド物語は映画「悪の法則」など数多く、トランプ政権の謳(うた)うメキシコ国境の壁建設のひとつの動機を成す。
 新たな政治的危機の時代は遠くないだろう。しかしまさにそこから新たな文化的表現がもたらされる可能性は、決して低くない。その点でも、歴史はくりかえすのだから。=朝日新聞2016年12月11日掲載