1. HOME
  2. インタビュー
  3. 新作映画、もっと楽しむ
  4. 映画「SUNNY」大根仁監督に90年代コギャル文化を聞いてみた

映画「SUNNY」大根仁監督に90年代コギャル文化を聞いてみた

文:野波健祐、写真:有村蓮

――「SUNNY」は90年代に女子高生だったアラフォー女性が、かつて毎日つるんでいた仲間たちを一人ひとり探し出していく物語です。約20年前の近過去と現在の彼女たちの姿が交互に描かれます。90年代といえば、この1年の間に、安室奈美恵さんと小室哲哉さんが相次いで引退を表明したり、オウム真理教事件実行犯の死刑執行があったり、「平成」が終わることになったり、どこかあの時代を過去に追いやろうとするかのような出来事が続いています。まるで映画の公開に合わせたかのように、世の中が動いている気がするのですが……。

 もう、そういうことにしておきましょうか(笑)。平成が30年で終わるのも、安室さんと小室さんが引退するのも、オウムの死刑執行も、全部わかってました……というのは冗談ですけれども、一つだけ、安室さんを意識していたというのはあるんです。

――引退をですか?

 いえいえ(笑)。映画のリメークの話が出たのは、2012年に韓国版の「SUNNY」が大ヒットした直後ぐらいなんですが、韓国版は1980年代の民主化運動のなかで、女子高生が校則撤廃を求めたり、自分で着たい服を選んだり、初めて自主性を持ったという社会背景があって生まれた作品です。でも、それをそのまま日本に置き換えるのは無理がある。じゃあ、日本では何だろうと考えたとき、90年代にもっと強力なコギャルという世代がいたじゃないかと。そういえばコギャルのカリスマだった安室さんもいい年になるよね、だったら安室さんが40歳になるころにリメークするのがいいよねと、企画を寝かしていたんです。12年当時だと、まだコギャル世代が30代半ばだから、高校生の娘を持つには早かった。

©2018「SUNNY」製作委員会
©2018「SUNNY」製作委員会

「私たちは私たち、誰のものでもない」

――コギャルの何が「強力」だったんでしょうか。

 コギャルの登場って、バブルがはじけて日本社会がちょっと閉塞していく時期でした。そんななか、自ら考案した独自のファッションを生み出して、それが「私たちは私たち、誰のものでもない」という生きて行くための宣言のようにみえて、すごく頼もしいな、かっこいいなと。完全に大人をなめきっているような感じとか、いままで見たことのないムーブメントを目の当たりにしているなと思いましたね。

――80年代も女子大生ブームや男女雇用機会均等法の施行で、女性が元気だった印象があります。

 80年代のバブルの浮かれた気分のなかで出てきた女子大生ブームは、どちらかといえば男社会にぶらさがっている印象を持っていました。90年代はバブルがはじけて、なんとなく不安が漂ってはいましたけど、まだまだそこまで不景気でもなくて、CDがバカ売れしたりして、なんとなくの浮かれ気分が残っていた。世紀末パーティーのような時代の中で、コギャルたちは輝いていましたね。

©2018「SUNNY」製作委員会
©2018「SUNNY」製作委員会

――そんな輝きを持っていた女性たちが、20年ほど過ぎてみると必ずしも輝いていないというか、むしろ不幸な環境に置かれた状態で映画は始まります。そこから、女性たちが「誰のものでもない」自分の人生を取り戻していく過程が描かれている。

 いまのアラフォー世代を見ていると愛おしいというか、彼女たちが好きなんですね。いろんな経験をしてきた世代だし、分別がある。それぞれ、独身で働いていたり、専業主婦だったり、子供がいたりするんですが、見ていてたまらない気持ちになる。自分と同世代の女性たちがアラフォーだったときはそうは思わなかった。やっぱり、安室さんが40歳になるというのが、なぜだかわからないんですが、すごく特別なことのような感じがして。平成が終わるとかそこまでではないですが、一つの大きな時代の区切りのような気がするんです。

――彼女の「SWEET 19 BLUES」が印象的に使われているのもその思いからですか。

 あの曲は、この映画の企画の前からずっとひっかかっていた曲で。あの世代がアラサーのころから、一緒にカラオケに行くと、演歌のように歌い上げるんですよ。下手すると泣きながら。ある種のアンセム(特定の集団を代表する賛歌)のようになっている。当時の小室さんにも安室さんにも何かが降りてきているような曲ですね。映画で流れるほかの曲も、当時のコギャルがカラオケでよく歌っていたという基準で選んでいます。

コギャルのマインドまで再現

――90年代という近過去を映像にするのは、言うは簡単ですが……。

 大変でしたね~。まずコギャルって、制服を着せてルーズソックスはかせただけではコギャルにならない。茶髪にして、眉毛を抜いてみても、まだだめ。形の再現はできるけど、マインドというか中身の再現はできない。当時のコギャルのテンションというか、意味のないはっちゃけ感が生まれてこない。

――どうされたんですか。

 94年に都内の女子高生が映した貴重な映像を手にいれまして。休み時間に、ただギャアギャアしゃべっているだけの映像なんですけど。聞き役がいない状態で、「昨日の、『(ダウンタウンの)ごっつええ感じ』がすげえ面白かった」とかずっと騒いでいる。これをメーンのキャストにみせて、「これを再現してくれ」と。最初はわかんなかったようですよ。「なんでこの人たちこんなにテンション高いの?」「なんで誰も人の話を聞いてないんですか?」 とか、いっぱい質問が来ました。

――若いころは、箸が転んでもおかしい年頃はあると思うのですが……。

 一言でいえば、当時のコギャルってものすごい調子に乗ってたと思うんですよ。調子に乗るってすごい好きな言葉なんですけどね。いまの若い子たちは、あそこまで調子に乗るのが難しいですよね。コギャル世代って、空気を読まない世代だったと思うんです。会話一つとっても、いまだったら、必ずだれか聞き役がいますよね。

©2018「SUNNY」製作委員会
©2018「SUNNY」製作委員会

――コギャルと対照的に、90年代パートの主人公である広瀬すずさんが、あまりにも田舎者な感じがします。淡路島から都会の女子高に転校してきたという設定ですね。90年代は、80年代と比べても、地方と都会の格差がなくなってきたとも言われていました。

 すずさんって、めちゃくちゃかわいいんですよ。普通、あんな子が転校してきたら、大パニックになりますよね。まず、そう見せてはいけないという設定にする必要がありました。とことん田舎っぺというか、垢抜けてない子にする。それと、90年代はそれでもまだ地方と東京との情報格差が大きかった。ショッピングモールといった郊外型店舗はできていましたけど、ネットはそれほど普及していなかった。ルーズソックスなんかも、そうしたものがはやっている情報は伝わってきても、地方にはどこで売っているのかわからない女の子がいっぱいいたと思います。

――ルーズソックスをはじめ、当時のモノ集めも大変だったんじゃないですか。映画の隅々に懐かしさを覚えるアイテムが映っています。

 意外とそうでもなかったです。探せばあるところにはある。東京の女子高生の最強アイテムと言われていた昭和第一高校という男子校のスクールバッグは意外と簡単に手に入りました。もので苦労したといえば、初期のプリクラ機ですかね。北海道から取り寄せました。むしろ街の再現の方が大変で、女子高を都心にしなかったのは、渋谷が出てくるとあの街の再現は不可能だったので、東京近郊のあたりかな、横浜あたりかなというぼんやりした設定にしています。いま映画もテレビも、みんな突っ込みながらみるじゃないですか。90年代っていろんな人が覚えている時代で、非常につっこまれやすいんですね。

――撮り終えてみて、90年代、そしてコギャル文化で新たな発見ってありましたか?

 なぜあの時代、コギャル文化が生まれたのか。少し閉塞的な社会背景のなかで、刹那的に世紀末パーティーを生きることで、社会に対して抗っているのかとか、やっぱり、おじさんだから理由づけが欲しくなるんです。でも話をきいていると、「何も考えてなかった」「毎日楽しかったし、世界は私たち中心に回っていたし」とあっけらかんと答える。あ、そうなんだ。深読みしたオレってすごくかっこわるいって。すがすがしい答えでしたね。

――そうした感じって、現代の女子高生にも残っているんでしょうかね。

 映画で男子高校生の姿がほとんど出てこないのは、男子を撮るのが嫌いだというのはあるんですが(笑)、コギャルに話をきくと、女子同士で遊ぶときはカレシの話をしないというのは暗黙の了解だったそうです。その代わりフラれたときはいっぱい話をしてもかまわないと。そんな女子同士のノリというのはどこか普遍なものがあると思います。だから、目に見える騒々しい会話はなくなったけど、スマホの中で活発にやってるんじゃないですかね。