モロッコにフェズという街がある。
世界遺産にも登録されているフェズの旧市街は、本当に迷路のような街並みで、細い路地が無数に入り乱れている。方向感覚は結構優れていると自覚のある私だが、フェズに到着した最初の晩は、久しぶりの迷子になってしまった。車も通れないほどの細い道だったのでタクシーに頼ることもできず、Googleマップもすべての路地を把握していない。人に道を尋ねるが、みんな適当に答えるので、もう自分の感覚で歩くしかなかった。泣きそうになりながら(いや、実際、泣いていたと思う)、予約した宿を探して街を彷徨った。
私が予約した宿は民宿で、夫婦が経営していた。口ひげをはやして、ひょろりとした見た目のお父さんは英語が話せて、日中は銀製品や絨毯を扱う店を経営している。面倒見も恰幅もいいお母さんは、英語は話せないけれど、女一人旅をする私をずいぶんと可愛がってくれた。
「今夜はうちでディナーにしましょう」。
フェズに到着初夜、夫婦は宿からほど近い自宅に招いてくれた。ずいぶんと歩いてヘトヘトになっていたし、また迷子になりそうな気がしたので、お言葉に甘えてお邪魔することにした。
2畳ほどのキッチンに入ると、料理をしているのはお父さんだった。
「え、いつもお父さんが料理をするの?」
「妻がハマムに行く時だけだよ。ハマムの日は、僕が料理をするんだ」
ハマムとは、銭湯のようなスパのような入浴施設のこと。お母さんはハマムが好きで、よく子どもたちと行くらしい。家事を分担するのは、モロッコでは当たり前なのだろうか。この夫婦だけだろうか。
早速、お父さんは、タジン鍋に一口大の肉団子と輪切りにしたジャガイモを入れて、軽く炒め始めた。特製の調味料とオリーブを豪快に入れる。最後に厚めにカットしたトマトを乗せて、蒸したら完成。モロッコの家庭料理、タジン鍋を手際よく作ってくれた。
お母さんと2人の娘、1人の息子がハマムから帰ってきて、みんなで円卓を囲んで鍋をつついた。お父さんの作ったタジン鍋は、トマトの酸味と肉団子の肉汁とオリーブの塩気が程よく混ざりあって、とても、とてもおいしかった。言葉は通じなくても、おいしいものを同じ空間で食べていると、自然と笑顔になれたし、その土地に根付いた文化の一端を見ることができた気がした。そして、旅の疲れが癒されていくのを感じた。
そんなフェズでの経験があったので、帰国後に出会った、山本雅也の『キッチハイク!突撃!世界の晩御飯』(集英社)は、とても面白く読めた。この本は、旅先の見知らぬお宅を訪ねてご飯を食べる旅の記録を綴ったもので、キッチンをヒッチハイクするという意味から「キッチハイク」と名付けている。
個人的な事情と普遍的な文化が絶妙なバランスで交わる場、それが食卓なのだ。暮らしのど真ん中に飛び込んで、出会いと食を味わう贅沢さよ!(7ページ)
仕上がりにバラつきがあるのも、家庭料理のおもしろさのひとつである。日ごと、一食ごとに、同じ料理でも、仕上がりが違ってくる。暮らしの生々しさが、そのまま料理の顔になる。(28ページ)
筆者の山本さんの文章は勢いがあって、当時感じた感動やおいしさがダイレクトに伝わって来る。世界各国30を超える食卓や料理の特徴が丁寧に描かれている本なので、追体験をしているようだ。
それから、世界の旅の料理関連でオススメしたいのは、本山尚義の『全196か国おうちで作れる世界のレシピ』(ライツ社)。
クラウドファンディングで作られたレシピ本なのだが、これまただいぶ気合いが入った本で、世界196か国のご当地レシピが掲載されている。家にある食材で、誰が作っても美味しくなれるようにレシピが作られていて、ナイジェリアの「メロンの種と鶏肉のシチュー」だとか、トンガの「キャベツとコンビーフのココナッツミルク煮込み」だとか、数々の食べたことのない料理がオールカラーで掲載されている上に、ちょっとしたコラムもある。(ちなみにモロッコは「鶏肉のタジン鍋煮込み」が紹介されていた。)
五感を使って食べる料理は、その国のことを知るためのとっておきのツールになるのです。「暑い国だからこんな工夫があるのか」、「現地でもこうやってコトコト煮込んでいるのか」。料理から気づかされることって実はたくさんあります。(233ページ)
高級レストランをめぐる旅もたまにはいいのだけれど、地元の人と一緒に食卓を囲むのもいい。あぁ、なんだか、お腹がすいてきた。きょうは何を食べようか。