大澤真幸が読む
正義にかなった社会が満たすべき条件は何か。本書は、この問いに正面から答えようとした。正義の制度は二つの原理を満たさなくてはならない、と。
第一原理。基本的自由(言論・集会の自由、思想の自由等)に関して人々は平等でなくてはならない。第二原理は二項から成る。まず機会均等の原理。性別や家柄等によって特定の地位に就けない、ということは許されない。ついで格差原理。不平等な措置は、最も貧しい人に最大の便益をもたらすときだけ正当化される。所得に比例した累進課税などを思うとよい。
わりと普通だ。しかし本書の最も興味深い部分は、この結論ではない。これらの原理を導くときにロールズが用いた論法である。この二原理がどうして正義であると言えるのか。それは、ある仮説的な社会契約を考えたときに、人々はこれらの原理を満たすルールを選択するはずだ、と推測できるからだ。
どんな社会契約か。全員が、「無知のヴェール」の背後に隠れる。この魔法のヴェールの背後では、誰もが、自分がこの社会の中で何者であるのか、を忘れてしまう。自分の国籍も性別も資産も才能もわからなくなる。こういう状況で、人々はどんなルールに合意するだろうか。
例えば自分が裕福なら、格差原理には賛成しないだろう。しかしそれは格差原理が正義に反しているからではなく、その人の利益に反するからだ。正義かどうかは、自分が裕福か貧乏かわからない人が、何に合意するかで決まる。
ロールズのこの論法は後に、批判された。私が何者でもないとすれば、有意味な選択などできない。選択は何かのためになされる。選択が可能なためには、私がどこに所属しているか分かっていなくてはならない。
もっともな批判だ。それでも私は、ロールズの論理の方により深い真実を感じる。人は自分が所属する共同体を超える普遍性を求める。人類にとって何がよいのかを考えずにはいられないのが人間だ。(社会学者)=朝日新聞2018年10月13日掲載