――怪談作家としてご活躍中の川奈さんですが、そもそも怪談との出会いは?
やっぱり子どもの頃の読書体験ですね。父(=高橋稔氏・説話文学研究者)の仕事柄、中国や日本の民話、伝説、説話文学と呼ばれるものがたくさん家にあったので、それを勝手に読んでいました。山田書院の『伝説と奇談』シリーズや父の訳した中国の志怪小説。柳田國男の『遠野物語』も単純に「面白いお話の本」として受け止めていました。人びとの生活や土着信仰と結びついた不思議な話には、小さい頃から興味があったと思います。
――なんという恵まれた環境。怪談界のサラブレッドですね。
どうやら父はわたしを自分と同じ文学研究者にしたかったようなんです。その後、中学受験に失敗して、すっかり勉強嫌いな娘になってしまうんですが。活字以外ではテレビの「あなたの知らない世界」が全盛期で、毎週夢中になって見ていました。長期休みになると、あのコーナーが毎日放映されるのが本当に楽しみで(笑)。父方にはお寺の親戚がいて、お盆に行くたびにおばあさんから怪談を聞かされていました。
――では、文章を書き始めたきっかけは。
20代の頃、鎌倉の小さな出版社で編集補助のアルバイトを始めたんです。そのうちライターのようなことをするようになって、鎌倉在住の古老にインタビューするという仕事に携わりました。それから都内の編集プロダクションに移って、ルポルタージュ的な仕事をたくさん手がけました。印象に残っているのは、公共工事で水没する集落に出かけて、その土地の住人の語る歴史を記録するという仕事ですね。各地の競馬場や競輪場にいる「予想屋さん」にインタビューする、という連載もやりました。その後、31歳でセクシー女優になってしまうんですけど、しばらく並行してライターも続けていたんです。
――AV業界を引退後、2011年に作家デビュー。当初は官能小説のジャンルでご活躍でしたよね。
AV時代に連載コラムを担当していた編集者に声をかけられて、小説を書くようになりました。わたしが森村誠一先生主催の「山村正夫記念小説講座」に通っていたことを、彼女は知っていたんですね。官能小説を何冊か出しましたが、もともと興味のあるジャンルではなかったせいか、書いているうちに苦しくなってきたんです。その頃、山村教室の先生方が「新しいホラーのレーベルができるから、書かせてもらったら?」という話を持ってきてくれた。
――廣済堂出版の『赤い地獄』ですね。官能からホラー作家に転身されたので、当時ちょっと驚いた記憶があります。
小説講座に提出していた短編がいつもホラー系だったので、こういう世界が好きな奴なんだと覚えてもらえたのでしょう(笑)。『赤い地獄』はわたし自身の体験談をベースにしたホラー短編集で、かなり実話に近いものも入っています。
――その後、『実話怪談 出没地帯』『迷家奇譚』など一連の作品で、丹念な調査にもとづいたルポルタージュ的な怪談を確立されます。
書き方としては、ルポライター時代にやっていたこととまったく一緒です。体験者にお話をうかがって、記憶違いがないか資料で裏取りをし、状況が読者に伝わるように膨らみをもたせていく。手間がかかるとよく言われるんですが、わたしにとってはごく当たり前の作業なんです。人の記憶はあやふやなものですから、日時や場所は必ず資料で確認しますし、場合によっては現地にも出かけます。
――新刊『実話奇譚 夜葬』には、38話の不思議な体験談が収められています。印象的だったエピソードはありますか?
アンティークの着物や帯を扱っている業者さんからうかがった「帯の祟り」ですね。戦前の名古屋帯が祟りをなしたという話ですが、その方が体験されたわけではなく、ほぼ伝聞だったので書かずに放ってあったんですよ。ところが最近、別件で犯罪のデータベースを調べていたら、まさにその帯の話だと思われる殺人事件が載っていて、あっと驚きました。偶然にも裏取りができたので、今回書くことができたんです。
――自宅で白い煙のようなものに遭遇したという「白くて丸い」など、短くて不条理なエピソードも印象的です。
体験談は創作と違って、尻切れとんぼの話も多いんですが、下手に手を入れない方が面白いと思います。ちょっとシンプル過ぎるなという時は、方言を生かした語り口にしてみたり、土地の由来を入れてみたり、面白く読んでもらえるような工夫がいりますね。ただし話を盛ったり、分かりやすいオチをつけたり、ということはしません。体験者の方もわたしの本を読んでいますから、嘘を書いたらすぐにばれてしまいます(笑)。
――バイク事故で亡くなった少年にまつわる「別れを告げに」のように、切なくノスタルジックな怪談もありますね。
わたしの書いている怪談って、市井の人びとのオーラルヒストリーという側面もあるんですよ。ただ恐ろしい話、不思議な話を書くだけではなく、体験した方の感情や、その時代の空気感のようなものを盛りこみたい。そうすることで読者にとっても、入り込める怪談になると思うんです。「別れを告げに」の体験者はシンプルに、事実だけを話してくださったんですが、そこに当時の時代背景を書き添えて、「1978年ってこんな時代だったよね」と、思い起こせるものにしました。
――怪奇体験はツイッターやフェイスブックで募集しているようですが、反応はいかがですか?
今のところ途切れずに募集がありますね。取材人数は毎月平均15人くらい。東京近郊の方は直接、遠方の方には電話かメールで取材させてもらっています。先日はたまたまパソコンの出張修理にきた業者の方が、わが家の本棚をまじまじと眺めて、「実は怖い体験をしたことがあるんです……」と怪談を披露してくれました(笑)。それが今回書いた「午前零時の女」です。
――今年は松原タニシさんの『事故物件怪談 恐い間取り』がベストセラーになりました。怪談ライブやイベントも毎週各地で開催されています。こうした怪談ブームの背景には、何があるとお考えですか。
東日本大震災以降、社会全体に閉塞感があって、終わりが来るかもしれない、という暗い予感が、共有されているような気がします。死に惹かれがちな若者だけではなく、いい年をした大人までも「明日死ぬんじゃないか」という漠然とした不安を抱えている。それが怪談や事故物件への関心につながっている気がしていますね。
――将来への不安を紛らわすために、怪談が流行っている?
死んだら人生がそれで終わりっていうのは、誰しも嫌じゃないですか。魂になって、愛する人の近くに留まることができる、と考えるだけで救いになる。『夜葬』に書いた「祓われない子」という話がまさにそうです。子どもを失った女性の哀しみを、霊の存在が癒やしてくれているんですね。死後の世界を身近に感じるのは、あまり健康なことではないかもしれない。でもそういう時代になっているし、それで心に余裕が生まれるならば、決して悪いことではないとも思うんです。
――目に見えるものだけがすべてじゃない。そう世界を捉えることが、豊かさを生むわけですね。
もちろんそれ以外の要因もあると思いますよ。最近、怪談ライブで活躍されている方の多くは40代、50代。『あなたの知らない世界』を夢中になって見ていた世代です。仕事や子育てが一段落した大人たちが、子どもの頃に大好きだった怪談の世界で、もう一度遊んでいるという面もあると思います。人生二毛作、三毛作の時代ですから。
――川奈さんも慣れ親しんだ怪談の世界に帰ってこられたわけですしね。お父さまも喜ばれているのでは?
ええ。喜んでいるみたいです。大学の研究者にはなれませんでしたが、お化けの本をたくさん書いたことで、少しは父親孝行ができたのかなと思っています。