ISBN: 9784766425321
発売⽇: 2018/09/06
サイズ: 20cm/478p
折口信夫 秘恋の道 [著]持田叙子
恋愛小説の形を取った折口信夫論であり評伝でもある本書は、エネルギーに満ち溢れた烈しく熱い本である。〈恋の詩人〉であり〈恋の学者〉である人物を描くのに、その方法がふさわしかったことは、「第一章 痣ある子」の〈いつのまにか、市場町のざわめきは潮のように引き、陽の色がさむざむと陰っている。(略)奥の台所から、たっぷりと昆布をおごった美味しそうなおつゆの匂いがただよってきて、えいは編棒を動かす手先から顔を上げた〉という折口が生まれ育った大阪の四天王寺界隈の情景が巧みに描かれた冒頭から、如実に感得される。
著者は、『折口信夫全集』の編集・校訂・解題を担当し、長年大学で折口信夫を読む授業を続けてきた折口学の専門家である。読み込んできた文献、資料を我が身に呑み込んで咀嚼し、矛盾する姿もありのままに解釈して、生涯を貫いた秘恋の物語を紡いだ。それは、晩年の折口が、歴史小説『死者の書』に古代研究の精華を注ぎ込んだことや、恋の物語としての柳田國男論を書こうとしたことと軌を一にしている。
物語のはじめに、折口の15歳年長の姉のようなえい叔母の視点による語りを置いたのは、前半部での重要な指摘――『死者の書』のヒロインは、〈えい叔母と彼自身が融けあい、響きあう鏡像を主要な成分とする〉――の絶妙な導入部となっている。同性愛者であることから女性嫌いの印象が生まれたが、『死者の書』の主人公である中将姫は、「夢の中の自分の身」だと折口は自解しており、身の内に秘める愛する女性の魂を具体的な形として示した女性こそ、女医を目ざして東京の学校に学び、未婚のまま長く産婆(中将姫と同じ「水の女」といえる)をつとめて、医家の長姉である折口の母を助けたえい叔母である、と断言する。
さらに、『死者の書』にイエス・キリストの像が重なることなどから、折口にはキリスト教への関心があり、それは大学時代に一時同棲した、仏教とキリスト教の融合を夢見た宗教家の藤無染の影響であるとした富岡多惠子、安藤礼二の指摘を踏まえつつも、えい叔母が東京から持ち帰った聖書の物語や賛美歌こそが、折口にとってのキリスト教の原体験だとする。こうした精緻な読みと実感に裏付けられた細密な視線が光る。
蔵書には、散歩で摘んだ花が沢山挿まれていた、という研究者ならではのエピソードも心に留まった。専門的でありながら、みちのくの信夫文字ずり誰ゆゑに=忍ぶ恋、にゆかりを持つ本名の信夫を、「のぶお」と読んで失笑を買った経験があるような初読者にも開かれている希有な本である。
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もちだ・のぶこ 1959年生まれ。近代文学研究者。国学院大兼任講師。『荷風へ、ようこそ』でサントリー学芸賞(社会・風俗部門)。著書に『折口信夫 独身漂流』『泉鏡花 百合と宝珠の文学史』など。