学校の勉強が苦手な学生時代でした。図画工作だけが得意だった小学生のころは、その延長で料理を作ることに、とても興味がありました。料理本を見て初めてひとりで作ったのがスコッチエッグです。ゆで卵をひき肉種で包んで揚げるのですが、料理本の写真しか見なかった私は生卵をひき肉種で包むのだと見間違い、せっせと丸めたその爆弾のような塊を、油鍋に投げ込む寸前に母に止められ、惨事を免れたのです。それ以来料理は、大根やネギを切るぐらいの手伝いしか、させてもらえませんでした。
ところがある日曜日、母が婦人部の集いで不在になるとのことで、家族の昼食作りが私ひとりに任されることになったのです。家族といっても父と兄と私の三人分なのですが、十歳ぐらいの私にとっては大事件です。それを知った父も頰を強(こわ)ばらせていたのを憶(おぼ)えています。
前日の夜に母から冷蔵庫のドアを開閉しながらの、献立の説明を受けました。食パンにバターとマヨネーズを塗りハムとチーズとキュウリを挟んで三角に切るサンドイッチ。かぼちゃの蒸(ふ)かしたものに片栗粉と砂糖を混ぜてこね、油を引いたフライパンで焼くかぼちゃ団子。これは北海道の家庭料理です。そして母のオリジナル料理らしい、ゆでたスパゲティをマヨネーズとケチャップで味付けし、ハムとキュウリと薄焼き玉子をすべて千切りにしてのせるという、現在で言えばサラダパスタのようなもの。
あとで考えてみると、母はこの献立のなかの一つを選んで作りなさいと言っていたはずです。緊張のせいか私の頭の中から、一つを選択する、さらに量を加減するという発想がすっぽり抜け落ちていました。三つの料理を、冷蔵庫の食材を残らず使って完成させなくてはいけないと思い込んでしまったのです。
朝食の片付けをして母が出かけて直(す)ぐから、私は台所にこもりました。普段は料理を手伝う父も、娘の迫力に手出しできないと感じたのか台所の戸を開けませんでした。三時間後の台所は嵐が通り抜けたかのような状態で、食卓に並べたのは山賊の宴かというほど山盛りの料理です。
食卓についた父と兄は引きつった笑顔でそれを見詰めてから食べ始めました。三人とも言葉なく黙々と食べ続けました。父は最後に残ったものをすべて食べきってくれました。
こうして重大任務を終え、ぐったりしながら時計を見ると、まだ午前十一時でした。=朝日新聞2018年12月1日掲載
編集部一押し!
- 売れてる本 麻田雅文「日ソ戦争」 戦後日本の位置、規定した戦い 山田朗
-
- 韓国文学 ノーベル文学賞ハン・ガンさん 今から読みたい書店員オススメの7冊 好書好日編集部
-
- 小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。 芥川賞・松永K三蔵さん「家族が一番です」家庭人、会社員だからこそ書けた「バリ山行」 小説家になりたい人が、芥川賞作家になった人に聞いてみた。 清繭子
- インタビュー 宮島未奈さん「婚活マエストロ」インタビュー 本屋大賞「成瀬」後第1作、40代の実感を反映 吉野太一郎
- 図鑑の中の小宇宙 「楽しく学べるはにわ図鑑」 はにわの笑顔は魔除けのため? 岩本恵美
- トピック ポッドキャスト「好書好日 本好きの昼休み」が100回を迎えました! 好書好日編集部
- インタビュー 寺地はるなさん「雫」インタビュー 中学の同級生4人の30年間を書いて見つけた「大人って自由」 PR by NHK出版
- トピック 【直筆サイン入り】待望のシリーズ第2巻「誰が勇者を殺したか 預言の章」好書好日メルマガ読者5名様にプレゼント PR by KADOKAWA
- 結城真一郎さん「難問の多い料理店」インタビュー ゴーストレストランで探偵業、「ひょっとしたら本当にあるかも」 PR by 集英社
- インタビュー 読みきかせで注意すべき著作権のポイントは? 絵本作家の上野与志さんインタビュー PR by 文字・活字文化推進機構
- インタビュー 崖っぷちボクサーの「狂気の挑戦」を切り取った9カ月 「一八〇秒の熱量」山本草介さん×米澤重隆さん対談 PR by 双葉社
- インタビュー 物語の主人公になりにくい仕事こそ描きたい 寺地はるなさん「こまどりたちが歌うなら」インタビュー PR by 集英社