梅原猛氏が亡くなった。京都学派の精神を引き継ぎ、東西の伝統を融合した「人類哲学」を唱えた偉大な哲学者だった。新作能や新作歌舞伎の台本を手がけるなど、研究を離れた創作でも活躍した。全貌(ぜんぼう)はなかなか掴(つか)めないが、入口となる三冊をご紹介しよう。
まずは『水底(みなそこ)の歌』。氏は一九七〇年代前半、のち怨霊史観や梅原日本学と呼ばれることになる古代史研究の著作をつぎつぎ発表している。本書はその一冊で柿本人麿(かきのもとのひとまろ)を扱っている。
人麿は有名な歌人だが、じつは正体はよくわかっていない。人麿とはだれなのか。どこでどのように死んだのか。斎藤茂吉の説を論破するところから始まり、人麿はじつは権力闘争に敗れ、藤原不比等により流刑となり水死した高位の宮廷歌人だったのだと結論づける本著の展開は、じつに圧巻。氏の考えではそもそも万葉集自体が、権力に翻弄(ほんろう)された詩人たちが、その暴力に抵抗しようとして編んだ政治的な試みだった。契沖や賀茂真淵の万葉研究を批判し、江戸時代の国学は「合理的すぎた」とする見方も痛快だ。
氏は本書と同時期に、記紀神話を扱った『神々の流竄(るざん)』、聖徳太子を扱った『隠された十字架』も発表している。三作は今風に言えばいずれも「ミステリー仕立て」で、古代史の謎がするすると解けていく読書感覚は、哲学書というより娯楽小説に近い。氏の主張に毀誉褒貶(きよほうへん)があるのはそのスタイルのせいが大きいだろうが、書評者としては高く評価したい。真実の追求と思考の快楽はけっして矛盾しない。むしろそれは両立しなければならない。氏はその信念を貫いた。日本史や日本思想に興味のないひとも、ぜひいちど手にとってほしい。
生の哲学を追求
つぎに『仏教の思想1』。古代史研究のまえ、梅原氏は仏教思想に関心を向けていた。これはその時期の仕事で、氏は友人の哲学者・上山春平氏らとともに全十二巻の「仏教の思想」の編集委員を務めている。
全集は最初の四冊がインド仏教、つぎの四冊が中国仏教、最後の四冊が日本仏教の紹介にあてられている。各巻は、最初に仏教学者による紹介があり、つぎに梅原氏あるいは上山氏と仏教学者の対談があり、最後に両氏どちらかの広い文脈からの解説があるという構成になっている。梅原氏の担当は八冊で、そこで寄せた論文を読むと氏の哲学がこの時期にすでに固まっていたことがよくわかる。たとえば空海を扱った第九巻には「死の哲学から生の哲学へ」と題された論文を寄せているが、このタイトルは氏自身の哲学の表明でもあっただろう。
この全集はたいへん啓蒙(けいもう)的なもので、個人的にも仏教思想史を学ぶうえでたいへんお世話になった。氏がすぐれた教育者であったことがよくわかる。
世俗的な魅力
日本学と仏教思想の仕事を挙げたので、最後に創作も。前述のように氏は新作歌舞伎に挑戦したが、その代表作『ヤマトタケル』がマンガ化されている。
本作で描かれるヤマトタケルもまた、『水底の歌』の柿本人麿と同じく、政治と恋愛に翻弄(ほんろう)されるじつに人間くさい人物である。画を担当したのは、聖徳太子を超能力者の美少年として描いた傑作『日出処(ひいづるところ)の天子』で知られる山岸凉子氏。同作のヒントを『隠された十字架』から得た縁で、共作が決まったという。梅原氏の影響の大きさを偲(しの)ばせるエピソードだが、山岸氏が単行本時のあとがきで、原作が描く恋愛があまりに男性的だったので、少し設定を変更したと告白しているところが興味深い。梅原氏の想像力はときにあまりに生々しく、世俗的で、けれどもそれこそが氏の哲学の魅力でもあった。=朝日新聞2019年3月2日掲載