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「理想のおばあちゃん」なんて決めつけないで 柚木麻子さん、シニアがヒロインの新作「マジカルグランマ」

文・瀧井朝世 写真:松嶋愛

――新作『マジカルグランマ』の主人公は70代の女性です。なぜこの年代を書くことになったのでしょうか。

 「週刊朝日」さんで小説を連載することになり、「お年寄りの話を書いてください」とご提案をいただいたんです。シニアがヒロインの作品といえば若竹千佐子さんの『おらおらでひとりいぐも』や、おざわゆきさんの『傘寿まり子』、鶴谷香央理さんの『メタモルフォーゼの縁側』といった面白い作品はすでにいっぱいあって、私が参戦しても結果は出せないなと、くじけそうでした。

 でもこの1年、年配の方と接する機会が多かったんですね。一昨年子どもができて、バギーを押して段差で困っていると声をかけてくださったり、子どもを教会に連れていった時に泣かれて「ヤバイ」と思ったら「子どもの泣き声が聞こえない教会なんて駄目よ~」って言ってくださるのは、みんなご高齢の方でした。別の小説の取材で年配の方とお話しする機会もありましたね。いろいろな方とお話しするうちに、みなさんそんなに私と考えることが変わらないし、むしろ私の世代よりもいろんなカルチャーショックを受けて刺激的な時代を生きてきて、考え方が柔軟な人が多いなと感じるようになって。

 でも、なぜかエンタメの世界で描かれるお年寄りって、和服を着ていませんか? 私は和服を着ているお年寄りってあんまり見たことがないんですよ。エンタメの中で自分のことを「わし」と呼ぶおじいさんも多いけれど、私は実際には会ったことがありません。そろそろフィクションで描かれるお年寄りのイメージをアップデートしてもいいのでは、と思うようになりました。

――主人公の正子は若い頃に女優デビューするも映画監督と結婚して引退、そのまま主婦として生きてきましたが、いまはもうお屋敷の中で夫とは家庭内別居状態。75歳目前にして、髪を銀髪にして整え、シニア俳優としてデビューしたところ「日本の理想的なおばあちゃん」としてブレイクしますね。

 もし私が75歳で俳優を目指すとしたら、正子以上にガッチガチに型にはめた自分を作ると思います。髪を白くして、和服を着て、杖をついて、穏やかで、優しそうで…。売れるために、世間が求める像に積極的に寄せていくと思う。でも、そうやってみんなから好かれるおばあちゃん像を作ることの裏には、「女性は年老いたら愛される存在でいろ」という抑圧があるんですよね。マリリン・モンローが本当は知的な女性なのにわざと天然ボケのような役を演じたのと同じ。気持ちは分かるし、そこは責められないけれど、そうしたことは女性への抑圧や差別意識と結びついていると思います。

――やがて正子の夫が急死、仮面夫婦だったことが世間にバレて正子はバッシングを受け、仕事を失います。残されたのは古いお屋敷と、夫の死後発覚した借金。家の土地を売りたくても、家を解体する費用がない。そこで正子は、家に転がりこんできた映画監督志望の若い女性・杏奈や、近所の主婦・明美さんたちの協力を得て、自分の邸宅をお化け屋敷にすることを思いつきます。

 最初は、正子が自分で事務所を作って芸能界を席捲していく話を考えていたんです。でもその頃、保育園に40個落ちたりと大変で。家事と育児と執筆に追われ、家と無認可保育園の往復をするだけで、街から出ない生活を送っていたんです。芸能界の話を書こうにも取材に出かけることができなかった。それで、この小説も正子が家の周囲から出ない話になりました。ただ、お年寄りの話だからといって「今あるもので満足」とか「置かれた場所で咲きましょう」みたいな着地にはしたくなかったんです。

 お年寄りと話していると、みなさん行動力はあるし情報も持っているけれど、街の外に出かけるのは一苦労という方が多い。それは今の自分と同じだなと感じました。この1年、私は知人たちから「もっと外に出たほうがいい」「出かけなさすぎ」と言われていて、それを気にしていたし、ご隠居さんになった気分でした。そのあたりから、自分と正子が同じ目線になっていったように思います。

――自分の家を活用してお化け屋敷にして集客する、というのは斬新なアイデアですよね。

 保育園に通う道にずいぶん古いお屋敷があって、とうとう取り壊されることになり、毎日、ちょっとずつ作業が進むのをリアルタイムで見ていたんです。どうして今まではそのままにしていたんだろうと思ったら、持ち主が高齢すぎて解体の手続きをする体力もなく、亡くなるまでどうしようもできなかったと聞きました。古い家は土壁などがあって手作業でないと解体できないことや、そのために費用がかかることも知りました。それとは別に、役所の前に「この街には保育園が足りません。空き家を提供してくれませんか」というポスターがあって、それもヒントになりました。

――その家にどういう謂われがあるのかといった杏奈がシナリオを作り、正子がお化けを演じる。すごく面白そうな内容なので、よく思いついたな、と。

 お化け屋敷はどうかなと思って調べたら、五味弘文さんというお化け屋敷プロデューサーの方が大学の先輩だと知ったんです。「麿赤児のパノラマ怪奇館」というお化け屋敷をプロデュースするなどして、非常に有名な方です。それこそ地方の廃墟を使ってお化け屋敷を作ったりもされている。それで五味さんに会いに行ってお話をうかがい、「そこそこ名の知れたおばあさんが家でお化け屋敷をするのは商業的にありえるか」と訊きました。そうしたら「それはものすごく当たると思います」って。ただ、福祉局からスプリンクラーと消火器のことは指摘されるはずと教えてもらって、そのことも話の中に盛り込みました。シナリオについては五味さんもキラキラした目でいろいろアイデアを出してくださったんですが、それは本当に怖かったので使えませんでした(笑)。

 もうひとつ、参考にしたものがあります。ジェイソン・サーレルの『ホーンテッドマンションのすべて』という本です。それがなければ、この小説は書けなかったと思います。ディズニーランドのホーンテッドマンションは明るいお化けたちが出てきて滑稽味がありますが、この本によると、その形になるまでにいくつもボツになった案があったそうです。最初はガチで怖くして、乗り物に乗ってめぐるライド方式ではなく歩いてまわる方式だったとか。そこから、何度も失敗とやり直しを繰り返して今の形になったんです。それって小説の創作にも似ているので、だったら私にもお化け屋敷が作れるかも、とちょっと思っちゃったんですよね。

――正子のお屋敷にもモデルがあったそうですね。

 私が通っていた学校のそばに、フォトジェニックな古いお屋敷があって、よく外観がドラマの撮影にも使われていました。私たちはそこを「ホーンテッドマンション」って呼んでいました(笑)。数年前に取り壊されてしまったのですが、先ほども言った別の小説で必要があって、その図面を取り寄せたんです。見ると、増築を繰り返して複雑な作りになっている。それで「そうだ、これをこっちの小説にも使おう」と思いつきました。作中にその家の隠し扉が出てきますが、実際にその家にも似たようなことがありまして、住んでいた方も取り壊しの時に気づいたそうです。

――お化け屋敷の協力者たちもいい味を出していますよね。まずは、相当な歳の差なのに正子のいい相棒となっていく杏奈ちゃん。

 最近、若い人と喋っていると、選択肢が多すぎてやりたいことが選べないという子が多いんですよね。それでも何かを選んで行動していく展開のエンタメは多いので、じゃあ杏奈ちゃんは何も選ばないまま、家でスマホを見つめたまま1日を過ごすなかで夢を叶えさせてしまおう、と思って。最初は、家の敷地内でスマホで動画を撮ったらそれがウケて売れっ子になる方向にしようとしたんですけれど、いざ書いてみたら、杏奈ちゃんが撮る動画がどうしてもつまらないものにしかならない。それこそ「登場人物が勝手に動いた」ってやつですよ(笑)。こりゃ駄目だと思い、彼女がお化け屋敷のシナリオを書くことになりました。

――近所に住む主婦の明美さんも、適切な指示をくれたり、さまざまな工夫を提案してくれる。

 彼女は年齢だけでなく、状況も私に似ていたと思います。明美さんはもとはソーシャルワーカーでしたが、今はパートをしながら子育てしている。家族と過ごす時間ができて楽しいけれど、でも本当は仕事もしたい。どっちつかずで自信をなくしていて、それは私の本音でもありました。それで彼女は、正子さんの計画に積極的に協力するんです。

――ゴミ屋敷に住む老人、野口さんも。

 ものが捨てられない、壊れたものでもいつか直そう、という人は結構多いと聞いています。私も、「これは今は使わないけれどとっておこう」と発想しがちです。野口さんの場合は妻を亡くした喪失感と向き合いたくないというのも理由です。そこに「いつか」という発想を持たない正子がやってきて、ゴミ屋敷の物を無理やり奪っていく。それで、野口さんも道が開けていくんです。

――正子には成人した息子の孝宏がいますが、彼には彼氏がいる。そのことを知った正子さんは、ふっと肩の力が抜けることを言う。いい場面ですよね。

 昨年「生産性」という発言が問題になりましたが、あれは私は自分の問題として考えました。わたし自身、今後どうなるかわからない。自分のセクシャリティを、絶対こうとは言い切れないですから。子どもを産んだことで、その子が差別される側に立つかもしれないった時、私に何ができるだろうとも思うようになりました。上から「差別はよくないよね」と言うよりも、正子さんのように自分がけなされたり批判されたりして傷ついた経験がある人のほうが、共有できるものがあるんじゃないかな、って。正子さんは自分が差別的な考えを持っていたと気づいた人でもあるのだし。

――主要人物はみんな、大きな声が出せない、権力を持たない人たちですよね。

 有利なものが何もない人たちですよね。正子の死んだ夫だってそうです。彼にも悪いところはあるけれど、正子と同じ葛藤は抱えていたんですよね。生前はSNSで「今の奴はなってないんだよ」などと説教くさいことを書きこんでいましたが、彼は自己肯定感を保ちたかったんですよね。自分が見たくないものは見ようとしなかった。私はそういう弱い気持ちも分かります。

――バッシングを受けた後で正子が気づくのは、自分は世間が求める「マジカルグランマ(=理想のおばあちゃん)」を演じていた、ということです。作中でも言及されますが、白人が作ったフィクションの中で、黒人が白人にとって都合よく献身的な存在として描かれることを指す「マジカルニグロ」という言葉がヒントになっている。

 たとえば今年アカデミー賞を獲った映画「グリーンブック」も、白人が黒人を救うという類型的な描き方がされている点が批判されましたよね。実話を基にしているので実際にそういう人だったのだろうけれど、登場する黒人が知的でいい人である点も、「いい人じゃないと黒人はフィクションの中で存在できないのか」とも言われている。まさにマジカルニグロ問題ですよね。

 黒人差別はものすごく歴史も深いし軽々しく扱うものではないですが、マジカルニグロについていろいろ考えているうちに、自分のまわりにも、マジカル問題ってたくさんあるなと思ったんです。差別する側、強い側にとって都合のよいキャラクターを求められるってことは、私たちの日常のいたるところにあふれている。

 私はデビューした後、女性作家たちと情報交換してワイワイ仲良くしていたんですけれど、そうしたらある男性編集者から「同業の女とつるんじゃ駄目だ」と言われたんです。「女性の作家は辛い恋愛をして孤独を噛みしめて、それを読者に差し出せ」「幸せになっちゃ終わりだ」みたいな話をされました。私は真面目だったので「そうなんだ…」って思ってしまったんですが、その人が言う女性作家像って「マジカル女性作家」ですよね。

 「マジカル女性編集者」もありますよね。お酒の席では豪快に飲んで、セクハラを受けても動じないことを求められてしまう。「マジカル書店員」もありませんか? 収入のことは度外視して、残業もいとわずに好きな本のために捧げるイメージ。フィクションの中で描かれる場合、差別する側は「善良な人間として描いているんだから問題はない」と思いがちだし、差別される側も気づかなかったりするんです。そういえば私も、デビューしたての頃に「これって原稿料いくらですか」って訊いたら、男性編集者から「作家なんだからお金のことは言わないでください」って叱られて。その時は「確かに本の世界にいさせてもらうんだから、お金の話するなんて薄汚いですよね」って思っちゃったんですよね。

――マジカル問題、自分も気づかないうちに差別的なものの見方を受けいれていることが多そうで心配になります。

 私もいろいろ気づかされたんです。私は古典小説を読むのがすごく好きで、私の中の金字塔である『風と共に去りぬ』も、今なら読むとスカーレットに献身的な黒人メイドのマミーの描かれ方はまずいなって思う。すごく感動して大好きだった『ジェイン・エア』も、今ならロチェスターはDV野郎だなって思うんです。でも、あの小説に登場する、閉じ込められていた女性のことを書いた『サルガッソーの広い海』を読むまでは、私は彼女に全然関心もいっていなかった。

 今読むと「これって差別かも」「女性蔑視かも」って思う古典はたくさんあります。私のような文学好きで映画好きなアラフォーくらいの人たちって、今すごく引き裂かれていると思う。だって、少女時代にそうした作品を読んだ時の喜びって、否定できないんですよね。感動したことはもう変えられない。差別が描かれた作品に喜んでいたことを思うと「うわーっ!」ってなりますが、その「うわーっ!」に耐えなくちゃいけない。何も気づかないまま、自分は人を傷つけてきたかもしれないという後悔に立ち向かわなければならないんです。ここ数年、価値観の狭間で揺れながら、発見と反省を繰り返して、心がめちゃめちゃ忙しいです。

――引き裂かれる気持ち、すごく分かります…。

 今読み返すと「オイ」と思うような、過大評価されてきた古典がいっぱいある一方で、これまで過小評価されてきたものでも今読むと「結構いいな」と思ったりもします。だから古典を読むのはやめられません。ライフワークとしてやっていきたいですね。

 やっぱり、昔の好きだったものに対するときめきは忘れたくないんですよね。だから今回の小説の中には、私が大好きだった『赤毛のアン』を下敷きにした部分がたくさんあります。正子が杏奈に「私のことはおばあちゃんじゃなくて、正子さんと呼んで」と言う台詞は、アンが養母となるマリラに「私の名前はマリラでおばちゃんじゃない」と言われる場面が元になっています。正子のカメオのブローチに関するエピソードも、マリラがブローチをなくすエピソードを元にしています。

 そうした場面も入れつつ、正子さんと一緒に反省しながら、自分の差別意識について考えながらこの小説を書きました。まあ、正子さんは自分のことばかり考えていますけれど(笑)。

――そこで反省して一気に謙虚になるのだったら、それもある種の理想像にあてはめていますよね。正子さん、反省しつつも貪欲さは変わらないところがいいですよね。

 「私に差別意識はない。私は正しい」と言い切ってしまうのは楽。自分が人を傷つけたことに気づくのって、めちゃめちゃ勇気と気力を振り絞らないとできないことだと思うんです。でも、私はあの時に無神経にあの人を傷つけたかもしれない、と認めることが、離れていても連帯というものを持つことになる。だからこの小説は、そこに立ち向かう元気が出るものにしたかったんですよね。自分の差別意識に立ち向かう勇気が湧く話にしたいなと思いました。

――そうなっていると思います。ところで、お年寄りと話したり取材を進めている別の小説というのはなんでしょう。

 日本で女子校を作った人たちの話を書こうと思っているんです。津田梅子とか村岡花子とか、あの時代の女性はみんな繫がっていたので、いろんな人が出てくる話になると思います。坂本龍馬みたいに男が男に愛されて出世していくように、女性たちの人脈の中で、周囲に愛されて無一文から出発していく人も実際にいたんですよ。

 といっても、連載の予定があるわけでもなく調べを進めている段階なので、このまま形にならなかったらただの趣味で終わってしまうんですよね。そう思っていたら先日、津田梅子がお札になるって発表されたましたよね。「よし、キター!!」って思っているところです(笑)。