長崎港から西に百キロほどの沖合に五島列島はある。福江島をはじめとする大きな五つの島をふくむ百四十ほどの島々が、北東から南西八十キロほどの広がりのなかに集まっている。福江島にある三井楽(みいらく)は、古くは遣唐使の国内最後の寄港地とされ、空海のことばにもとづく「辞本涯(じほんがい)の碑」は有名だが、昨年、潜伏キリシタンの歴史を物語る野崎島の集落跡などが、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界遺産に登録されて訪れるひともさらに増えたという。
長崎県庁に勤めていた父が赴任した福江島で、三歳から六歳までの四年ほどを過ごした。福江のことを思うと、武家屋敷、火事、干潟のシオマネキ、空飛ぶ豚、レンゲ畑……、そんな記憶のかけらが次々に頭をよぎっていく。
福江は、五島藩の城下町で、石田城跡や武家屋敷があり、五島の最初の家はこの武家屋敷のそばで城跡の門もよく通った。昭和三十七(一九六二)年九月二十六日深夜、海岸近くから出た火は海風にあおられて、市街地の大半を焼き尽くした。福江市(現五島市)の「福江大火復興40周年」誌によると、十三・二ヘクタールが焼失、三千九百三十六人が焼け出されたとある。父母と兄弟の私たち家族四人もこのなかにいた。
夜中に起こされて、「まだ火は遠か、ゆっくり、よか」という父にうながされ服を着た。家財を運び出すために父は残り、二歳の弟を背負った母に手をひかれて逃げ、途中、見ず知らずの方に声をかけられて、その家で朝まで過ごした。暗い玄関に招き入れてもらったときの記憶がぼんやりと残っている。
大火で焼け出されたあと、住んだ家は海の近くだった。夕方、潮がひくと干潟が現れて、シオマネキが群れてハサミをふっていた。福江港では船荷の積み降ろしをよくながめた。クレーンで吊(つ)り下げられた豚たちのぶうぶうという鳴き声が心の一番奥に生きるせつなさそのものの声となって、今も響いているのを感じる。
五島は海産物が新鮮でキビナゴの刺身など魚はずいぶんと食べたはずだが、あまり覚えていない。食べ物の記憶では、母がこしらえてくれた幼稚園にもっていった弁当のピーマンの味がある。細く切ったピーマンとハムを炒めて塩コショウをさっとふっただけのものだ。幼稚園のまわりは畑で春にはレンゲの花が咲いていた。炒めたピーマンを食べるたびに半世紀以上も昔の五島の暮らしが失われた桃源郷の記憶のようによみがえってくる。=朝日新聞2019年5月11日掲載
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