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岡﨑乾二郎さんの絵本「ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ」 犬や猫が喜ぶ絵本は赤ちゃんも

文:柿本礼子、写真:佐々木孝憲

――最も前衛的な「赤ちゃん絵本」のひとつ、と言っていいのではないだろうか。カラフルな丸と棒で表現された絵に、「ぱぱぺ」「ぱぷぽぴ」など、ぱぴぷぺぽの半濁音の文が続く絵本『ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ』(クレヨンハウス)。赤ちゃんが喜ぶ本として口コミで大人気だ。子どもの反応にびっくりして他の人に薦める、という連鎖が起きて、2004年の発売以来14刷を重ねる。絵を描いているのは造形作家の岡﨑乾二郎さん。文は谷川俊太郎さんだ。

 赤ちゃん向けの本を作るにあたって、結論から言うと、当時飼っていた犬のおもちゃを参考にしました。15年前と比べて今は、かなり進化認知学の研究が進んで、動物の知能が随分と高いことが分かってきましたね。でも当時は人間と動物を一緒にするなんてけしからんと言う人が多かったから、怒られると思って、どう制作したかはあまり表立って説明してなかったな(笑)。

 僕が飼っていた犬もとても頭が良くて、僕が分かった限りでは、150くらいの言葉を認識できていました。犬は音声のバリエーションが少ない代わりに、ものを使って会話するのがうまいんです。散歩に行こうかと言えば、リードをくわえて持ってくるようにね。

 「あのおもちゃで遊びたいなら、ボールを取ってきて」と言うと、ちゃんとボールを取ってくる。そこで僕が「ボールを持ってきたなら、ボールで遊ぼうか?」ととぼけると、くわえたボールをバシッと投げ落とすんです。「そうじゃない、このボールは遊ぶ交換条件でしょ?」と言っているわけですね(笑)。こうして犬とコミュニケーションをとる中で、どうやらメタファーや文法も理解できることがわかりました。猫にしても、観察していると分かりますが「おはよう」や「こんばんは」を正確に認識して発声しわけています。だから僕は、人間と動物の知性は一緒だと考えていました。そこで赤ちゃんの絵本を作る際に、犬や猫が喜ぶ本を作れば、人間の子どもも喜ぶのではないかと考えました。

 犬は色の認識が弱いため、犬のおもちゃにははっきりとした色がついています。その辺りも、視界がまだ不安定な赤ちゃんとの類似性があると思います。そこで僕がこの絵本を作るときには、犬が興味を持つ、丸いとか尖っているとかの形を作り、色の認識が弱い犬でも認識できる色をつけていきました。そうしたものをまずは1つ描いて、コンピュータで大きくしたり小さくしたりして、その部分からまた続きを描いていきました。

『ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ』(クレヨンハウス)より
『ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ』(クレヨンハウス)より

 本文の12見開き、つまり12枚の絵は、それぞれが独立した1枚の絵のようでもあるけれど、一方でその場面はどこか他の場面でも見たなという色や形の組み合わせになっています。部分だけ見ると虫とか動物に見える絵もあるし、それらが合わさったものもある。実は僕はふだんの抽象画でも同じようなことをやっているのですが。

 絵を先に仕上げて、そこに谷川俊太郎さんが言葉をつけました。どんな言葉が来るかは分からなかったですね。擬音は使ってくるだろうと予測はしていましたが、ストーリーに近いものが出てくるんじゃないかと思っていたんじゃないかな。

――しかし谷川さんから上がってきたのは「ぱぴぷぺぼ」の文字のみで構成された文字列だった。初めて見ると面食らうだろう。ところが声を出して読んでいると、妙にこの文字が「しっくり来る」のだ。

 簡単に言うと、谷川さんが最初の子どもだったんですね(笑)。おそらく谷川少年は絵を見て、「あ、生きものがいる」と思って喋りかけたのでしょう。この2つの生きものが挨拶をして、対話をしているという「情感」を得た。だから、1見開きの絵に当てられた言葉は対話になっていました。

 僕もすぐには谷川さんの言葉を理解したわけではなかったです。ただ、じっと見ているうちに、一見繋がっている文字列が実は主語と述語に分かれているとか、色々な感情が表現されているとかが分かってきた。ズームした絵のコマには「ぽぱー?」と疑問形で質問しているし、興奮して会話のテンポが早くなったりしているところもある。つまり、ここで使われている「言葉」は、僕たちが言語を習得する以前のコミュニケーションとしての言葉なんです。そこには日本語や英語の差もなければ、動物間の違いもない、原始的なコミュニケーションとも言えますね。

 最終的に僕の飼っている犬とか猫にはこの絵本を見せて反応が良かったから、乳幼児も多分見るだろうと思って担当編集さんに渡しました。そもそも猫が絵本を見るなんて誰も信じないでしょうけど、見るんですよ。

――朗らかに絵本の解説をしてくれる岡﨑さんだが、本業は絵本作家ではない。抽象画から立体、ランドスケープまで手がける造形作家であり、美術評論家でもある。昨年は美術評論集『抽象の力』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。岡﨑さんの中で、絵本とはどのような表現ができうるものだろうか?

 美術学校のゼミで、このように絵本を説明したことがあります。

絵本は12見開きなら12見開きの別の記述が存在している。それぞれの記述は独立している。つまり時間空間の連続性、共通性が前提とされていない。あるいはそれが同じ対象を記述しているということも前提とされていない。しかし一方でそれら12見開きには、なんらかの共通性、連続性が確保されていなければならない。

 ページをめくると違う世界が見えてくること、それが絵本の面白さだと僕は思っています。それは生活の中で予想もしなかったことに出会うことと似ている。経験したことのない突然の出来事に出会うことは、子どものほうが慣れています。大人が子どもの絵本を理解できないのは、自分が知らないという事実を受け取れきれない、できれば無視したいという「知識」が邪魔をしているからだと思います。

 絵本では未知の何か、誰かと出くわす設定が多いでしょう。歩いていくと先々で変なもの、キャラに会うのは典型ですね。異質なものに会い、コミュニケーションできなかったのが、だんだん仲良くなるというストーリーも多いけれど、現実でも動物と接触したり、自然と触れ合ったりすれば、いつでもあることです。

 こうして子どもがいつも出くわしている「経験」は非常なインパクトです。他者に出会うとは「他者」が飛び込んで来ること、何かを初めて見たり触ったりするのは「世界」に初めて触れる経験ともいえるでしょう? 絵本のページを開く行為には、そんな出来事の経験が抽象化して組み込まれていると僕は思います。

 絵本は同じページを開くと、いつも同じ「経験」に立ち戻ることができる。真実を語る時の時制が常に現在形であるように、絵本には「現在形」の経験が保存されているわけですね。子ども時代にお気に入りだった絵本を開くと、最初にその絵本を見たときの感覚を思い出したり、当時の自分に戻ったような不思議な気がします。それが絵本が与えてくれる経験の強度だと思います。だから大事な絵本は一生とっておくべきです。絵本を開くと子どもの頃の自分の心がそのままそこにあって、現在の自分に戻ってくるのですから。