人生で二つ、習い事の経験がある。一つは小学一年生から三年生くらいまで通っていた少年少女合唱団。僕はそこの二十期生で、一期生には片岡鶴太郎さんがいたらしい。もう一つは公文式。計算がひどく苦手だった僕の将来を親が心配したのか知らないけれど、四年生のとき、気がつけば週一で通っていた。
あれは忘れもしない小学一年生だったか二年生だったか。日曜日の朝になんとなくテレビをつけたら『キン肉マン』というアニメをやっていた。見はじめてすぐに僕は、「超人」という言葉にグッときて、それぞれが持つ「必殺技」にこうふんし、主人公が格好悪いという事実にきょうかんをさそわれた。当時は「興奮」も「共感」も「誘」も書けなかった。
ただこの『キン肉マン』、毎週日曜日の朝に放送されるのだが、僕は二週に一度、日曜日の朝早くから合唱団の練習に行かなければならなかった。その頃は家に録画機器などなかったので、僕は余儀なく『キン肉マン』を隔週で見ることとなった。物語は点線状に進行していき、見なかった回に起きた出来事は、見た回の冒頭で流れる「おさらい的な映像」から想像するしかない。が、このおさらい映像、もちろんハイライトだけなので、文章でいうところの「行間を読む」みたいなことになってくる。隔週で本編を見て、隔週で行間を読んで想像して……それでも僕はすっかり『キン肉マン』の虜となり、合唱の練習でオデコからソプラノ声を出しながらも、いつも頭の中では超人たちが闘っていた。
四年生になって公文式に通いはじめたとき、夢のような出来事が起きた。
僕たちがバリバリ計算式を解くことになっている部屋は、民家の二階にある和室で、その隣が待合室というか、つぎの授業を受ける子供らが待機する場所になっていた。そこの本棚に、『キン肉マン』のコミックスが全巻並んでいたのだ。僕は毎週、時間よりもかなり早く待機部屋へ行き、誰も見ていないのに一応「あれ?」と壁の時計を眺めるなどした後、本棚の『キン肉マン』を読みあさるようになった。
すぐに、妙なことに気がついた。コミックス版は、もちろんアニメ版に劣らず無茶苦茶に面白いのだが、「見なかったシーン」については、頭の中にある光景のほうがずっと魅力的だったのだ。なぜ魅力的かというと、単純な話で、そっちのほうが自分好みだったから。作者のゆでたまご先生をも凌ぐ、小学四年生による驚異のストーリー展開……ということではない。僕の想像の中で、登場人物たちは、超人でも不可能と思われる必殺技でぶつかり合い、ときには別の漫画のキャラクターが登場して連係プレイを繰り出すなどしていたし、さらには僕もたまに筋肉ムキムキになってそこへ加勢していた。自分好みにも程があるが、小学生の想像なのだから仕方がない。
小説を書きながら、『キン肉マン』の「見なかったシーン」をよく思い出す。読者の想像力を信頼して、書かれていることと書かれていないことを、同じくらい楽しんでもらえるような作品をつくりたいといつも思っている。もしそれが上手くいっているとしたら、間違いなく『キン肉マン』のおかげだろう。