五代目古今亭志ん生。今年は没後46年になるが、音源がいまだに売れ続けているという人気の落語家だ。NHK『いだてん』は、ビートたけし氏演じる志ん生が、1964年の東京オリンピック開催までの道のりを語る形式で展開されている。
戦争中は満州への慰問、終戦後は演芸がラジオとともに民衆に愛され、志ん生人気は爆発した。独特の声の高さ、見た目の愛らしさ、そして流転した修業時代の経験、どれもが噺(はなし)に生きた。芸談や自伝は、弟子の聞き書きによる『なめくじ艦隊』(ちくま文庫・929円)、小島貞二による聞き書きの『びんぼう自慢』(同・950円)など、戦前の貧乏長屋での生活を芸人的な語り口で楽しく読ませるものも長く読み継がれている。が、まずは入り口として結城昌治『志ん生一代』をすすめたい。15歳で家出をしてから落語家になり、貧しさと不遇時代を経て、ようやく評価され愛され始めていくプロセス。借金取りから逃れたり、師匠を怒らせたりして何度も改名を余儀なくされた問題児。決して順調ではなかった落語家人生を活写した一冊だ。志ん生は持ちネタの数も膨大だが、この本で紹介されている複雑な人生経験が、滑稽噺だけではなく、怪談噺も人情噺も可能にさせる語り口を獲得する契機になっていることに気付く。
家族の語る生活
また、近親者による証言も興味深い。志ん生には2人の娘と息子がある。息子はいわずとしれた十代目金原亭馬生と、三代目古今亭志ん朝だ。彼らも父・志ん生を折に触れて語ってはいるが、ここでは志ん生のマネージャーもつとめた長女・美濃部美津子氏の『志ん生の食卓』を紹介する。とにかく酒のイメージばかりが先行している志ん生だが、意外にも大酒飲みではなく、飲むのが早く酔うのも早い様子が語られる。生活が楽になって以降も、納豆や豆腐を好んで食したという質素な生活がリアルに伝わってくる。美津子氏の「やっぱし〇〇」「〇〇っつったのよ」といった語りの味も活(い)きていて読んで楽しい一冊。イラスト入りなのも嬉(うれ)しい。天丼をわざと食べ残して、余った日本酒をそれにかけ、蓋(ふた)をして蒸らしてから食べるという志ん生流の食べ方なども、思わず試したくなる。
怪談もクスリと
志ん生とは対照的な名人像として同時代を生きた八代目桂文楽も語り継がれているが、平岡正明『志ん生的、文楽的』は単なる落語論を超えた文化論的な面白みがある。幇間(ほうかん)や盲人、落ちぶれた士族に勘当された若旦那といった社会的弱者を扱った演目の多い、完璧主義の文楽の落語に江戸の文化や体制の崩壊を読み解く炯眼(けいがん)。一言一句を固定化させる文楽とは正反対に、場の空気によって演じ方やセリフまで変える変幻自在な印象の強い志ん生には、「もう半分」などの怪談をクスリと笑える落語に変換する緻密(ちみつ)な工夫があるとする。「黄金餅」しかり、「藁(わら)人形」しかり。「つるつる」という同一演目の比較論も二人の落語観が出ていて興味深い。あれだけの演目数と質を維持するのを「天才」と片づけてしまう人が多いが、決してそんなことはなく努力の人だ。
志ん生の落語の笑いは、人間のすべての感情をのみ込んでしまう不気味な側面がある。志ん生は永遠だ。しかし神格化し過ぎるのも良くない。立川談志は『談志 最後の落語論』(ちくま文庫・799円)で、志ん生のナンセンスが突然変異でなく、そのルーツは三語楼や金語楼であると指摘した。それまでの落語のエッセンスを凝縮したのが志ん生であるというわけだ。
象徴的な名前であるからこそ、できれば六代目、七代目と、その時代時代の「志ん生」がいてほしい。=朝日新聞2019年6月8日掲載