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「ふるさとって呼んでもいいですか」書評 「労働力」でなく「隣人」として

評者: 武田砂鉄 / 朝⽇新聞掲載:2019年07月13日
ふるさとって呼んでもいいですか 6歳で「移民」になった私の物語 著者:ナディ 出版社:大月書店 ジャンル:社会・時事

ISBN: 9784272330966
発売⽇: 2019/06/16
サイズ: 19cm/233p

ふるさとって呼んでもいいですか 6歳で「移民」になった私の物語 [著]ナディ

 1991年、わずか6歳で、両親と弟2人と共に日本へやってきたイラン人女性が、28年間過ごしてきた日本での日々を綴る。
 イラクとの戦争が終わったのは、わずか4歳のころ。国内経済は悪化し、父の店の経営が行き詰まり、出稼ぎを決意した一家。入国管理局の職員から、出稼ぎならば「日本には入れない。国に帰りなさい」と突き返されそうになるところから、移民としての歩みが始まった。
 イラン人が数多く住む地域にたどり着くも、オーバーステイによる強制送還を恐れる人々は「どうして子どもなんて連れてきたんだ?」と否定的な目を向ける。不安にかられる彼女に、言葉の暴力が次々と突き刺さる。友だちの祖母から目の前で「外国人と遊んじゃだめよ!」と言われ、学校の先生から、イランは「核爆弾を持っているの?」とまで聞かれた。「人間はサルの仲間から進化した」という教育に、親から教わったことと違うと悩みあぐねた。
 興味本位の視線を向けられながら「イラン人らしいイラン人」になろうとしたものの、「中途半端なイラン人」にしかなれない嫌悪感や疎外感を抱える。そんな彼女をほぐしたのは、大人たちよりも子どもたちだった。肌の露出を禁じているイスラム教、ひとりだけサーフィン用の水着を着ていると「なにその水着、カッケーーーー!」とうらやましがり、給食で出た豚肉を避けて食べていると、「ナディちゃん食べなよ」と、彼女が食べられるものを分けてくれる友だちがいた。
 この春施行の改正入管法の議論では、それでもまだ、日本で暮らす外国人を仲間と認めずに硬化する人たちの存在が見えてしまった。著者は「内なる国際化」が必要であり、「労働力」から「隣人」になるために、自分の主張を言葉にすると誓う。「私のふるさとは、日本です」。この一文にたどり着くまでの心の揺らぎが、平易な文体に染み込んでいる。
    ◇
 ナディ 1984年、イラン生まれ。91年に家族で来日し、高校在学中に定住資格を獲得。都内の企業勤務、2児の母。