——原作はどのように読まれましたか。セリフは原作とほぼ同じなんですよね。
柄本:驚いたのは、セリフが同じでもちゃんと荒井監督の味が出ていたことです。監督のセリフって普段話す言葉と全く違って、硬いんですよ。原作に硬さがあるわけではないのにね。今でも不思議です。
瀧内:原作は詳しく心情が描かれています。脚本を先に読んでいたのでストーリーはつかめていたのですが、直子役を演じる上での手助けになりました。
——出演者が2人だけということで、特に大変なことはありましたか?
柄本:秋田での撮影の10日間はずっと喋りっぱなし。2人だけだと、こんなにセリフが多いのかと思いました。
瀧内:しゃべり過ぎて、夜になると喉が痛くなることもありました。あと、大変なことと言えば、動作や仕草が細かく決められているので、その動きを覚えることに苦労しました。濡れ場のシーンも全部動きが決まっているんです。
——そんなに細かいと、感情がのせられないっていうことはなかったですか?
瀧内:それはなかったですね。
柄本:相手がこう動いたら自分はこっちにという感じで、濡れ場といってもアクションシーンに近いものがあります。あと、瀧内さんが「さあ、どうぞ」という感じでどしっとされていたので助かりました。
瀧内:初日の撮影のとき、緊張して右手がふるえちゃったんです。そうしたら、柄本さんが「こっちにおいで」って言って、ぎゅっとしてくれて。それで気持ちが楽になりました。
——現場はどんな雰囲気でしたか?
柄本:役者もですが、スタッフ全員が荒井組にいるんだという幸福感がありました。ワンシーン撮るごとに荒井監督の新作完成に近づいているという共通の気持ちを持っていたと思います。
瀧内:私は、最初は少し部外者っぽい感じがありました。監督は、「佑のことは昔から知っているけれど、君のことはよく分からないからねえ」と。だから、最終日に荒井さんに「瀧内には幸せになってもらいたいんだよ」って言われたときには、ウルっとしちゃいました。
柄本:監督はね、シャイなんですよ。まだ撮影が始まったばかりのとき、2人で歩くシーンがあったんです。「こうやって歩いて」って言うだけなのに、「佑、ちょっと伝えておいてくれないかな」って。「いや、それはご自分で言ってください」って返事をしたら、真っ赤になりながら、瀧内さんに伝えていました。
——年齢設定が原作よりも若いですよね。原作では賢治が40歳前後、直子が30代半ばでした。少し若い柄本さんと瀧内さんが演じることで、男女の愛を描きながらも青春映画のような爽やかさがあったように感じました。
柄本:若くなることで重くなり過ぎず、抜け感が出たんじゃないでしょうか。見てくれる人の年齢層も広がったんじゃないかな。上の世代の人には、青春映画を思い出すような、下の世代にはあこがれみたいなものを感じてもらえるのではと思っています。
瀧内: 私自身、演じていて心と身体がつながっている気持ち良さがありましたね。本能のままに生きる大切さを感じました。この映画で描いていることは、エロスだけじゃなくて、自分がどう生きたいのかだと思います。映画を見た20歳の友達に、「高校のときの彼氏に連絡を取りたくなった」って言われたんですよ。伝えたいことが届いたような気がして、嬉しかったです。
——普段はどのような本を読みますか?
柄本:映画関係の本を読むことはあります。蓮實重彦さんの映画論集『シネマの記憶装置』は、エッジが効いていて、大好きです。
瀧内:私は女優の藤山直美さんが好きなんです。どんな方か知りたくて、藤山さんのエッセー『わたし、へんでしょ?』を読みました。繰り返し読んでいる大切な本です。
今は、中島らもさんの小説『ガダラの豚』を読んでいます。先が読めなくて、「次はどうなっちゃうの?」ってハラハラしちゃう。読書をすることは旅してるようであり、ふと現実とは違う場所に連れて行ってもらっています。