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走り高跳び世界ランキング1位・戸邉直人さん 恩師と出会えたから、今の自分がある(後編)

文:渡部麻衣子 写真:斉藤順子、競技写真は©朝日新聞社

>戸邊選手が漫画「ONE PIECE」の魅力を語る前編はこちら

競技と研究 走り高跳びにひたすら没頭した大学生活

――筑波大学では、競技に打ち込む傍ら、より高く跳ぶための研究に没頭。同大大学院では走り高跳びをテーマにした博士論文をきっちり仕上げ、その直後に出場した大会で2m35cmの日本新記録を出しました。

 「競技もやっているのに、さらに研究までしてしんどくない?」って当時はよく聞かれたんですけど、競技をするときと研究するときとでは頭のスイッチが切り替わる。ぜんぜん別の角度から走り高跳びを見ているので、違うおもしろさがあるんです。競技の息抜きとして研究をやり、研究の息抜きとして競技をやるみたいな感覚でした。

――本当に、走り高跳びが大好きなんですね。

 そうですね(笑)。練習をして、その内容を分析・研究して、それをまた競技に生かしていくのが僕の走り高跳びとの向き合い方で、その土台を作ってくれたのが、大学時代の恩師の図子(浩二)先生。先生はよく「エビデンスベースでやるように」とおっしゃっていたんですけど、それがすごく僕に合っていた。トレーニングをするときは、常になぜそれをやる必要があるのかしっかりとした根拠をもって取り組むようにしています。

――戸邉さんの大好きな『ONE PIECE』の登場人物も、出会うべき人に出会うべきタイミングで出会っています。戸邉さんの競技生活においても様々な出会いがあったと思いますが、とりわけ図子先生との出会いは特別でしたか? たとえば、ルフィにとってのシャンクスのような存在というか……。そう言うと少し大げさでしょうか。

 いえ、そんなことないです! ルフィがシャンクスに憧れたように、僕にとっての図子先生も本当に大きな存在で、人生の師。先生がいなかったら今のスタイルも無いですから。

競技人生で一番難しい時期だった、リオ・オリンピック落選直後

――現在世界ランキング1位(2019年9月20日時点)。極めて好調に見えるのですが、ご自身では現状をどのように感じていますか?

 これまで病気をしたりケガをしたりと、そのときどきで大変なことはありましたが、今は世界のトップレベルで戦えるようになった。そういう意味では順調にきているなと感じています。

――最も大変なときというと、16年のリオ・オリンピック頃のことでしょうか。戸邉さんは出場を確実視されながらも、日本選手権で奮わず代表の座を逃しました。

 あの頃は、僕のこれまでの競技人生の中で一番難しい時期でした。その年、僕はケガをしていたのですが、日本選手権直前に図子先生も亡くなってしまって……。ダブルパンチのような状態の中、リオ出場も叶わず、とても落ち込みました。

――マインドをプラスへ持っていくために、どんなことをしましたか?

 次のオリンピックという大きな目標はあえて見ないようにして、とりあえず毎日競技場に行っては体を動かし、目の前の小さな課題を一つひとつ乗り越えていくことに意識をフォーカスしていきました。すると、だんだん「もっと高く跳びたい」という気持ちが戻ってきた。そうやって徐々に回復していった感じです。

――戸邉さんの自己ベストは2m35cmで、リオの金メダリストの記録は2m38cm。もうすぐ手が届きそうですが……。

 その数cmが大きいんですよね。世界ランクも1cmで3つ4つ変わるので、自分が目標としている高さのバーを前にすると、どうしても跳びたいという欲が出て、無意識に助走のスピードが速くなったり、踏み切りで力んだりしてしまう。跳びたいときほど欲を消し、具体的に自分が今なにをすべきかに意識を集中するようにしています。

――日本人にとって、走り高跳びはオリンピックの表彰台が遠かった競技。初のメダル獲得に向けて、周囲の期待も大きくなっていると思います。

 僕は期待されることがもっと高く跳ぶためのモチベーションになるタイプです。開催地が東京に決まる前から、20年が競技者として一番いい状態で迎えられるオリンピックだと意識してきたので、そこで金メダルをとりたいという気持ちも強いんです。
 踏み切り位置をもう少しバーから離せられれば、安定していいジャンプができるはず。しっかり調整して、9月の世界選手権でもメダル獲得を目指します!

>戸邊選手が漫画「ONE PIECE」の魅力を語る前編はコチラ