最近は学術書もおしゃれな装丁で手に取りやすいものに
――大学出版部協会とは、どういう組織なのですか?
日本全国に大学出版部と名のつくところは、おそらく70くらいあると思います。そのうち外に向けて市販するという形で出版を継続的に行っている28社が、大学部出版部協会に加盟しています。
大学出版のもっとも重要な使命は、大学における研究や蓄積された「知」を社会に開くことです。ただ、1つひとつの大学出版部は小さく、それほど大きな力は持っていないので、まとまることによって理念を共有し、より力を発揮しやすい環境をつくっていくため、1963年に設立されました。
大学部出版部協会のもう1つの大きな使命は国際交流です。学問に国境はないので、出版においても、知を日本の社会に開くだけではなくて、さらに外に向けることを意識しています。たとえば韓国の大学出版部協会との交流は、すでに40年近く続いています。中国の大学出版部とも継続的に交流をしています。
――この56年間に、どのくらいの本が出版されたのでしょう。
協会加盟社が1年間で出版する新刊点数は最近だと700点くらいでしょうか。これまでの累計ですと3万点くらい刊行されているかもしれません。
出版のうちわけは各出版部によっても違いますが、全体で見ると、学術書が全体の半分くらいだと思います。2割から3割が大学生向けの教科書で、残りが一般向けの本だと思います。
学術書の主たる読者は、研究者です。また、大学図書館は日本に大小あわせて800くらいあり、本によって違いはありますが、だいたい100から300ヶ所で購入していただけています。
――学術書に関して、最近、何か新しい傾向はありますか?
最近大きく変わってきたなと思うのは装丁です。その昔は学術書というと、箱入りのそっけないものが多かった。最近はどの大学出版部の本も、優秀なデザイナーの方のご協力をいただいて、けっこうおしゃれなものが多くなってきました。ですから、イメージ的に一般の方も手に取りやすくなっています。
作り手としては、どんなにハードな学術書であれ、その分野のコアとなる読者だけではなく、もう少し幅広い人たちに読んでもらえるような工夫をしています。ですから、研究者以外の一般の方も、丁寧にゆっくり読んでいただければ読み通せると思います。
――幅広い人たちに読んでもらえるよう、具体的にはどんな工夫をしているのでしょう。
文章をいかに読みやすくするか。目次建てがうまく構成されているか。編集者が原稿を読みこんだ上で、著者にさまざまな提案も行い、共同作業で作っていきます。
導入部の序章などは、全体像を見渡せるように、相当労力をかけて先生に書いてもらったりするケースが多いので、そこを丁寧に読んでもらえると全体を理解しやすいと思います。
組版のレイアウトにもかなり意識を向けています。1ページにどれだけの字数を入れるか、余白をどのくらいとるかでも、読みやすさや印象が違ってきます。
書店などのフェアでは、自分たちが出したおすすめしたい本を中核に、大学出版部の本だけではなく複数の他社の本も組み合わせて紹介するといった取り組みもしています。著者にお願いして、おすすめの本のブックリストをつくり、それを小冊子にして店頭に置くこともあります。
この本から入ると、こういう地平がありますよということを、視覚的にも見せる工夫は重要です。大手の書店などでは、よくそういうフェアをやっています。
学術書は過去の知の蓄積の上になり立っており、かっこよく言うと、総合芸術のようなものだと思います。そういうことを想像してもらえると、おもしろく見てもらえるのかな、と思います。
――学術書や教科書以外の一般の方向け書籍は、どのような視点で取り組んでいるのでしょう。
広い読者に向けての本は、学術書とはテーマの立て方も中身の作り方も変わってきます。基本的には、読みやすい文体で書くことと、そしてテーマが明確で、しかも学問的知見をベースにしたものが中心です。
たとえば慶應義塾大学出版会は、作家の評伝や小説なども出しており、最近では井筒俊彦さんのアンソロジーなど重要な著作を出しています。東京大学出版会で最近刊行した『モアイの白目』『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』など、一般の人が読んでおもしろい視点で書かれたものが刊行されています。
ちょっと前になりますが、小説仕立てで言語学の先端の理論が理解できる本も刊行されています。著者の先生方もさまざまな仕掛けを組み込んだ書き方をしてくれています。
最近、動きが良いのが、健康やスポーツなどに関する本です。『スポーツ栄養学』という本は、エンゼルスの大谷翔平選手も読んでくれたと聞いています。
書店店頭には多くの健康書があり、中にはややあやしいものもありますが、大学出版部では、きちんとした科学的な知見を踏まえて作っているので、信頼を得られると思っています。
――一般向けに広く開かれた書籍を作るのは、最近の傾向ですか?
以前から一般読者を意識した本作りもしてきましたが、ここ最近、確かに増えてきています。やはり、以前より学術書が長い寿命を保てなくなってきたことの影響があるかと思います。
書店さんも減り、学術書が目に触れる機会も減ってきているので、どうしても部数を絞らざるを得ない。経営的に考えると、多くの人に手にとってもらえる本も、がんばって作らなくてはいけない。簡単ではありませんが、それをどう組み合わせるかが重要だと思います。
――最近はテレビ番組でも、「知」をエンターテイメントにするものが増えています。そういう点を考えると、まだまだ成長可能な分野かもしれませんね。
テレビの影響はまだ大きいと思います。知的バラエティ番組などで活躍されている先生の著書はやはり一定以上の部数が見込めると思います。
1994年に東大教養学部のサブテキストとして作った『知の技法』という本は、NHKの日曜日朝のニュースで取り上げられたのがきっかけでブレークし、いまだに売れ続けていて累計で46万部を超えています。そういう何かきっかけがあれば、けっこう難しい本でも、皆さんに手にとってもらえる可能性はあると思います。
――やはり、パブリシティ活動は重要ですね。
最近、難しい本でも、著者がSNSで発信することで売れる場合もあります。著者にたくさんフォロワーがついている場合は、そこにみんな参加したいという欲求があるのかもしれません。
SNSでインフルエンサーみたいな人が評価してくれると、わりと広まるケースがあります。
今後、WEBベースのプロモーションは、学術書でも重要だと思います。ですから主体的に何か仕掛けていければいいなと思っています。すでに大手出版社ではなされていますが、著者を映像で紹介していくといったプロモーションも考えていきたいです。
中国、韓国の出版部とも積極的に連携
――国際交流も目的の1つということですが、国際交流の中から、本が生まれることもありますか。
中国や韓国で出版された専門書の翻訳出版は増えてきています。そうした取り組みは続けていきたいと思います。ここ数年、北京国際図書展に大学出版部協会のブースを出展していますが、それも継続していきたいです。
中国や韓国の大学出版部からは、「一緒に何かやりましょう」という提案はたくさんいただいています。ついこの前も、釜山で開催された韓国大学出版協会との合同セミナーでも「交流叢書」を作れないか、ということが議論されました。それを現実化するにはさまざまなハードルがありますが、さまざまな条件を整えて、できるだけ前向きに取り組んでいきたいと思います。
英文での出版はずっと求められています。やはり英語にしないと、なかなか世界では気づいてもらえません。東大出版会では、現在のところ、年間2点くらいの英文書を刊行していますが、残念ながらそれでは不十分です。
英文出版を拡大していくためには、やはり専従の英語ネイティブの編集者も必要ですが、採算を考えると非常に難しい。京都大学学術出版会はオーストラリアの出版社と連携し、かなり頑張って英文出版を継続していますが、今の時代、紙にこだわらず電子だけで流通させるという方法もあるので、さまざまな方策を組み合わせて、考えていけたらと思います。
――中国や韓国との交流のなかで、何か感じることはありますか?
中国の「一帯一路」政策の是非はともかく、それによって人がいろいろ交流し、動いています。北京国際図書展などに行くと、中東や東ヨーロッパ、中央アジアの人たちがいっぱい来て交流をしていますが、長期的に、そういうことは効いてくるのではないかと思います。
人が顔を合わせて関係を作っていくことは、やはり強い力になります。日本では東京国際ブックフェアもなくなり、そういうことがうまくできていないので、危機感を感じています。
ただ、日本でもそれぞれの大学では、国際的な連携はかなり進んでいます。たとえばある東京大学のプロジェクトでも、10年くらいの計画で北京大学やソウル大学などと連携し、若手の研究者を育てようとしています。なおかつ、東アジアで一緒になって物事を考えようと取り組んでいます。
大学出版部の立場としては、そこから生まれる成果を出版することによって、何か社会に対してインパクトあるものを作っていきたい。それができれば、大学出版部というものに対するイメージも新たになるかもしれません。
最先端の地平を覗けるのが編集者の醍醐味
――黒田さんはご自身、一編集者として、たくさんの本を作ってこられました。大学出版の編集者の面白さとはなんでしょうか。
私たちは普段から大学の先生方の研究について知る機会もあり、その中でどういうものをピックアップして出版するのかを、常に考えられる位置にいます。世に出る前に「これはすごいな」と思ったものに触れる時は、けっこう興奮度が高まります。
たとえばまだ知名度は高くないし、この先どうなるかまだわからない段階で、おもしろい研究を発見することもできます。それを学術書としてきちんと出すことで、将来的にその人が活躍していくきっかけになることもあります。
そんなふうに結果につなげられるのが、まさに醍醐味ですね。「最初に見つけたのは私だ」とまではいいませんが(笑)、後から振り返り、「あのとき、一緒に苦労して作って良かったね」と著者の先生と語り合える経験は、私もいくつかあります。
――昨今、研究者の環境は決して恵まれているとはいえません。それだけに余計、応援する気持ちが湧くのかもしれませんね。
昨今、先生方は研究費の確保にも多くの労力を割いているうえに、雑務に追われて本当に忙しい。中国や韓国の大学に行くと、如実に差を感じます。研究に集中する時間とお金の支えがあれば、もっと日本の研究者の方々は多くの重要な成果が出せるのにといつも思います。それが残念です。
若い研究者で優秀な人は、本当に大勢います。大学出版部という立場でできることで、そうした方々をなんとか応援していきたいですね。
――大学の先生を相手にする大学出版部の編集者は、一般出版社の編集者より、より高度の知的レベルを要求されるのではないでしょうか。
最近は大学院を経て入ってくる人が増えていることは確かです。博士課程を経て入ってくる人もいます。
とはいえ、そういう経歴もない私でもなんとかここまでやってこられたわけですから(笑)、学問を尊敬していて、知的好奇心が旺盛で、こういう本を作りたいという熱意がある人なら、やっていけるのではないかと思います。
いろいろ興味を持って先生方のお話を聞くと、やっぱりおもしろいですから。おもしろければ人間、何をやっても続くと思います。
ひとつアドバイスがあるとしたら、いろいろな分野の本を読んだほうがいいとは思います。昔読んだ本が、ある瞬間、仕事で役立つことは、私自身、よくあります。
自分の場合、普段からいろいろなものに興味を持って、さまざまな分野の本を読むようにしています。でも、無理して仕事のために読むというより、読書の楽しみと仕事が融合している感じですね。あとは耳学問も大事です。
――学問は積み重ねがある一方で、どんどん進歩もしていきますよね。変化もします。それも常に追っていないといけないんですね。
理系の最先端なんか、想像力をはるかに超えた世界が開かれています。たとえば量子力学の最先端とか、素粒子物理学の最先端などは、それこそ私のような凡人の想像力が追い付かないような分野です。文系でもけっこう、大きな社会の変化に呼応して、従来のさまざまな概念の捉え直しがさまざまに行われています。そういったものを追いかけるのは、確かに大変かもしれません。
ただ、最先端の地平を覗くことができるのは、わくわくすることでもあります。普段から先生方の話に耳を傾けながら、必死に考え、不思議に思ったことを質問すると、先生方もいろいろなことを言ってくださる。その中から「これはおもしろそうだ」と引っかかるものがあれば、「こういう方向でまとめられませんか?」と提案することができる。それが、大学出版のおもしろさでもあり、魅力だと思います。