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内田百閒「サラサーテの盤」 言葉は虚もつかまえる 福音館書店・岡田望さん

 高校何年だったか、夜中にテレビで妙な映画をやっていた。映りが一番よくなる位置を探して、室内アンテナを上げたり下げたりしながら観(み)たその映画には、原作というか、モチーフとなった小説があるということを本編の前か後ろに流れた解説で知った。しばらくしてから、いつも行く本屋の、いつもなんとなく眺めていた棚に『サラサーテの盤』を見つけた。

 亡くなった友人の細君が、繰り返し「私」の元を訪ねてくる。そしてそのたびごとに、取り立てるようにして、私が友人から借りたままになっていた本を持ち帰る。幾度目かの訪問の時、サラサーテ自らが演奏しているチゴイネルヴァイゼンのレコードがあるはずだから、それも返してくれと言われて捜してみるのだが、見つからない。

 描写は決して曖昧(あいまい)ではないのに、描き出されたものはとりとめがなく、延々と続く薄明の中にいるようで、落ち着かない不安な心持ちになる。人と人との関わりは常に機能不全を起こしている風なのだが、油断していると、すれ違っていたものがふっと交差する瞬間があって、ぞっとする。天気は悪い方によく変わり、光の出所は判然とせず、その光は影や暗がりのためにあるような気がする。

 虚とか実とか、そんなことはもうどうでもよくなって、そもそも言葉は常に虚をその内にはらんでいるんじゃないか、言葉が摑(つか)まえているのは現実ではないんじゃないか、気づいたら生まれていたそんな考えは、今もことあるごとに頭をもたげてくる。=朝日新聞2019年12月25日掲載