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「奥東京人に会いに行く」大石始さんインタビュー 東京周縁の多様性とダイナミズムを見つめる

文:篠原諄也 写真:斉藤順子

ディープなものに触れて風景が一変する

――本書では東京の周縁を「奥東京」と名づけていますが、なぜこうしたテーマで執筆したのでしょう?

 もともと東京で古い習俗に触れられることは少ないと思っていました。祭りなど伝統行事で見るべきものは、九州・南西諸島や東北の方にあると思っていました。でもある時、自分が住む吉祥寺に関する新聞記事に触れて衝撃を受けたんです。「いせや」という焼き鳥屋の改築工事中に、旧石器時代の住居が出てきたとありました。そこには火を使った調理場があり、当時の住民も同じようになにがしかのケモノを焼いて食べていたというんです。

 普段「いせや」で飲んだくれている人間としては、歴史がいきなり何万年も前にぐわーっと引き戻された感じがありました。凄く面白いなと思った。それで吉祥寺を色々調べてみると「いせや」の近くの井の頭池では、水の神様の弁天様が祀られていて、周辺の農村の人たちが雨乞いをするなど、宗教的な意味のある場所だったことも分かってきました。

 ある土地の歴史を掘り起こしていくと、僕の知っている東京じゃない「なんだこの世界は!」という驚きがポコポコと出てくる。それをひとつにまとめた本ができないかと思いました。自分の知らない東京に触れてみたいと思って、周縁というか端っこの部分を巡ってみようと考えたんです。

――「山・川・海・島」をテーマに様々な場所が取り上げられていますが、大石さんはどんな場所に面白さを感じますか?

 その土地のことを知ることによって、景色の見え方が変わってしまう。そういう場所に一番関心があるかなと思います。例えば羽田というと、国際空港がある所という以上の知識はありませんでした。でも、調べてみると(水難者の供養をする)「無縁仏」を祀っている風習のある地域で、風景の根っこに「死の匂い」がある。死が横たわっていて、それに対して手を合わせる感覚が今も日常的にある。そういうことを知ると、何か凄くディープなものに触れて、景色が一気に変わっていくような感覚があるんです。

他の地域に繋がるダイナミズム

――「東京の海」の章では、東京最古と言われる佃島の盆踊りを取り上げていました。盆踊りも目の前の風景がガラッと変わる瞬間があるとのことですね。「死者たち」も一緒に「ステップを踏んでいる」と書いていたのがとても印象に残りました。

 ご先祖さまの霊、土地の霊、山や海の神様など、今この場にいるものと違う何かとの交流というのでしょうか。目に見えないものも含めて一緒に踊る。佃島の盆踊りや秋田の西馬音内盆踊りなど、わりと古風なものに行くと、目の前で踊っている人たちのご先祖様の祖霊と一緒にいるような感じがします。僕は霊感があるわけではないんですけど。

 一年でお盆の時期だけに帰ってくるその人たちを迎える。その姿勢が土地の人たちの感覚に無意識の中にあるんだと思います。だから怖いものというよりも、ちょっと安らぐというかホットする感じがある。僕が死んだ後も盆踊りに遊びに行けるのかなと思うと楽しいんです。

――大石さん自身が一緒に踊るからこそ分かる感覚なんですね。

 いやあ、踊りたくなっちゃうんですよね。踊ってみると分かることがあるかなっていう。例えば佃島の盆踊りは片方の手足が同時に出る瞬間があるんですね。外からみると凄く踊りにくそうに見える。普通に僕らが歩く時の両手両足の交互の動かし方って、明治以降に西洋から持ち込まれた身体性がベースにあるんです。そうした身体性にしていくために、体育で行進があったりして身体を去勢していったところがある。

 僕らは完全に西洋化された中で生まれ育っているので、佃島の盆踊りは最初は違和感しかないんですよ。クラブミュージックやヒップホップなどの踊り方とも明らかに違う。でも何周か一緒にまわっていると馴染んできて、自分の中にある西洋化されない「なまり」みたいなものがジョワっと出てくる。去勢した身体をもう一回解放していくみたいな感じがあるんです。

――大石さんはそうした盆踊りなどの取材のために日本各地をまわっているとのことですが、今回「奥」であったとしても、東京という場所には何か特徴はありましたか?

 都市部どこでも言えることかもしれないですけど、凄く多様性のある場所だということです。人の出入りが積み重なって歴史となっている。凄く多層であり、かなり複雑なルーツが横たわっている場所だと思います。

 例えば佃島について調べるとルーツを摂津(大阪)に辿ることができたり、奥多摩の取材をすると山梨に繋がるラインが見えてきたりとか。東京のことを調べながら、他の地域への線が見えてくる。それが凄く面白いことだなと思います。

――佃島に最初に住んだのは、江戸時代に摂津(大阪)から移り住んだ人々だそうですね。

 色んな説があるんですけど、ひとつ言えるのは徳川家康が江戸を開く時に摂津から漁師たちを連れてきたことです。摂津で家康に船を出して手助けをしたので、恩返しのために江戸に連れてきて、特権的に漁業権を与えたとされています。でも実際は摂津では、海を自由に行き来できる人たちなので、海賊として諜報活動、要するにスパイをやっていた。家康はそれをひとつの戦力として連れてきたんじゃないかという話があります。中沢新一さんが『アースダイバー』で書いていたことでした。

 さらに摂津の漁師たちはもともと瀬戸内海の方から来たという話もあります。佃島の盆踊りの歌は、瀬戸内海一円の古い盆踊りの歌と共通性があるんです。そうやって考えていくと、狭い場所からでもどんどん広がっていく。凄くロマンを感じるところですね。

――大石さんはフリーライターになる前に1年間海外放浪をしていたそうですが、海外を見た目でもう一度日本を再発見するようなところがあるのでしょうか?

 それは凄くあります。例えばカリブ海の島々はアフリカから来た人たちと、島によっては先住民やヨーロッパから来た人たちの文化が混ざり合って音楽ができている。さらにニューオーリーンズから影響を受けたりする。盆踊りや民謡もまさにそういう風に島から島へ、土地から土地へ伝わっていく中で、独自のものに発展していく。僕が昔から大好きだったカリブやアフリカと歌の進化の仕方が本当に一緒だなと感じる。そのダイナミズムが一番ワクワクするところですかね。

これからの時代の「郷土愛」

――「東京の島」の章では、伊豆諸島の青ヶ島の人々を取材する中で「郷土愛にも似た土地への思い」が見えてきたとありました。取材を終えて「郷土愛」とはどのようなものだと思いますか?

 この本の取材をしながらずっと考えていたことでした。そこで生まれて育つことによって自然とインストールされるものではなく、自分の中で育んでいくものだと思いましたね。例えば、青ヶ島に行くきっかけになった友人の荒井康太君のおじいさんは、もともと板橋区の出身で奥様が島の人で結婚して島に行った。当時は電気も通ってなければ、車もなく牛で荷物を運ぶような時代だったそうです。島の人たちは非常に閉鎖的なコミュニティの中で暮らしていた。

 でも板橋に戻ることなくずっと住み続けて、最後まで島の人間として人生を終えた。そのおじいさんはまさしく青ヶ島に対する郷土愛を持っていたと思うんですね。島の人たちと触れ合ったり、島の土を耕して農作物を育てたり、自分で能動的に向かい合っていく中で、それが育まれていったんだろうなと思いました。

 僕は東京の東池袋で生まれて埼玉の川越で育って今は吉祥寺に住んでいます。いわゆる故郷と言える場所はどこにもないと感じていました。でも自分も東京に対する郷土愛を育んでいけばいいんだと思えるようになった。今住んでいる場所が自分の故郷と言わないまでも「自分の場所なんだ」と思えるようになりました。

――今年はオリンピックもありますが、これからの東京はどうなっていくと思いますか?

 どうなっていくでしょうね。ここ数年は特にそうですが、海外からの外国人観光客や労働者が入ってきている。東京は江戸時代から多様性のある場所だったと思うんですけど、それがより強まっていくんだろうなと思います。

 これからは移住してきた人たちや日本にルーツがない人たちも含めた集合体として、東京がどのような郷土愛を育んでいけるのか。それが凄く重要なことじゃないかなと思います。東京生まれじゃないと「東京人じゃない」「郷土愛を持つ資格がない」とはまったく思いません。愛着を持てれば、皆「東京が故郷だ」と言っちゃっていいんじゃないか。

 実際そういう風になっていますね。両親の生まれは中国や韓国だけど、自分は東京生まれで「自分の住む場所はどこか」といったら「ここだ」という人たちがたくさんいる。これからもどんどん増えていくと思います。そういう意味で「東京人」という考え方自体が再編されていくべきじゃないかなと思っています。