大邱を襲ったコロナウイルス
韓国南部の都市・大邱市は、ソウル、釜山に継ぐ第三の都市として古くから栄え、朝鮮戦争の戦火から逃れたため、古くからの建物が残る。夏は暑く冬は寒い盆地で、電子メーカーサムソンの生まれた土地であり、ワールドカップや世界陸上の開催地として知られている。
そんな大邱は、2月末の集団感染をきっかけに、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の猛威にさらされた。累計で7000人近い感染者が発生し、韓国国内の感染者数の過半数を占めた。中国以外の国での、はじめての感染拡大地域であり、大邱の市民たちはほとんど前例のない中での対応を迫られた。
緊急出版された『新型コロナウイルスを乗り越えた、韓国・大邱市民たちの記録』(申重鉉編、CUON編集部訳)は、様々な立場の大邱市民51人が筆を執り、コロナウイルスとどのように向き合ったのかを綴ったエッセイ集だ。
軽症患者を受け入れて治療する「生活治療センター」をゼロから用意することになった市役所職員は、「地面にヘディング」(無謀なことに挑戦するという意味の韓国の言い回し)な状況だと思いつつも、「危機に直面するのも人だが、危機を直面するのも人なのだ」と自分を励まし、155人が2週間生活できる施設の運営にあたる。
ニュースの手話通訳士は、危険を認めながらも、マスクをしない。表情が重要な役割を担う手話においては、「顔を隠すことは、口を閉じて話すことと同じ」なのだと綴る。コロナをきっかけに、韓国では新型コロナウィルスのブリーフィングに手話通訳士がつくことになったという。
ブックカフェの店主は、マスクを二枚重ねながら、営業停止中の店の観葉植物に水やりをしにいく。薄暗い店内を見て、常連たちの姿を思い出す。旅行会社の代表は売上がゼロになり、アルバイトをしながら再開できるまで耐え抜くことを決意する。
定食屋の店主、クリーニング屋、ビューティサロン経営者、銀行員、スーパーの店長、図書館司書、花屋、教師、軍隊を除隊したばかりの青年、主婦、詩人、作家……市井の人びとの生活がどのように変わり、どのようにその変化を受け止めたのかが、この本にはぎっしりと詰まっている。
現在、大邱は感染拡大のピークを乗り越え、抑え込みに成功している状況だ。「危機を先に経験した人たちからのアドバイスとして、日本の方に読んでほしい」と話すのは、本書の翻訳・出版をしたCUON代表の金承福(キム・スンボク)さん。
CUONは2007年から、韓国文学の翻訳と出版を行う出版社であり、東京・神保町にあるブックカフェ「チェッコリ」の運営や、翻訳コンクール、翻訳講座、文学をテーマにした韓国旅行の主催など、幅広い取り組みを行っている。韓国で4月20日に発売された本書を、5月4日には翻訳してPDFで配布を開始した。異例のスピードで翻訳・出版した経緯とその思いについて、金さんにお話をうかがった。
異例のスピードでの翻訳
――出版の経緯を教えてください。
大邱にある出版社・学而思(ハギサ)の社長である、申重鉉(シン・ジュンヒョン)さんのFacebookの投稿で、この本をつくっていることを知りました。それが4月18日のことです。日本語に翻訳したいとお願いし、PDFの原稿をいただきました。
大邱の市民たちの賢い過ごし方、人を大事にする気持ち。原稿を読み、本当に感動しました。早く日本で出版したいと思い、私達の仲間、翻訳ができる人たちに声をかけ、翻訳し終ったのが4月30日。デザイナーさんたちにもご協力いただいて、5月4日にはPDF版の販売をはじめました。
――おおよそ、10日で翻訳が終わったと。すごい早さですね。どのようなメンバーで翻訳をしたのでしょうか?
プロの翻訳者の方もいますし、私達は翻訳スクールや、翻訳コンクールを行っているので、そこのメンバーや入賞者の方にも声をかけ、25名のチームで取り組みました。早く出すことだけが目的ではありませんが、日本の人たちにスピーディに届けたかったので。
――日頃に積み上げてきた活動が、この早さにつながったと。
ふふふ、そうとも言えるかもしれません(笑)。
――大邱の出版社とは、もともと交流があったのでしょうか?
韓国では出版そのものがソウルに集中しています。日本も東京に集中していますよね。そこで各地域の出版社が「地域出版連合会」をつくっていて、年に一度行われているブックフェスティバルを行っています。
水原(スウォン)で行われた2018年の大会の際に、CUONも呼んでいただき、東京で韓国の本を出す意義や、どのような活動をしているのかをお話ししました。そこからの縁で、皆さんが東京に来る時には、必ず私達のブックカフェ・チェッコリに寄ってくれるようになりました。学而思の社長である申さんもその一人です。
去年の10月には、私達が主催するツアー「文学で旅する韓国」で大邱へ行き、学而思も訪れました。大邱の詩人や小説家の方、学而思の主催する書評サークルの方、難民支援のNPOの方、本屋を立ち上げた学校の先生たち……本当に様々な出会いがありました。あと申さんには、昼ごはんもおごってもらいましたね(笑)。原稿を読んだ時に、大邱で出会った人たちの顔が、思い浮かびました。中には実際に、寄稿されている方もいます。
――原稿を読まれた時にどう感じられましたか?
大邱市民たちの記録を読んでいると、自分たちができることを見つけている人が多いですよね。例えば図書館では、ドライブスルー方式で本の貸し出しを行っていますし、あるカフェでは医療者の人たちに美味しいコーヒーを差し入れています。そのように、みんなが出来ることをして、しかも様々な人たちと連帯している。コロナだから社会的な距離を置かなければ行けないけれども、人と繋がることが出来るのだと思いました。
困難の時に一番慰められるニュースは、みんなが助け合っているシーンを見ることだと私は思います。勇気づけられるし、自分にもできるようなことをやろうという気持ちになる。そうした内容がこの本にはたっぷり入っています。危機を先に経験した人たちからのアドバイスとして、日本の方に読んでほしいし、希望を持ってほしいです。
――CUONが運営するブックカフェ、チェッコリも改装したばかりですよね。
3月1日にお店を少し広くして、30人座れたスペースを50人に広げました。チェッコリでは毎月、10~12本のイベントをやっていますが、3月に入って、講師の判断でほとんどのイベントがなくなりました。4月6日からは、お店もクローズしています。4月も5月もいまとのころイベントは企画できていません。
有料のイベントの売上と、そこで関連書を売ることで収益を得る仕組みだったので、イベントがなくなると収入も販売代もなくなりました。今はインターネットでの販売を強化しています。実は、以前より地方の人たちがイベントに参加したいと言っていて、オンラインでやる仕組みをコロナ以前から準備していました。4月に数回、実験的に無料のイベントを企画し、5月からは有料のオンラインイベントを実施する予定です。とはいえ、以前のようなペースではできないと思います。
でもそんな中でも自分たちが出来ることがあります。韓国のことが気になる人たちに、自分たちのネットワークで、本を届けることができる。大邱の人たちの連帯だけではなく、今回の緊急出版を通して、私達にも様々な仲間たちがいることを再確認しました。この人たちと今まで仕事をしてきてよかったなという感じ。こういう時に、相談出来る人がいて、みんなが応えてくれる。とても嬉しかった。やっぱり、人ですね。本当にそう思っています。
奪われた春
大邱出身の抵抗詩人である李相和(イ・サンファ)は、日本支配からの解放を望む三・一独立運動(1919)に呼応して大邱で独立運動を起こした。1926年に彼は「奪われし野にも春は来るか」という詩を残している。朝鮮の田園風景の、春の美しさをうたうこの詩は、植民地支配によって「奪われし野」となったことを描いた作品だ。
その李相和の生家をリノベーションしてカフェを経営しているクォン・ドフンさんは、この詩に重ね「<奪われた春>はきっと取り戻せる」とつづる。そして、全国から大邱に集まり、病院の葬儀場に寝泊まりして奮闘する医療従事者に、「コーヒー爆弾」と称して、美味しいコーヒーを「投擲」する。
“これで終わると思ったら大間違いだ。あなたがたが大邱を出るまで、僕が、また他の誰かが、ずっと爆弾を作りますよ。大邱の熱い味を見せてやる!”
3月上旬、クォンさんは、李相和の生家に咲く樹齢100年のライラックの花の前で、大邱の芸術家たちを集め、数回にわたってネット配信での無観客コンサートを開く。4月10日、大邱の感染者はゼロになった。そのピンクの花が、散る前のことだ。
大邱はいま、奪われた春を取り戻そうとしている。それまでの葛藤の記録が、この本にはある。