平田オリザが読む
島崎藤村が『破戒』を発表し(一九○六年)、石川啄木が『一握の砂』を刊行して(一○年)小説や短歌の「近代化」がほぼ完成を見た前後、詩の世界でも同様の革新が起こっていた。
その先駆は島崎藤村の『若菜集』(一八九七年)だが、藤村はその後、小説へと転身する。
一九○五年、上田敏が訳詩集『海潮音』を発表。ヨーロッパの象徴詩を日本に紹介した。そして○九年、北原白秋が『邪宗門』を刊行。日本人による日本語の近代詩、象徴詩が確立する。
空に真赤な雲のいろ。
玻璃(はり)に真赤な酒のいろ。
なんでこの身が悲しかろ。
空に真赤な雲のいろ。
象徴詩とは、心情や主張をそのまま言葉にするのではなく、自然をそのまま描写するのでもなく、文字通り「象徴的に」描く詩のことだ。それは一見、何を書いているのか、何を伝えたいのか解(わか)らない。しかし、この「わからなさ」が日露戦後の混沌(こんとん)とした精神状況ともマッチしたのだろう。白秋は一躍、日本の詩壇の中核に躍り出る。
だが白秋は、そこに止(とど)まらず、スキャンダルの渦中に身を置きつつも、本当に様々な作品を残す。「あめあめふれふれかあさんが」の『あめふり』といった童謡。『ちゃっきり節』のような新民謡。また晩年は戦争賛美の詩や歌詞も多く残し、結果として晩節を汚すこととなった。
さて、ここまで私は、日本の近代文学の黎明(れいめい)期を辿(たど)ってきた。俳句・短歌は別として、詩や小説には西洋近代文学という先行例があり、それは翻訳という形で、我が国にもたらされた。
すでに形式は理解された。
しかし、多くの人々は、そこで何を書けばいいのかが解らなかった。漱石、藤村、白秋、あるいは啄木といった天才が現れて、新しい器に、盛るべき料理を作った。それは張りぼての国家だった明治日本が、曲がりなりにも「近代国家」の体裁を整えていくのと軌を一にしていた。=朝日新聞2020年6月20日掲載