連なる図像、どう物語として認知されるか
新型コロナウイルスは、マンガの制作現場だけでなく、マンガをめぐる研究交流にも大きな影響を与えている。
毎年6月ごろに開催してきた日本マンガ学会の大会は、残念ながら中止になった。ゲストを招いたシンポジウムも次回へと持ち越された。個々の研究者による研究発表については、オンラインの場を設けて7月4、5日に会員限定で配信するという。
5月末にはマンガやアニメなど、アジアのポップカルチャーを対象とする国際学術会議「Mechademia(メカデミア)」が京都で開かれることになっていたが、こちらも来年に延期された。
今年は国内外の研究動向を知ることができる貴重な機会が相次いで見送りとなってしまったが、こういった場で発表を毎年見聞きしていると、「マンガ研究」といっても、その学術的な背景やテーマ、方法論は多様化の一途をたどっていると感じる。
その中で、筆者がとくに印象的だった研究のひとつをまとめた専門書の日本語訳が、6月に刊行された。ニール・コーン氏の『マンガの認知科学』(中澤潤訳、北大路書房)である。
本書の主要な議論の対象は、マンガやコミックスのような社会・文化的に特殊な視覚的表現のジャンルが成り立つことを可能にする、人間の視覚的コミュニケーションの基本構造だ。コーン氏は、それを「ビジュアル言語」という呼び名で言い表している。
言語の連なりがメッセージとして意味を持つように、私たちは図像の連なりを、いかにしてひとつの「物語(ナラティブ)」として認知し、理解しているのだろうか。そのような根源的な問いについて、本書はマンガあるいはコミックス的な表現を事例にしながら探求していく。そこには、マンガ読者が無意識に行っている「ビジュアル言語」の受容経験が説明づけられていく面白さがある。
視覚的な表現を介したコミュニケーションの仕組みに注目するという点では、この連載で紹介した、コミックスを記述の形式として採用したニック・スーザニス氏の博士論文「アンフラッタニング」や、主観的な傷病経験を視覚的な表現で共有しようという「グラフィック・メディスン」を連想させる。それはさらに、アメリカの美術史家W・J・T・ミッチェル氏の議論に代表されるように、1990年代から視覚的体験への研究関心が人文学の領域で高まってきたこととも響き合うものだ。
しかし、こうした動向では、マンガ・コミックス的な視覚表現について、近代以降の「文字」の優勢に対する新たな可能性を秘めたものと位置づけようとする文脈が色濃い。それに対してコーン氏の視点は、「ビジュアル言語」を発話や身ぶりと並んで人間のコミュニケーションにおける基本的な様態と位置づけ、あくまでビジュアルな表現それ自体の持つ「語彙(ごい)」や「構造」に焦点を当てていく。
「文字」対「ビジュアル」という構図ではなく、「ビジュアルなナラティブ」自体の基本構造を解きほぐしながら、マンガやコミックスから、オーストラリアの先住民族の「砂絵」を介したコミュニケーションまで、その社会における表現の多様性に目を向ける。このコーン氏の議論は、マンガ的な視覚表現が周縁的なものではなく、日常の様式としてすっかり埋め込まれている私たちにとっても刺激的なものとなるだろう。
邦訳を機に日本の読者からどのような反応があるのか、興味は尽きないところだ。=朝日新聞2020年6月30日掲載