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早世の詩人・ブッシュ孝子、死後半世紀経て全作品集 いま語りかける、魂のうた

ブッシュ孝子が病床で詩をつづったノート=服部和子さん提供

いのち見つめる言葉「時代への警告」

 服部(旧姓)孝子はお茶の水女子大学大学院で児童心理学を学び、ドイツに渡った。その後、ウィーン大学で研究に励んでいた時、ヨハネス・ブッシュと出会う。3年間の留学生活を経て、1970年に帰国してからすぐ体の異変を訴え、乳がんの診断を受けた。手術を受けたのち、来日したヨハネスと結婚し、ブッシュ孝子となった。宮沢賢治やリルケなどを愛読し、かねて「童話を書いてみたい」と願っていた彼女は、73年9月から詩をつづり始めた。11月に病の再発で入院し、詩作を続けたものの、翌年1月、28歳で亡くなった。

 詩を書いたのは人生最後の半年足らず。だがその間に、彼女は92編の詩を残していた。大学の恩師で詩人の周郷(すごう)博が、うち80編をまとめ、同年、『白い木馬』と題して出版した。その詩は合唱曲になったり、雑誌で取り上げられたりもしたが、詩集は絶版となり、やがて日の目を見ない時間が続いた。

 彼女の詩に再び光をあてたのは、批評家の若松英輔さんだ。東日本大震災に直面した後、若松さんはブッシュ孝子の詩を知った。決して詩壇に名をはせた存在ではない。けれど、彼女は短い創作の日々で、「愛」や「いのち」の意味を見つめ、虚飾のない詩の言葉に託して伝えている――。感銘を受けた若松さんは、自身の著書や講演などで彼女の紹介を続けた。新泉社(東京都)の浅野卓夫さんは昨年1月にあった若松さんの講演会で、「いま本当に読まれるべき詩集だ」という言葉を聞き、刊行を思い立った。

 浅野さんは、孝子の母である服部和子さん(95)やおいと面会し、生前の写真と共に、1冊のノートを預かった。孝子の全ての詩が、残されていた。未発表だったものも含め、日付通りに、作品を並べていった。

 今年4月、同社から『暗やみの中で一人枕をぬらす夜は』が出された。

《暗やみの中で一人枕をぬらす夜は/息をひそめて/私をよぶ無数の声に耳をすまそう》

 表題の元となった一節のように、易しく、透明な言葉が紡がれる。死への恐れを感じながらも、詩人は自他に対するいつくしみに、深く思いを寄せていく。

《私のために生きようという人がいる/その人のために私も生きよう》

 新型コロナウイルスによって私たちの社会は混乱し、他者との関わり合いにも暗い影が落ちる。「詩人は『いのち』の発見者であり、守護者であるだけではない。それが失われようとする時代にあっては、真摯(しんし)な警告者にもなる」。同書のおわりに、若松さんはそう記している。

 「夜になると、言葉がわき出てきて、書きつけなくちゃいられなくなるんだ」。生前に娘が語った言葉を、和子さんは覚えている。新たに命を得た詩集を手にして、「あぁ、これは孝子そのものだ」と感じたという。「この世にいたのは28年間でしたが、人生は長さではないのですね。亡くなる最後の瞬間に、自分のこれまでの人生を全てぶつけて、生まれてきた詩だったのでしょう」

《私は信じる/私にも詩がかけるのだと/誰が何といおうと/これは私のほんとうのうた/これは私の魂のうた》

(山本悠理)=朝日新聞2020年7月15日掲載