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ミュージシャンの尾崎世界観さんが初の対談集 「かゆいところに手が届くような存在でありたい」

文:福アニー、写真:斉藤順子

人と人との距離感を改めて感じた

――2020年に入ってすぐ、歴史の教科書に載るくらいの事態になってしまいましたが、制作面やマインド的にどんな変化がありましたか?

 この状況下でもやれることをやっているんですけど、作品を出す場所や、具体的にいつ出せるという期日が決まっていないので、そこはいままでと違ってあんまり手ごたえはないですね。出口がちゃんと見えていないなか、とくに音楽活動においてはモヤモヤしたまま半年が終わったという感覚です。

 今回のことで、恵まれた環境に慣れすぎていたのかなとも思いました。CDが出るから曲を作ってという、人に求められてやることが当たり前になっていた。インディーズのときは作品が出せる保証もないなかで曲を作っていたんですけど、最近こういうことになって、また昔を思い出しています。

――この時期に出された『仕事本』(左右社)所収の日記も読みました。江戸切子のグラスで芋焼酎を飲んだり腕立て伏せに精を出したりする日常にニヤけつつ、迷いや悔しさ、悩ましさも感じられて。

 どうしようもないのは最初からわかっていました。ただ、どうしようもないけどなにもせずに納得できるわけではなかったので、(立川)談春さんに電話で話を聞いてもらったり。こういうことがあると、人と人との距離感を改めて感じます。自分は普段から物事を俯瞰で見て、そこまで人と密に接しないというか、自分のことも俯瞰で見ているようなところがあるんですけど、自分にも人にも距離感や異物感をより感じました。2011年の震災の時も思いましたけど、会社や個人によって事態に対する考え方も違う。コロナが旬なものとして作品のなかで消費され始めている感じには違和感もあるので、もう少し長いスパンでちゃんと考えたいと思います。

 あと、バンドを追いかけてくれている人は、かなり感性も豊かだと思うんです。能動的に表現を受け取ろうとしてくれている人たちだから。その生活の土台が脅かされたときに、自分たちは本当に必要とされ続けるのかという不安も感じました。まずは最低限、自分たちを好きでいてくれるファンの人たちに向けて、自分にできることをやっていきたいです。

――コロナ禍で読んだ本のなかで、印象的だったものはありますか?

 フリオ・リャマサーレスというスペインの作家の『黄色い雨』がおもしろかったです。何年も前からちょっとずつ読んでいたんですけどなかなか進まなくて、でもこの期間に読み終わりました。村人が全員いなくなって、村が朽ち果てていって、主人公ひとりだけが取り残されて、そこで村の最後を語っていくという話なのですが、自粛しているあの期間にすごく合っていたと思いました。ちょうど物語が自分にだんだんリンクしてきて、入り込んで読めたのが良かったです。

 あとは講談社の「第14回小説現代長編新人賞」の奨励賞を受賞した中真大さんの『無駄花』もすごく良かった。文章が好みでした。

人の「間違い探し」じゃなく「宝探し」を

――そんななか6月に刊行された初の対談集『身のある話と、歯に詰まるワタシ』(朝日新聞出版)は、装丁からとても素敵で。ブックデザイナーの佐藤亜沙美さんが手がけられてるんですね! コンパクトでバッグにも入れやすいです。

 佐藤さんは前回のエッセイ『泣きたくなるほど嬉しい日々に』でも装丁を担当していただいたのですが、また一緒にやりたいと思って今回もお願いさせていただきました。ちょっと小さめの判型で、台湾ではこういう判型が多いと佐藤さんに伺って。幅広く読んでもらいたいのはもちろん、女性も持ちやすいサイズというのを意識しました。

――こういった本に対するこだわりは、加藤製本(尾崎さんが高校卒業後に入社した製本会社)に勤めていたところもあるのかなと。

 そうですね、本を作る過程も見ていました。とくにCDはサイズが決まっているなかで、本はもう少し自由がきくので、できるのであればこだわりたいという気持ちがあります。

――この対談集、インタビュアーを名乗る方々にもぜひ読んでもらいたいパンチラインが続出でした。とくに最果タヒさんとの対談は、「言葉と思考の鬼ごっこ」や「書くことは削ること、諦めること」の章で、ベクトルが真逆だからこそふたりのスタンスやコントラストが色濃く出ていて一番おもしろかったです。すべての対談を通して、言葉の引き出し方など気づきはありましたか?

 本当にみなさんすごい方なので、なにを言っても成立するという安心感はありました。だからこそ、相手の方が聞かれたことがないことを聞こうと思っていました。同じことを聞かれるのが一番嫌だと自分でわかっているので(笑)。相手に気を遣った質問はどちらも得しないし、なによりファンの方にやさしくないと思ったんです。自分が好きな方を呼んでいるので、相手に認められたい、嫌われたくない、おもしろいと思ってもらいたいという欲はもちろんありました。でも対談相手のファンの方が、「いい質問してるな」「この人のここを聞きたかったけどやっと聞いてくれた」と思ってくれるような、欲しかった情報が得られるようなインタビューにしないといけないと思っていました。

 あとはなるべく相手の方の職業がばらけるように意識しました。とくに事前準備もしないで、自分も楽しみながら話して。緊張しましたけど。尾野真千子さんとの対談はここ(朝日新聞社の会議室)でやったんですよ。

――尾野真千子さんとの対談といえば、「ネットの書き込みは人を殺す」の章が胸に刺さりました。心ない誹謗中傷によって尊い命を落とす悲報があとを絶ちませんが、会話や肉筆ではなくSNSが主流の昨今のコミュニケーションのあり方について思うところはありますか。

 いつの時代でも会話は大事だと思うし、緊張感を持って人と話すというのは必要ですよね。「親しき仲にも礼儀あり」という言葉もありますけど、いつまで経っても、なにか変なことを言ったら関係が終わってしまいそうだなという緊張感がある人とのほうが、いい関係を築いていける気がします。とくにいまは、謝ってももう遅い、取り返しがつかない「ゆるされない時代」だから、しゃべることにはより気を遣うようになりました。

 「ゆるさない」ということが、いますごく大事に思われていますよね。自分は失敗し続けて、人に不義理をし続けて、それでもゆるされてきた人間なので、もうちょっと人のことをゆるしてもいいのにと思います。ゆるされていまがあるし、だからこそ恩返しをしたいと思う。こんな風に人のことをゆるせなくなってきて、このままで大丈夫なのか心配になります。もうちょっと、やり直せるような世の中になってほしいです。

――中間が抜けて極端になっていると感じます。わからなさや割り切れなさ、白黒つけられないグラデーションを良しとしないというか。また金原ひとみさんとの対談では、「鳥の巣から卵を奪うような質問」のくだりにも身をつまされました。音楽や文学を取り巻く批評の質や情報伝達について、作り手としてどういう風に現状を見ていますか。

 演者としても窮屈で、不自由で、不便だなと感じることがあるけれど、なにより受け手のお客さんが大変だと思います。自分が10代の時は、もっと過激な表現に触れることができたし、もったいないと単純に思います。過剰に受け取っても、いらない分を捨てる能力はみんな持っているはずです。

 最近の風潮については、もっといいところを探せばいいのに、すごい厳しさで「間違い探し」をしている印象があります。みんな子どもの頃は「宝探し」をしていたはずなんですけどね……。

――対談相手7人それぞれの仕事論や生き様もビビッドにわかるんですけど、それ以上に彼らが万華鏡のようになって、尾崎世界観を一番立ち上がらせてるなと。尾崎さん自身を多面体で見られたのが印象的でした。

 2018年から2年間で、3カ月に1回のペースで対談をさせていただいたんですけど、最初の加藤(シゲアキ)さんの時と最後の椎木(知仁)の時では、世の中の状況もまったく変わっていて、自分もその時期によって影響を受けるものや発言が変わっていることに、後から気がつきました。

――とはいえ尾崎さんのなかで一貫しているのは、「幻想をはがすこと」というか。こんなにいい曲作ってるんだから、こんなにいい文章書いてるんだから、それを作ってる本人はさぞかし素晴らしいだろうって幻想がある。でもそうじゃないんだよってところを赤裸々に出してるから、そういう幻想がはがされていく感じがスリリングだなと思いました。

 一番恥ずかしいのは人にその幻想をはがされることなので、だったら人にばれる前に、自分から先に見せておいたほうがいいというのはずっとあります。自分を客観的に見て、「こういう人間だってお前は全部言ったほうがいいよ」と。守ったり隠したりするより、出すほうが早いし、それが自分を守るための手段でもあります。

「できない」ことがすごく大事

――そもそも音楽を軸に選んだ理由は?

 音楽だけが、できなかったときに悔しさを感じたからです。あと、音楽には正解がないので、そこに生かされたところもあると思います。音楽は「これできてないよ」と明確に決められないじゃないですか。その人が曲と思えば曲になるし。そこに救われたけど、だからこそずっとやめさせてもらえないのかもしれません。

――新曲群は構成の仕方や歌い方も少し変えてるからか、マイルドで滋味深く聞きました。クリープハイプ10周年全国ツアーはこの情勢で中止になってしまいましたが、これからのバンドのモードは?

 いまは曲を作っている時期なのですが、もうちょっと毒を持ったものを作りたいと思っています。AC部(映像制作ユニット)とのMVもそうでしたけど、そのときそのときで色んな方々と一緒にやれたらと考えています。前よりも、もっと客観的に物事を見て、試行錯誤しながらゆっくり考えていきたいです。

――そこに文学も加わって、文中の表現を借りれば「砂漠の中に両足を突っ込んだ」わけですよね。傍から見れば結構な苦行で大変そうですが。

 「できない」ということがすごく大事なんです。ある程度バンドを続けてきて、最低限生活もできるし、なにをやってもあるところに収束してしまう虚しさを感じていた時に、圧倒的にできないものがもう一回出てきて、そこでバランスが取れるようになりました。まだできないことがあるというのは、すごくありがたいことでした。

――先日、尾崎さんの初小説『祐介』の担当編集者である文藝春秋の篠原一朗さんのインタビュー記事を読んでいたら、ミュージシャンと仕事する際の心構えとして「僕は『自分が好きな人』で『この人は書ける!』と確信した人とだけ仕事をします。こんなことを言うと変に思われるかもしれませんが、僕には特技があって、顔を見ればその人に才能があるかが分かるんです(笑)。野田洋次郎さんも尾崎世界観さんも、楽曲を聴いていて、そして顔を見て『この人は書ける!』とすぐに分かりました」とありました。そこまで言わしめるということは、「ピンクソーダ」(尾崎さんが編集長として雑誌を作った時に書いた短編小説。それがきっかけで『祐介』を執筆することになった)の前から小説も書き続けてはいたんですか?

 篠原さん、そんなことを言っているんですか! 本当かなあ(笑)。小説はそれまで書いていなかったですね。でも「WHAT's IN?」という雑誌にはエッセイを書いていて、当時の編集の方が「いつか小説を書いてほしい」とずっと言ってくれていたので、それはすごくありがたかったです。いま思えばいかにもバンドマンというものに守られた人間が書いている文章だなと、めちゃくちゃ恥ずかしいんですけど。

 そんな黒歴史を経て、篠原さんからお声がけいただいて書いてはみたものの、小説は「できない」。やっぱり歌詞を書いているので、小説で表現しようとすると、いままで歌詞を書くうえで言葉を削ぎ落としすぎていて、うまく書けませんでした。「全部書けないし、書かない」ということが自分の文章を書くスタイルだったんです。歌詞は「いかに書かないか」だと思うので。そこから真逆のことをしたので、そのときは大変でした。

小説の魅力は自分で抗えないところ

――歌詞は聴覚的で文章は視覚的だと思うんですね。歌詞に日記、エッセイに小説と書いてきて、どのアウトプットが一番フィットするか見えてきましたか?

 フィットしているとは思えないんですけど、日記を書きながら土台を固めて、エッセイを書きながら練習をして、今は、やっぱり小説が試合だと思っています。小説をちゃんと書きたいけれど、なかなかうまくいかず……。でも、いま書いているものは手ごたえを感じているので、今年はそれをなんとか形にしたいですね。

――音楽も小説も、なにがOKでなにがNGかという線引きは感覚的に判断できるんですか?

 音楽だったらわかるんですけど、小説に関しては全然わからないです。小説の魅力は、自分でどうにも抗えないところ。小説に対して「ダメだよ」と言われたら「ああ、そうか」と素直に聞けるんです。音楽でそんなことを言われたら「うるせえ」と思っちゃうんですけど(笑)。だからどっちもあるのが、表現者としてはすごくありがたいです。

――バンドで歌う、文章を書くに加えて、パーソナリティを務めるラジオでは話もしています。言葉の扱い方もより研ぎ澄まされるのではないですか。

 それぞれ求められていることも違うし、その表現を受け取る人たちも違うので、大変だけどやりがいがあります。7月から「7RULES」という番組のレギュラー出演も決まったので、テレビとラジオに出て、文章を書いて音楽もやって、もっと自分を多面的に見られると思います。

 そのなかで、かゆいところに手が届くような言葉を発する存在でありたいと思います。自分は昔から、みんなに好かれているとかすごく人気があるわけではなく、ちょっと癖がある人が好きでした。戦隊ものの番組を見ていてもよく悪役を好きになっていたし(笑)。だから、ちょっとふてくされながら物事を見ているような人に、安心してもらえるような存在でいたいです。

――6月の好書好日のオンラインサロンで、「音楽の現在から考える出版の未来」というトークイベントが開催されました。音楽と出版の両方に携わる尾崎さんとしては、双方がこうなってほしい、そのなかで自分はこうありたいというのはありますか?

 音楽業界より出版業界のほうが交流が活発な感じはします。どの出版社とも仕事ができることが良さだと思っていて、音楽に関してはひとつのレコード会社としかできないので、閉じているとも思うけれど、どちらの良さも感じています。