「グンマ―帝国」というネットスラングがある。グンマー、つまり群馬県は「行くも戻るも覚悟がいる秘境の地で、住民たちは今も土着の信仰や習慣を持っている」というものだ。映画「翔んで埼玉」では、群馬に未確認巨大生物が出現したとのニュースを見て、GACKT演じる主人公・麻実麗が「同じ関東圏とは思えないな」とつぶやく場面が描かれる。
このように群馬はいつも、小バカにされるネタとして扱われてきた。わざわざやってきては、「何の文化もない」と嘲笑した元知人(元がポイント)もいた。
確かに群馬は関東有数の田舎だ。この地に生まれ育った私自身、10代の頃は「ここにいてはできる仕事がない」と思い、地元脱出を試みて、気づけば東京暮らしの方が圧倒的に長くなった。でも自虐ならともかく、よその人間にバカにされる筋合いはない。
そんな思いを抱えていたところ、実家の都合で地元にしばらく滞在することになった(コロナ感染防止策と体調管理の徹底、肺を含めての精密検査をした直後だったことは付記しておく)。そのさなかに「せっかくいるのだから」と、高崎のREBEL BOOKSという本屋に行ってみることにした。
高崎駅から1キロと少し、ギリギリ徒歩でいける距離にその店はあった。レトロな雰囲気のガラス戸を引くと、正方形に近いスペースにぎっしりと本が並んでいた。店主の荻原貴男さんによると、元寿司屋の建物に店を構えたので、以前は天井から提灯型の電灯がぶらさがっていたそうだ。
「もともとは化粧品の販売店兼事務所として使われていたと聞いています。その後さまざまな飲食店が入れ替わり、うちが入る前はしばらく空き店舗だったようです」
外から店内がよく見える大きな窓がしつらえてあるのは、どうやらコスメショップだった頃の名残のようだ。
下北沢「B&B」の存在に背中を押され
高崎市出身の荻原さんは現在41歳。大学進学のために東京に行き、卒業後は会社員になったものの、25歳の時に退職。デザインの専門学校に2年間通い、デザイン関係の仕事をしていた。その仕事も辞めて30歳で群馬に戻り、「また都内で仕事をしようか」と考えていたものの、デザインの仕事を請けおい始めたら少しずつ増えていき、結果として故郷に根を下ろすことになった。
デザイナーのかたわら、REBEL BOOKSをはじめたのは2016年12月のこと。個人が手掛ける本屋が地元になく、誰もやらないから自分で始めたと語った。
「基本的に世の中の「ふつう」とされていることに合わせる必要はないと思っているのと、あとは「退屈に反抗する」という意味も込めてREBEL BOOKSという店名にしました」
デザインの仕事は今も続けていて、地元企業からの信頼も厚い。一方、書店での修業はしたことがなかったが、下北沢の書店「B&B」の内沼晋太郎さんのトークイベントを開催したことで、ある確信を得た。
「本の売上だけでなくイベントの入場料収入やドリンクの売上と組み合わせるという、B&Bの経営スタイルを聞いて新刊書店経営の可能性を感じ、漠然とした「本屋をやりたい」という思いがぐっと具体性を帯びました。その後、長野県松本市の書店カフェ『栞日』の菊地徹さんや、高崎市内で古書の選書や販売をおこなう『suiran』の土屋裕一さんなどに会い、色々教えてもらいました」
なるほど確かに言われてみると、レイアウトは移転前のB&Bをちょっと彷彿させる。内装は近くの建築事務所にアドバイスを受けつつ、基本的には荻原さんが考え、できる範囲はDIYしている。
書棚以外にも平台が2つあり、全部で2000冊ほどの本が置かれている。このぐらいの量だと内容や置き場所を何となく把握できるものの、在庫が絶賛増殖中につき、レイアウトはまだまだ変わる余地があるそうだ。
高崎の「わざわざ目指してくる」界隈に
荻原さんと話しこんでいると、1人、また1人と店に入ってきては静かに本を眺め始めた。誰もがふらりと立ち寄ったというより、わざわざ目指して来ているように見えた。実はREBEL BOOKSがある界隈にはカフェ併設のゲストハウスや、荻原さんいわく「群馬でもトップクラスにおいしい」カレースタンド、フレンチビストロや古民家をリノベした定食屋など、目指す理由がある店がずらっと並んでいる。REBEL BOOKSにも何かのついでとか、駐車場があるからではなく(店には駐車場がない。地方都市でこの条件はかなり不利だ)、来たいから来たのだという思いが伝わってきた。
「SFはどんなものがありますか?」
うち1人の男性が、荻原さんに声をかけた。彼は高崎の隣町、「こんにゃくパーク」で(県内では)有名な甘楽町から来た大学4年生で、今日が初めての来店だという。Twitterで見て「高崎に面白そうな本屋がある」と、ずっと気になっていたそうだ。『2001年宇宙の旅』を読破している彼に、荻原さんは伊藤計劃やアーサー・C・クラーク『幼年期の終り』、劉慈欣の『三体』を読んで以来ハマっているという中国SFを熱心に薦めていた。その中から数冊をお買い上げする彼の表情を見ていると、私まで温かな気持ちになった。
学生時代に、書店員さんがこうして新しい世界とつながる本を教えてくれていたら。私ももしかしたら、地元が好きだったかもしれないな。荻原さんと彼のやりとりが、ちょっとまぶしくもうらやましく感じられた。
地元のZineを手に取り、故郷の文化を思う
荻原さんはデザインや店でのイベントの他に、建築事務所のイベントスペースを借りて、Zineを集めた展示販売会の「ZINPHONY」も開催している。そこで出会って気になったZineは、店に入ってすぐ右側のラックでも販売中だ。
凝った写真やフォントのものや、荻原さんによるロシア旅行記『RUSSIA』といったZineが並ぶなか、ひときわ異彩を放つZineが目に入った。黄色い表紙に青木雄二、いや蛭子能収を思い出させるイラストのそれは、『高崎ビジネスホテル探検記』というものだった。ページをめくるとチェーン系ビジホからインディペンデント系までを忖度なく、「これでもか!」というほどの熱量と情報量で紹介している。ネット公開禁止とあるので、中身を紹介できないのが惜しまれる。高崎出身の茂木成美さんによるこのZineは2冊刊行されているが、1冊読むともう1冊も読みたくなることうけあいで、お客さんの中にもファンが多いそうだ。
他に人気のZineはありますかと聞くと、『群馬カルチャー黎明期』だと教えてくれた。群馬にかつてあったディスコやライブハウス、クラブの変遷を紹介するもので、1980年代に榛名湖で開催されたフェスの仕掛け人やDJのパイオニアなどの、長編インタビューで構成されている。名前だけは聞いたことがあったり、「へえーこんな店があったんだ」と思わずつぶやいたり。近くにいたのに出会うことがなかった、群馬のカウンターカルチャーを支えた人たちを知ることができるものだった。
彼らは私がいた頃から、ずっと群馬で爆音を鳴らしたり誰かを踊らせたりしていた。ディスコ全盛時代はまだ子供だったし、高校生の頃はインターネットなんてあるわけもなく、移動手段は電車か自転車しかなかった。だから私は「なんの文化もなければ、話の合う友人もそんなにいない(何人かはいたけど)」と思ってしまったけど、なかったのではなく、見えていなかっただけだったのだ。
脱出してからの約30年の間に育っていたり、ずっとあったのに見えてなかったりしたステキなものに、ようやく気づけたなんて。私にとっては、特別な時間を過ごすことができた書店だった。
過ぎてしまった時間は取り戻せないが、思いやつながりはいつの時点からでも育くむことはできる。今後は、地元に帰るのが楽しみで仕方がない。だからコロナよ、早くおさまってくれ。
売れ筋
●『イジェアウェレへ フェミニスト宣言、15の提案』チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ(河出書房新社)
フェミニズム関連の本はたくさん揃えています。「どうしたら『女だから』という理由でふりかかる、理不尽なマイナス体験をさせずに子育てできる?」と、出産した友人に尋ねられた著者アディーチェによる15の提案。子どもがいる/いないや性別関係なくすべての人におすすめ。1年半前に娘が生まれたことで自分自身繰り返し読みたい1冊になりました。
●『三体』劉慈欣(早川書房)
壮大なスケール、独創的なアイデア、文句なしに面白かった、あらゆるジャンルのなかで近年最高のエンタテインメント作品のひとつ。2020年時点で第二部(上下巻)まで出ており第三部は2021年刊行予定。
●『群馬カルチャー黎明期』
ライブハウスやクラブなど群馬のカルチャーシーン黎明期に関わっていた7人にインタビューし、2年以上かけて作り上げた1冊。83ページフルカラーで写真も豊富、ものすごい熱量を感じるZINEです。東京ではない地方のシーンについてその歴史をまとめた出版物自体が貴重で、群馬県外の人も買っていきます。