1990年10月3日に東西ドイツが統一してから、30年が経つ。平和的に統一を達成し、自らを統合ヨーロッパ(EU)に深く埋め込んだドイツは、ポピュリズムが蔓延(まんえん)する現代世界で、いまや自由民主主義の模範国のようにも見える。
他方で、19世紀以来ヨーロッパを悩ませてきた「ドイツ問題」(ドイツのパワーが国際秩序に不安定をもたらすこと)の再来を指摘する声も多い。とりわけこの10年、ユーロ危機下で自国流の緊縮を他国にも迫る姿勢や、難民危機に対する、人道的とはいえ独断的な対応は、多くの批判にさらされてきた。
ドイツは、自国の民主主義を守りつつ、相次ぐ危機に見舞われるヨーロッパに安定をもたらすことができるのだろうか。
英国出身のクンドナニによる『ドイツ・パワーの逆説』は、「ドイツ問題」の歴史と現状を知るための格好の手引である。同書によれば、かつての「ドイツ問題」は軍事力が原因だったが、いま再浮上しているそれは「地経学的(ジオエコノミック)」なものだという。つまり、まずもってドイツの経済力が問題となっているのだ。
経済中心の外交
その背景には、ドイツが近年ますます輸出依存を強めたことに加え、冷戦期とは違い、もはやアメリカないしNATOの軍事的な庇護(ひご)を必要としなくなったことがある。こうしてドイツの外交政策はより経済中心的なものとなり、(たとえば対中・対ロ関係に関し)西側同盟やEUの結束よりも自国の経済利害を優先させる場面も増えた。
しかも、なお問題なのは、ドイツがそうした自らのパワーと自国中心主義に無自覚なことである。自国のパワーをヨーロッパの連帯のために用いることが求められているにもかかわらず、それに応えられていないのが現状だ。
内政的にも不安はある。いまやドイツも右翼ポピュリズムと無縁ではないからだ。難民危機を奇貨として躍進した右翼政党「ドイツのための選択肢(AfD)」は、移民・難民への不安や憎悪をあおり、あるいは旧東独の人びとが西側に対して抱える劣等感につけこむかたちで、国内の分断を深めている。
ヴァイスの『ドイツの新右翼』によれば、AfDは新興政党とはいえ、その思想的・人的起源は、旧西独の「新右翼」、さらには両大戦間期の極右にまでさかのぼることができる。本書を読めば、AfDを一過性の現象と断じたり、単なる抗議政党として軽視したりすることが、いかに危険かがわかる。
自己批判と対話
こうしたなか、ドイツの「過去」との向き合い方も揺らいでいる。よく知られるように、統一後のドイツは、ナチズムやホロコーストの過去を自己批判的に想起し、それを自国の政治文化ないし民主主義の支柱に据えてきた。
しかし、そうした「想起の文化」が定着したがゆえに、それに対する不満や反発も(右翼の台頭と並行して)生じている。あるいは、世代が交代し、移民社会も定着した現代ドイツで、いまなおナチやホロコーストが共通の記憶たりえるかも問題となっている。アスマンの『想起の文化』は、そうした批判と対話し、出自や国境を超えた「想起」の可能性を模索した書である。
アスマンの書を読むと、ドイツにはなお、絶えず自己批判を加えながら、自由と民主主義を守ろうとする政治文化が息づいていることを感じる。また、今次の新型コロナ危機でメルケル政権は、EUを支えるために復興基金に合意するという一歩を踏みだした。
先行きはなお不透明だが、今後のドイツ政治の動向は、ヨーロッパのゆくえを左右するのみならず、自由民主主義の将来にも重要な意味をもつだろう。=朝日新聞2020年9月26日掲載