コロナ禍・基地問題…大切な日常
418首が収められた歌集は3部構成で、コロナ禍のなかで作られた2020年の歌から始まる。
朝ごとの検温をして二週間前の自分を確かめている
「友だちと会って話すことがどれだけ幸せなことか、あたり前の日常がどれだけ貴重なものかということに気づかされた。日常を再点検する時間をもらえたと感じています」
手伝ってくれる息子がいることの幸せ包む餃子の時間
かつて新宿ゴールデン街のバーでアルバイトをしていた俵さんは、「夜の街」とひとくくりにして厳しい目を向けられたことに違和感を抱いた。
「夜の街」という街はない
カギカッコはずしてやれば日が暮れてあの街この街みんな夜の街
地方への関心の高まりを受け、こんな歌も詠む。
「前向きな疎開」を検討するという人よ田舎は心が密だよ
「〈疎〉だけでない、お裾分けのタッパーが各家庭をぐるぐるまわる、密な田舎の魅力を伝えたかった」
第二波の予感の中に暮らせどもサーフボードを持たぬ人類
11年の東日本大震災直後、仙台から石垣島に住まいを移した。第2章には13年から16年春まで石垣島で詠んだ歌が並ぶ。
夕焼けと青空せめぎあう時を「明う(アコー)暗う(クロー)」と呼ぶ島のひと
14年の石垣市長選には自民党幹部が続々とやってきて驚いた。
じゅん子来て進次郎来て一太来て「魅力ある島」と訴えている
基地問題をはじめ政治の話が日常的に交わされる土地に住み、次第に社会詠が増えていった。1987年に第1歌集『サラダ記念日』が出たときは、「社会性が足りない」と批判された。「あの頃は、一番興味があった恋愛を詠んでいましたが、子どもが大きくなるにつれて、きれいごとでは済まされない社会の問題が身にしみてきたんです」
韓国で起きたセウォル号の事件を詠みつつ、日本の状況も重ね合わせた。
あの世には持っていけない金のため未来を汚す未来を殺す
安全保障関連法が成立した15年当時の歌も、現在に重なる。
何一つ答えず答えたふりをする答弁という名の詭弁見つ
自己責任、非正規雇用、生産性 寅さんだったら何て言うかな
この間、大切な人との別れもあった。
君の死を知らせるメールそれを見る前の自分が思い出せない
誰よりも知っているのにああ君をネットで検索する夜がある
風邪ひけば葛根湯を飲む我のこの習慣は亡き人ゆずり
最終章には、息子の中学進学を機に宮崎に移り住んだ16年春から19年にかけて詠んだ歌を収めた。息子が行きたいと望んだ中高一貫校は、全寮制だった。
ふいうちでくる涙あり小学生下校の群れとすれ違うとき
日に四度電話をかけてくる日あり息子の声を嗅ぐように聴く
日常会話の代わりに、毎日ハガキ一枚、今日あったことなどを書いて送っている。「恥ずかしかったらやめようか、と聞いたんですが、友だちも楽しみにしてるから、と。もう兄弟みたいなんですね」
制服は未来のサイズ入学のどの子もどの子も未来着ている
大きくなるのを見越して皆がぶかぶかの制服を着ている入学式の光景が、約束された未来を映しているようでまぶしかった。子どもたちがのびのびと生きられる社会であってほしいという願いを込めた歌だ。
それから丸4年。これまでも週末や長期休暇に帰省していたものの、全国一斉の臨時休校後の2カ月間は久しぶりに一緒に過ごし、成長を感じる時間となった。
ほめかたが進化しており「カフェ飯か! オレにはもったいないレベルだな」
振り返れば、はじめて立った日の記憶は鮮明だが、絵本をくり返し読んでとせがまれた日々は、いつ終わったのか。
最後とは知らぬ最後が過ぎてゆくその連続と思う子育て
「〈はじめて〉は意識するけれど、最後はなかなか意識しないもの。介護をしている人からも、これが最後だと意識すると、丁寧に接することができると言われました。だからこそ、少しずつ取り戻しつつある日常を意識して味わいながら歌を詠み続けていきたい」(佐々波幸子)=朝日新聞2020年11月11日掲載