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「大江健三郎全小説全解説」 作品の真ん前で考え 深い納得へ 朝日新聞書評から

評者: いとうせいこう / 朝⽇新聞掲載:2020年11月14日
大江健三郎全小説全解説 著者:尾崎真理子 出版社:講談社 ジャンル:日本の小説・文学

ISBN: 9784065195062
発売⽇: 2020/09/17
サイズ: 20cm/514,11p

1957年のデビュー以来、約60年間に書かれた大江健三郎の長編30作、中・短編66作を全て解説。あらすじ、登場人物から状況設定、執筆時の時代背景、主要批評、新解釈等を掲載…

大江健三郎全小説全解説 [著]尾崎真理子

 評者である私もまた尊敬してやまない、ノーベル文学賞受賞者でもある大江健三郎が「二十二歳でデビューして以来の、約六十年間に書かれた小説――長編三十作、中・短編六十六作をすべて解説した一冊」。それが今回の書物だ。
 ファンであるからには、語られる作品はすべて私も大学時代から読んできたのだが、それでも40年はゆうに過ぎているから今取り上げられて新鮮に感じる初期作も多く、さらに中期、後期と網羅される著者尾崎真理子の解説はどれも新しい大江像を提示する。
 そもそも大江文学は政治の季節から開始されていることもあってこれまで硬く語られがちで、それが作品の実験的な文体ともあいまって敬遠する人々の多さにもつながってきた。私もそれなりに大江をめぐる評論を読んできたつもりだが、どうしてもそこには評者の緊張が感じられ、少なくとも各自の批評用語を駆使しての解析に傾きがちだったように思う。
 だがこの尾崎の全解説はそれらとはまったく違う。というのも、この評者はあくまで作品に添って考え、作品の真ん前でどういう言葉の仕組みを用いるべきかを決定しているからだ。オーダーメイドの評論、とでも言おうか。寸法が作品の姿とぴったり合うのである。だから納得が深い。
 そこにはもちろん、大江健三郎の全小説が眼前に存在するという、今までの評者にはない画期的な条件がある。おそらくもはや新作は書かれないという前提ですべてを振り返って見通すことが出来るからこそ、各作品の付置を最もあり得べき方向で解説出来る。
 また現在のフェミニズムを視界に入れた作品が後期に書かれ始めることへの(それは登場する女性たち自身が大江文学そのものに抗議するラディカルな形さえ取る)丁寧な評論は当然なければならないもので、これは尾崎が「ギー兄さん」という度々大江作品に登場する人物を民俗学者柳田国男と同定したこと(つまり柳田の「ギ」だとする)と同時に、以後の研究の基本となるものだろう。
 さらに大江文学はしばしば世界中の詩によって牽引(けんいん)されてきた。そのことを尾崎は各作品を駆動する詩の引用を欠かさないことによっても示す。それぞれの詩はいわば動かないものとしてそのままそこにあり、大江健三郎への影響力、そして我々への喚起力の塊として直接受け継がれていくのだ。
 私は個人的に大江作品のタイトルの美しさ、ユーモア、諧謔(かいぎゃく)精神のすべてにも魅(ひ)かれ続けてきた。散文家の唯一の「詩」のすべてに改めてうっとりと触れながら、この奇跡的な『全小説全解説』をパラレルワールドで大江健三郎が書いた一冊のように感じる。
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おざき・まりこ 1959年生まれ。早稲田大教授。元読売新聞記者。『大江健三郎 作家自身を語る』の聞き手・構成を務めた。著書に『現代日本の小説』『ひみつの王国 評伝石井桃子』(新田次郎文学賞)など。