SNSは好きではないのであまり活用していないが、それでも告知などを見ては「面白そうだから行ってみようか」と思うことが、時々ある。「夜のパン屋さん」も、そのひとつだった。
ホームレスの人たちの自立を支える雑誌『ビッグイシュー』が、売れ残ったパンを集めて販売する。美味しいパンが買えるだけではなくフードロス削減にもつながる、いい響きしかないプロジェクトが、書店の軒先でプレスタートするという。その場所こそが神楽坂の「かもめブックス」だった。
学生時代、何度も坂上から坂下まで歩いた神楽坂には、何軒か書店があったことを記憶していた。でもいずれも間口の大きくない、いわゆる「街の本屋さん」だったような……。東京メトロ東西線神楽坂駅の通称「矢来口」と呼ばれる2番出口を出てすぐ左を見ると、何やら人だかりができている。並んでパンを買ってついでに店の中にも入ってみると、うっすらとした記憶のストックにはない、カフェとギャラリーのある書店が目に映った。
遠かったニュースが、ついに足元まで来た
「かつてここには、文鳥堂という本屋さんがありました」
2014年4月、約半世紀に渡り神楽坂駅前にあった書店の、文鳥堂がクローズした。かもめブックス店主で、数軒先で校閲会社「鷗来堂」も営んでいる栁下(やなした)恭平さんは、「閉店しました」の貼り紙を見て胸が苦しくなったと、当時を振り返る。
「それまでも『本屋さんが続々と閉店している』とは聞いていましたが、自分が働く街の店がなくなって、ショックを受けたんです。どこか遠くに感じていたニュースが、すぐ目の前に来たんだなと」
校閲を手掛ける栁下さんにとって、「本屋がなくなる」のは死活問題でもあった。本が売れなければ校閲の仕事もなくなるからだ。
「校閲者を目指す後輩たちが『この仕事には未来が見えない』と絶望しないように、そして読書を通して知識を血肉にする習慣について考えたくて、地元の神楽坂で書店をやろうと思ったんです」
約7か月後の2014年11月29日、文鳥堂はかもめブックスとしてリブ―トした。手のひらに載る小さな鳥は、栁下さんによって力強い渡り鳥へと生まれ変わったのだ。
「本って、未だにFAXで注文するんだ!」
1976年、愛知県に生まれた栁下さんは、「いろいろあって」10代で東京を目指した。上京当時は出版に関係する仕事をしたいとは思っていなかった。が、石川啄木のことは好きだった。
啄木は清貧のイメージがあるけれど、借金をしてまで遊郭に通っていた、まさに明治のダメんず。しかし、彼が繰り出す言葉はどれもが美しい。というか、言葉というものはそれ自体が美しく、魅力に溢れている。そう気づいた栁下さんは約4年間、オーストラリアやインドネシア、イタリアなどを放浪し、世界各国の言葉に触れる日々を送った。
あと栁下さんは、猫も好きだった。だから帰国後は杉並区内のペット可物件に住むことにしたのだが、引っ越し直後、見知らぬ人からの手紙がポストに入っていたという。
「元々の住人のご夫婦からで『飼っていた猫が逃げたので、もし来たら連絡して欲しい』とありました。その方々と知り合い、仲良くしていくうちに出版関係者を紹介してもらい、その流れで校閲の仕事を知りました」
校閲も編集も文章を読むのが仕事だけど、編集はどうしても、「売れるものにしたい」「好きなものを作りたい」といった自分フィルターがかかってしまう。しかし校閲は文章に向き合うのが仕事で、売れるかどうかや好き嫌いは関係ない。だからある意味、純粋な目線で、本を読むことができる。
なんて面白い仕事なんだ――。そう思った栁下さんは、 2006年1月に鷗来堂を設立した。
「自分の興味とは関係のない本もチェックし、売っていく。書店を始めてみて、書店員と校閲は似ているところがあると気付きました。そして『まだFAXを使うんだ!』という驚きもありました」
5人いるスタッフのうち、オープンから携わっている2人は、いずれも大手チェーン店の元書店員。やってくるなり「FAXないんですか?」と言ったことが、栁下さんには衝撃的だった。
実は書店が取次に本を注文する際には、電話やメールではなくFAXが今でも慣例になっている。でも電話だと接客時間が削られるので、空いたタイミングでサクッと送信できるFAXは「意外と悪くない」と、今では思っているそうだ。
家に本棚があれば、本を読むようになるかも?
約41坪の広さの店は、「手前はデイリーユースで、奥に行くほどマニアック」な品揃えを自負している。入口すぐのスペースには併設のカフェとフェアの台があり、取材した10月中旬は「科学ってロマンチック」と題して、科学にまつわる本が並べられていた。取次からの定期配本はなく基本は注文で、長く読み継がれているものや「こんな本あったのか」と思わせるものを置くことにしていると、栁下さんは語った。
「店内を15~20分程度で見て回れる分量の本を置き、残りのスペースをカフェにしようと思いました。南に面した店なので、本の焼け防止の意味もあります」
「書店はアマゾンのようなものとナショナルチェーン、そしてかもめブックスのようなインディペンデント系の3つに分けられます。うちは大手に比べたら41坪と小さく、棚も少ないので、今まで知らなかった本との出会いができるような店にしていきたくて。負け惜しみですけれど(笑)」
負け惜しみどころか、強い気概が伝わってくる言葉だった。
そして店の奥のイベントスペースではこの日、本ではなく本棚やブックスタンドの販売会が行われていた。ピッタリ収まって持ち運びできそうな小さな棚から、本格的なウォールシェルフ、流氷をイメージしたというクールなブックスタンドまで、部屋の広さに合わせて選べそうなものが並んでいた。栁下さんは「ハミングバード・ブックシェルフ」という本棚ブランドも手掛けているのだ。本を作って売って並べる、「書く」以外の全てに関わっているとは……。
「すべての世帯に本を売りたくて、だからまずは本棚を売ろうかと。本って多品種、多項目に渡っているので、品揃え次第で『●●っぽい本屋』が作れると思うんですけど、そう考えるとかもめブックスって、『校閲っぽい本屋』と言えますね」
確かに本棚、せめてブックスタンドがないと本を家に置こうと思わないものだ。実際、本を読まない友人の家には、本棚の類が一切ない。「本をお迎えするにはまずスペースから」という取り組みまでする本屋との出会いは初めてだったが、「確かにそうだ」と深く納得してしまった。欲しいなと思ったウォールシェルフは10万円超えだったので、うちに来るかは未知数だけど。
「好き」を一つ一つ積み重ねた結晶
ちなみに「夜のパン屋」を開くに至ったのは、NPOビッグイシュー基金共同代表で料理研究家の枝元なほみさんと共通の知人がいたこと、枝元さんが神楽坂界隈でこのイベントをやりたいと考えていたことなどが理由だと、栁下さんが教えてくれた。この試みは、これからも続けていく予定だという。
本が好き、本屋が好き、そして文章そのものが好き。「好き」なだけでは仕事は成り立たないという声もあるけれど、「好き」がひとつもなかったらやっぱり、続けていくのは難しい。かもめブックスは栁下さんが何もないところから時間をかけて、一つ一つ「好き」を積み重ねた結晶ともいえるのではないか。そんなことを感じたので、次に来た時は私の「好き」を、じっくり探そうと思った。
「でも、本ばかり読まなくてもいいと思うんです。旅に出たりフェスに行ったりして、人と出会うことで得るものはたくさんありますから。パスカルが『人間は、屋根屋だろうがなんだろうが、あらゆる職業に自然に向いている。向かないのは部屋の中にじっとしていることだけ』と『パンセ』の中で言っているように、部屋でじっとしていたら事故には遭わないけれど、それでは苦しいものなんです。外に出るほうが、ラクなんですよね」
パンを買いたいから、ホームレスの人たちを支援したいから、コーヒーが飲みたいから、本を探したいから。外に出る動機はいろいろあるけれど、これだけのことが満たされる場所ってかなり贅沢なのではないか。しかも駅からすぐだし。かつて親しんだ町にお気に入りの場所が、またひとつ増えた。
栁下さんが選ぶ、「言葉そのものを考えるための3冊」
●『べつの言葉で』ジュンパ・ラヒリ(新潮社)
言葉そのものを考えるために3冊選びました。イギリスで産まれた翻訳家がイタリアに住むようになって書いたエッセイ。別の言語を使うという日本人にはあまりない感覚を新鮮な目で気づかせてくれる1冊。
●『戦争と五人の女』土門蘭(文鳥社)
1953年の広島・呉を舞台にした五人の女性をめぐる小説。格差、ヘイト、働くとは何か、閉塞感、ジェンダーギャップ、実は現在でも共通するこれらのテーマを描いているこの作品のテーマのひとつは言葉だったりします。
●『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で 増補版』水村美苗(筑摩書房)
思春期をアメリカで過ごした著者は、異国で日本語に飢えた時期を過ごしました。少子化やグローバリズムが進む今日、日本語で考えて日本語で書けることはとても恵まれているんじゃないかなと考えさせてくれた本です。