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斎藤美奈子「中古典のすすめ」書評 論評の骨格をなす経済史の知識

評者: 石川健治 / 朝⽇新聞掲載:2020年11月21日
中古典のすすめ 著者:斎藤 美奈子 出版社:紀伊國屋書店 ジャンル:本・読書・出版・全集

ISBN: 9784314011525
発売⽇: 2020/08/28
サイズ: 19cm/317p

中古典のすすめ [著]斎藤美奈子

 「中古典」とは、古典候補の①中途半端に古い②ベストセラーを指す。①の範囲は60年代・70年代・80年代・90年代初頭。同時に②を満たさぬ作品は古典になりにくい。かかる中古典48冊が本書の吟味の対象だ。
 青春小説・女性によるエッセイ・社会派ノンフィクション・日本人論の4ジャンルが、70年代を境にそれぞれ変容を遂げる有様(ありさま)は、実に興味深い。「桃尻語」を交えつつも下品にはならない美奈子節。「積極的な誤読」を怖(おそ)れない潔さ。どれをとっても、「クソ、上手(うま)いなあ、もう」の連続。しかも論評は、決して場当たり的でなく、一貫した視角によって貫かれている。
 自家薬籠(やくろう)中のフェミニズムの観点が切れ味を与えているのは勿論(もちろん)で、井上ひさしの青春小説『青葉繁れる』が断罪されているのは、作家と同じ青春を送った樋口陽一を恩師にもつ評者にとりツボだった。例外なく冴(さ)えをみせる日本人論のなかで、60年代の丸山眞男『日本の思想』と90年代の司馬遼太郎『この国のかたち』とを結ぶ骨太な筆致は、美奈子ファンならずとも必見。
 しかし、それ以上に注目すべきは、戦後経済史の知識が、時期区分と書評とにガッチリとした骨格を与えていることだ。当時30歳の恩師とともにゼミ合宿で現地を訪れた、『あゝ野麦峠』の高密度の書評が本書の白眉(はくび)だといったら、著者は嫌がるだろうか。「工女」たちの争議に関する山本茂実の叙述を、有名な野麦峠のシーンよりも「名文」であり「泣ける」と綴(つづ)る著者の一面。「負の歴史を『なかったこと』にする言説」への批判と、一層進む現代社会の「野麦峠化」の告発。それらこそ大学紛争後の、祭りの後の世代を自認する著者の真骨頂。美奈子節の通奏低音だ。
 時代を超越した古典より、時代の個性を刻印された「古典未満」の方が、時代の解読に役立つことがある。いつの日か図書館で中古典の埃(ほこり)を払う未来の研究者にも本書は福音となるだろう。
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 さいとう・みなこ 1956年生まれ。文芸評論家。『文章読本さん江』で小林秀雄賞。ほかに『忖度しません』など。