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マルジナリア書店(東京) 本屋の空白を10年ぶり埋めた、ドーナツと人文書大賞と

文・写真:朴順梨

 ここは東京都府中市の分倍河原。「歴史に名高い新田義貞」と『上毛かるた』にも登場する鎌倉時代の武将・新田義貞の銅像が、なぜか駅前ロータリーにでんと鎮座していた。群馬じゃないのになぜ……?

群馬県民なら誰でも知る、あの武将が!

 なんでも1333年、新田義貞は鎌倉幕府を討幕すべく群馬から兵をあげて、この分倍河原で幕府軍と戦い、勝利を収めたのだとか。名前は知ってても何をしたのかをよく知らなかった私は、ひとつ利口になった気になりながら、2021年1月にオープンしたばかりのマルジナリア書店に向かった。

 お目当ての場所は銅像から歩いてわずか1分、駅改札向いのマクドナルドが入るビルの、3階に位置していた。店に入るとすぐに、大きく取られた窓が目に入る。

 「天気の良い日は、富士山が見えるんですよ」と、店長の松尾つぐさんと代表の小林えみさんが、笑顔で口をそろえた。

大きな窓に面したカウンターでは、コーヒーも飲める。

10年以上「本屋の空白地帯」だった駅に

 「マルジナリア」という、どこか哲学的な響きの言葉には、「本の余白への書き込み」の意味がある。小林さんは「よはく舎」という出版社の代表でもあり、井上奈奈さんの絵本『ウラオモテヤマネコ』(堀之内出版)や、自由に「きゃわ」いく韓国の民族衣装・チョゴリを着ることをテーマにしたそんい・じゅごんさんの『きゃわチョゴリ 軽やかにまとう自由』(トランスビュー)などを手掛けていた。実はその頃からの知人ではあったのだが、店に足を運んだのは、今日が初めてだった。

「よはく舎は2018年から、本に関するイベントを行うレーベルとして始めましたが、2020年の6月に堀之内出版を退社して一本化しました。まず『よはく』があり、それに続くものは? と考えていた頃、ちょうど『マルジナリアでつかまえて 書かずば読めぬの巻』(本の雑誌社)という本が出版されて。分かりにくい言葉ながらも、余白に関係する『マルジナリア』が良いと思い、著者の山本貴光さんに連絡してOKを頂きました」(小林さん)

店長の松尾つぐさん(左)と代表の小林えみさん(右)。

 一方の松尾さんは、大坂出身で京都の大学を卒業したのち、早稲田大学の生協で書籍を担当していた(奇しくも前回紹介したNENOi とは、わずかな距離だ)。新学期の教科書シーズンは言うまでもなく、年間を通して「めっちゃ忙しい」日々を送っていたが、よはく舎の読書会で、小林さんに声を掛けられて転職を決意した。

「その日は雨宮まみさんの本がテーマだったのですが、読書会そのものに参加したことがなかったので、まず読書会に興味があったんです。そうしたらSNSで偶然、告知が流れてきて。1月2日にお店を開けたのですが、昨年の12月31日まで生協で働いていました」(松尾さん)

 小林さんから「本屋を始めるから、ぜひ一緒に」と言われるまで、松尾さんは分倍河原には来たことがなかった。なぜここに店を作ったのかを小林さんに尋ねると、地元であることともうひとつ、大きな理由があると教えてくれた。

「すぐ近くの府中と中河原にはあるんですけど、2009年を最後に分倍河原の駅前には、本屋がなかったんです。だからこの街の人は、地元以外で本を買っていました」

マルジナリア書店はよはく舎でもあるので、レジ左側は小林さんの編集スペースになっている。

 分倍河原は京王線とJR南武線の2路線が利用できて、京王線だけでも1日約9万5000人の人が乗り降りしている(2019年)。これは府中や笹塚よりも多いのに、その両駅にはある本屋が分倍河原には10年以上なかったのだ。

 行ってみてわかったのだが、分倍河原の改札を出たすぐ前の道は昔ながらの商店街で、大型車が通るのは難しい道幅になっている。だからおそらく、配本トラックが通れないゆえ大手書店は進出しにくかったのではないか。取次を通さない個人書店ならではのフットワークの軽さが、10年ちょいぶりに本屋を街にもたらすことになるとは。

店内が見渡せるので、初めての人でも安心して入れるエントランス。

若者が自分たちで選ぶ人文書大賞

 現在約3000冊ある、本のセレクトは松尾さんを中心におこなっている。松尾さんは前職では人文書担当だったこともあり、人文系の割合はちょっと手厚い。

「ずっと本屋がなかったので、そこまで人文書を並べなくてもと思ったのですが、意外と手に取るお客さんが多くて。棚を1時間近くかけてじっくり眺めていかれる学生さんや、『図書館も含めてあらかた本は読んでしまったけれど、ここに来るとまだ読んでない本と出合える』とおっしゃる方が来てくださるのが嬉しくて。込み入った商店街の3階に出店するのは最初悩みましたが、本が好きな人はどこの街にもいることがよくわかりました」(小林さん)

 この時マルジナリア書店では、「アンダー29.5人文書大賞」という人文書大賞の投票が行われていた。自己申告で30歳までの人を対象に、人文書を選んでもらおうという試みを主催しているのだ。

「『本が売れない、とりわけ若い人は本を読まない』とよく言われますが、生協で働いていた頃は、10代20代のあいだで流行っている本は確かにあって、次々と売れていくのを見ていました」(松尾さん)

 マルジナリア書店に来てからは、オープン時のノベルティだったエコバッグを下げた、リピーターの若者を度々目にしているという。若い人が本を読まないなんて、そんなことはきっとないはず――。2人のそんな思いから生まれた人文賞は、新刊部門の1位に『独学大全 絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』(読書猿/ダイヤモンド社)、過去/古典部門の1位に『断片的なものの社会学』(岸政彦/朝日出版社)が、見事選ばれた(5位まで発表されているので、続きはマルジナリア書店のTwitterで確認して欲しい)。

通りに面した場所のスペースをフルに使い、フェアのお知らせなどを告知している。

街に住む人たちの、使い勝手の良さ

 天気の良い午後だったこともあり、次から次へとお客さんがやってくる。「3階の本屋さんで大丈夫かな」という思いは、杞憂だったようだ。

「1階の道沿いに大きな看板スペースがあって、そこをフルに使わせてもらっています。それを見てきてくれる方が多いのですが、『入るのに勇気がいった』と言われたこともあります。ここは荻窪の『Title』とほぼ同じ坪数なのですが、あちらは6000冊の在庫があるそうなので、もっと増やしていきたいと思っています」(小林さん)

 ふと松尾さんがお客さんに「いらっしゃいませ」ではなく、「こんにちは」と声をかけていることに気がついた。そして店にあるベンチは、背が低い人でも座りやすい仕様になっていた。腰をかけて棚を眺めると、立っている時とは違う本が目に入る。別のベンチには年配の女性が座って、本をチェックしていた。街の本屋なのだから、街に住む人にやさしく。そんな思いがなんとなく、伝わってくるような気がした。

 人文賞大賞ともうひとつ、マルジナリア書店には名物がある。それはドーナツ。聖蹟桜ヶ丘にある、古民家を改装したドーナツショップの、ハグジードーナツから選りすぐった7種類を、毎週火曜と土曜に販売しているのだ。

 「なんだ、ドーナツを置いてるだけか」と思うなかれ。うちひとつの『純粋理性批判』は、イマヌエル・カントの本をモチーフに作られた、非常に格調高いドーナツなのだ。

ドーナツは200円から。右端が『純粋理性批判』。

 その『純粋理性批判』を特別にいただいてみると、ふんわりした口当たりとあっさりめの甘さが、なんとも絶妙なバランスを醸し出していた。「ひとが学びうるのは、ただ哲学することのみである」(『純粋理性批判』熊野純彦訳/作品社より)とカントは言うけれど、哲学することを学ぶ間もなく、あっという間に完食してしまった……。

 コーヒーとドーナツで哲学するもよし、外を眺めながら頭の中に余白を作るもよし、その余白に何かを書き込むべく、本を探すもよし。「10年ちょっとぶりにできた街の本屋さん」は、色々な時間を訪れる人にもたらしてくれるようだ。せっかく群馬から来たのに、今を生きていないから立ち寄れない新田義貞が、ちょっと気の毒に感じられてしまった。

松尾さんがセレクトした4冊

●『コンヴァージェンス・カルチャー:ファンとメディアがつくる参加型文化』ヘンリー・ジェンキンズ(晶文社)
アイドルに限らず、アニメや漫画のキャラクター、作品や物に関しても、「推し」という言葉が日常的に飛び交うようになった。ファン同士の連帯が何を生み出すのか、推す側ファンとしての自分が立っている場所の確認、その立場に自覚的になれる1冊。

●『引き裂かれた世界の文学案内—境界から響く声たち』都甲幸治(大修館書店)
フィリップ・ロス、サリンジャーやミシェル・ウエルベック…世界文学のガイドブックでもありながら、文学を通して、人種、宗教、性などに関する20世紀から今日まで引きずってきた問題たちを見つめ、身の回りにもあるかもしれない、その小さな声を聴くために。

●『10代から知っておきたい あなたを閉じこめる「ずるい言葉」』森山至貴(WAVE出版)
「あなたのためを思って」「言い方がよくない」…どこかモヤモヤする言葉、でも、そうかもしれないと頷いてしまう。言いたいこと言わなきゃいけないことを心の奥底深くにしまいそうになる瞬間、それが「ずるい言葉」だと知っていると、その言葉を持ち続ける勇気をくれる。そして、たくさんの言葉と出会った大人だからこそ、使ってしまいかねない「ずるい言葉」たちと、丁寧に向き合う1冊。

●『マルジナリアでつかまえて 書かずば読めぬの巻』山本貴光(本の雑誌社)
「マルジナリア書店」の店名のインスピレーション元の1冊。「マルジナリア」とは、本の余白への書き込みのこと。読書は形が残らない。しかしマルジナリアがあることで、その本を読んだ痕跡が残る。マルジナリアを追っていった先で、私たちはいったい何がつかまえられるのか。

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