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尾崎世界観さんが読んできた本たち 小説を書くことは難しくて、大事なもの(後編)

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図書館と古書

――バンドのメンバーはずっと一緒だったのですか。

 メンバーはすごく変わりました。10人以上変わっていて、ずっとそれが悩みでした。メンバーが替わるから成功しないんだという言い訳にもしていました。今のメンバーになってからは11年くらいですね。

 時々、メンバーがみんな辞めて、自分1人になる瞬間があったんです。そういう時期に読書をしていました。バンドがうまくいっていないと読む本の量が増えていく。でもなかなか定価で本が買えないので、図書館で借りるか中古本を買うかしていて。21歳から28歳くらいまで西東京の国立に住んでいたんですけど、家の近所の図書館によく通っていました。自転車のカゴがぐらぐらになるくらい借りた本を詰め込んでいましたね。

――どのように本を選んでいたのですか。

 「あ」から「わ」までずっと見ていって、気になったタイトルを借りていました。その時に花村萬月さんの小説を読みました。『吉祥寺幸荘物語』(文庫化の際に『幸荘物語』に改題)は暴力とエロもあるけれど青春小説だし、『ブルース』のような音楽を題材にした作品もあるし。『風転』も面白かったし、『ぢん・ぢん・ぢん』は空き缶で顎を殴って顎の肉がベーコンみたいにたれさがる描写がすごかった。ためらいなく、立ち上がりはやく残酷なんですよね。自分が触れてドキドキする表現ってそうなんです。残酷なことを書こうと準備してやっているなと感じると冷めてしまうけれど、花村さんはいきなり痛々しい描写がくるから「えっ」と驚くと同時に「ああ、痛いな」と実感する。

 伊藤たかみさんの『ドライブイン蒲生』も憶えていますね。すごく好きだったのは宮沢章夫さんの『サーチエンジン・システムクラッシュ』。ああいうふうに主人公がどんどんおかしくなってへんな世界に入っていく話がよかったんです。今の自分の現実を紛らわしてくれるような話を求めていました。柳美里さんの『ゴールドラッシュ』も、ものすごくよかった。家族の話だけどすごく暴力的な作品なんです。重松清さんの『疾走』を読んだのもその時期で、すごく好きでした。

――2012年にメジャーデビューが決まった時はどんな気持ちでしたか。

 実際には、その2年くらい前からお客さんが増えてきて、バンドでやっていけるんじゃないかという感触がありました。デビューが決まった時は「これからだ」という思いもあったけれど、とにかく嬉しかったですね。絶対に無理だと思っていたし、かなり厳しい状態が続いていたから。自分のやっているバンドだけまわりに馴染めず、ライブハウスの人も「どこと一緒にやらせたらいいか分からない」と言っていたんです。そういう状態から世に出られたことがすごく嬉しかった。でも今もそうですけど、つねに上を見てしまう癖があるんです。「これだけやれてよかったね」と言われても、もっとすごい人たちがいるんだから、という悔しさがある。だからデビューしても、満足はしていなかったです。

メジャーデビュー後の読書

――忙しくなるなかで、読書生活は変化がありましたか。

 本は引き続きよく読んでいました。ツアーの移動中に読んだりすることもあって。デビューした後に読んだ本では、吉田修一さんの『横道世之介』が印象に残っていますね。自分が10代後半の頃に読んでいた作家さんが、また違った作品を書くようになって、自分も作家の方も変わったんだなと時間の流れを実感できて感慨深かったです。

――読む小説のジャンルは意識していましたか。

 意識せずに自然と選んでいるんですけど、昔から自分と向き合うような作品が好きです。自分が悩みにぶちあたっていて、それに対する読書だったからでしょうね。謎や問題があって、それを解決してすっきりする話が読みたいわけじゃなかった。逆にすっきりしたくなかったんです。それよりも、悩みを悩みとして認めてくれる作品が読みたかった。そうなると、どうしても純文学といわれるものが多くなっていきました。

――そういう時の読書って、自分の悩みに対する具体的な解決法を求めているわけじゃないんですよね。

 そうですね。「これを読めばもう悩まない!」「解決!」という本もたくさん出ているけれど、そういうことじゃないんですよね。悩みはずっと持っていて、それにつぶされてしまったら元も子もないから、うまく飼いならす為の力をくれるような作品が読みたかった。だから自分も、そういう作品が書きたいですね。

――その後、印象に残っている本といいますと。

 村上龍さんもよく読みました。『限りなく透明に近いブルー』、『コインロッカー・ベイビーズ』、『五分後の世界』。中でも『海の向こうで戦争が始まる』は衝撃的でした。それと、『ライン』という、短い話がどんどん繋がっていく作品が好きでした。最初の話の主人公が誰かと関わって、次の話はその関わった人が主人公で誰かと関わってという話が続いていく。50人以上出てくるんですけど、全員おかしいんですよ(笑)。すごく好きです。

 綿矢りささんもずっと読んでいますね。『インストール』『蹴りたい背中』といった最初の作品から、『憤死』とか、映画化された『勝手にふるえてろ』とか『私をくいとめて』も。

――読んだ本の記録ってつけていますか。

 今、それを見ながら話しています。デビューした後くらいから、お薦めの本を聞かれる機会が増えたので、2014年から読んだ本のタイトルを書き留めておくようにしているんです。見ていると、2014年に1度、値段も気にせずまとめて本を買った記録があって。これは嬉しかった記憶がありますね。それまでは定価で好きなだけ本を買うなんてできなかったので。

 前に「本の雑誌」の3万円分の図書カードで好きなだけ本を買う連載企画に出していただいたんですけど(図書カード三万円使い放題企画)、それが大変だったんです。ずっと本を買いたいだけ買えるなんてことがなかったから、一気に3万円なんて使えない(笑)。それくらい、自分にとっては、本を定価で買うという事は大きなことです。

――2015年に自分のお金で好きなだけ買った時は、どんな本を選んだのですか。

 窪美澄さんの『晴天の迷いクジラ』や、後に文庫解説を書かせていただいた『よるのふくらみ』を買っていますね。吉田修一さんの『平成猿蟹合戦図』とか、中島らもさんの『ロカ』とか。B.I.G.JOE『監獄ラッパー』もありますね。ヘロイン密輸で捕まったオーストラリアの刑務所から日本に電話をして、留守番電話にラップを吹き込んだラッパーの手記です。

――人からお薦め本を聞かれることが増えたというのは、何かきっかけがあったのでしょうか。

 書いている歌詞から、本が好きだと思われたのかもしれません。でも、お薦め本を訊かれても、本当はこれが好きなんだけど、今このタイミングでは言いたくない本ってありませんか(笑)。読んでいるっていうのが悔しくて言いたくない作品とか、偵察するように読んだから素直に面白いかどうか分からない本もあって。

――ああ、プロデビューすると、同時代の作家の本を読んで面白いと「なぜ自分はこういうものが書けないんだ」と思って落ち込むので素直に楽しめなくなったという方もいますね。尾崎さんはどうですか。

 逆に、小説を書き始めてから勉強しようと思ってもっと読むようになりました。文芸誌に載っている作品を片っ端から読んだりして。でも、今回芥川賞候補にしていただいてからちょっと気持ちが変わったというか。同じところに並べてもらったからこそ自分の足りなさが浮き彫りになって、今おっしゃったような壁に当たっています。その前は、関係なかったんです。小説家はすごい人たちで、自分ははるか離れたところにいるから、もっと勉強しようという気持ちでした。

執筆について、好きな作家について

――そもそも小説を書くきっかけは何だったのですか。

 2014年くらいから、思うように声が出ないことが続いて、どんどんひどくなっていったんです。ライブは休まずにやっていたんですけど、うまく歌えず、これはもうバンドを辞めるしかないなと思うようになっていました。その時にたまたま編集の方に「書きませんか」と声をかけていただいて、それで書き始めました。逃げ道だったんです。自分が作った歌だから自分が一番上手く歌えるはずなのに、頭では分かっているのに身体が動かなくて、上手く歌えなくなって。それでも、歌うよりも小説を書くほうが難しかった。そこに救われたんです。こんなにできないことがあるんだ、だったらまだやれるなと思えた。いまだに小説は難しいし、だからこそ本当に大事なものです。

――最初、すぐにすらすら書けましたか。

 15枚くらいはなんとなく書けるんです。歌詞を書いてきた手癖で書ける。でも、そこからまったく進まない。言葉を遠くに投げようとしてもすぐ手前で落ちてしまう。言葉に対する自分の肩が弱くて、すごく苦労しましたね。自分は歌詞を書いて言葉を扱ってきた気でいたけれど、歌詞は文章ではないんだなと思いました。それまで曲はメロディと歌詞が5:5だと思っていたけれど、7:3くらいだなと感じたんです。歌詞というのは、そこまで強くないのかもしれない。だからこそ一生懸命作るんですけど。

――第一作目の『祐介』を書き上げた時の達成感は。

 書けた時は嬉しかったんですけど、やっぱり悔しさもあって。音楽活動をやっていく上で何かを変えたくて書き始めたけれど、書店でタレント本コーナーに置かれているのを見て現実を突きつけられました。その時、いつか文芸誌に載るような小説を書きたいと思いました。それで、どういう人が載っているんだろうと気になって、文芸誌を読むようになったんです。

――『文學界』とか『群像』とか『すばる』とか『新潮』とか『文藝』とか......。

 『文學界』や『新潮』『すばる』はよく読んでいましたね。『小説トリッパー』も対談の連載をさせていただいていたのでよく読んでいました。中でも好きだったのは『文藝』で、当時はリニューアル前でしたがすごく読んでいて、文藝賞出身の町屋良平さんとも仲良くなって。町屋さんに小説のことを聞きながら勉強していきました。

――町屋さんと仲良くなったというのは。

 『祐介』を出した時に雑誌で特集をしてもらったんです。何か企画をやろうとなって、自分の本が本当にタレント本コーナーにしかないのか検証したいと言って、都内の書店をまわったら、本当にタレント本コーナーにしかなくて落ち込みました(笑)。その時にカメラマンの方が「ちょっと小説買ってきていいですか」と言って買っていたのが町屋さんの文藝賞受賞作『青が破れる』だったんです。タイトルと装幀がよかったから気になって、後日買って読んだらすごく面白くて。その後、小説のことでインタビューしてくれたライターさんに「最近面白かった本は」と訊かれて町屋さんの本をあげたら、「友達なんです」と言うから「紹介してください」って言って。それで会わせてもらいました。

――町屋さんにどんなことを聞くんですか。

 小説の読み方ですね。「あの作品ってどうなんですか?」と訊くと「これはこうだと思う」って、すごく根気づよく親切に丁寧に答えてくれるので、いまだにいろいろ訊いてしまいますね。自分は感覚でしか言えないから、自分と感性が違う人の感想を聞くと嬉しくなります。

――以前、彩瀬まるさんの短篇「けだものたち」を読んで(『くちなし』収録)、そのイメージで「けだものだもの」という曲の歌詞を書かれていましたよね。そいうことって他にもあるんですか。

 あれはすごく好きな話で、あんな風に小説から歌詞を書いたのはそれだけですね。「けだものたち」は「別冊文藝春秋」に掲載されているものを読んで、こんなにすごい作家さんがいるのかと思って、そこから彩瀬さんの小説をすごく読みました。

――「けだものたち」は女の人たちが獣になるという、現実社会のありようを幻想にトレースして描いた作品でしたよね。自分も幻想的なものを書いてみたいと思いますか、それともやっぱり現実世界を舞台に書きたいですか。

 現状は、現実をしっかり掘り下げていきたいと思っています。

 そういった作家さんだと金原ひとみさんも好きですね。小説も好きですが、エッセイ集の『パリの砂漠、東京の蜃気楼』なんて、あそこまで自分のことをさらけ出しながら、それを文章として芸術にまとめあげていて。最近の金原さんはずっとコロナのことを題材にしているじゃないですか。起きた出来事をすぐ小説にする行動力がありますよね。『文藝』春季号に載っていた「腹を空かせた勇者ども」は、今コロナに対して思っていることを物語のなかで書き切ったんだろうなと思わせる。時代の流れとともに作品を仕上げていく過程が見える気がして、作家ってすごいなと思いました。

――ところで、以前、群像劇のような、いろんな人が出てくる話が好きだとおっしゃっていましたよね。

 あれからしばらくたって、そういう形式の作品が多いなと気づいたんです。同じ出来事や人間関係を違う視点で書いて、この時この人にこう思われていたあの人は、実はこんなことを思っていた、と分かるような連作短篇集が。読者として、都合よく簡単に視点を替えられるのは、なんだか楽をしちゃう気がするんです。もっと想像する余地があっていいし、そんな簡単に両方の胸の内を知れてしまうのは横着な感じもする。

――ちゃんと意図があって成立している連作短編集もありますが、確かに一時期、安易なものも増えました。

 多様性がいわれるなかで、ちゃんといろんな人の意見を拾うスタイルになってきているのかもしれないけれど、もうちょっとワガママな一人の視点を感じていたいなと思うようにもなりました。でも、こないだ『文藝』春季号に書いた「ただしみ」は、いろんな土地のライブカメラで起きていることを見ている群像劇のような内容です。ただそれは、すごく冷めた感じで、皮肉っぽく書いています。

 自分はまだ一人称でしか書けないんですよ。一回三人称で書いてみようとしたら、難しくて挫折しました。逆に、三人称は得意だけど一人称は無理、という人はいるんでしょうか。

――うーんどうでしょう。一人称に近い三人称を書く方も多いですよね。

 そうですよね。読んでいてたまに「これどっちだろう」って分からなくなることがある。とにかく、もっと勉強したいですね。人に言われたことを素直に聞こうと思えるのは小説だけです。

書くことと歌うこと

――書く題材はどのように考えていますか。『祐介』は主人公が音楽をやっている青年だし帯に「半自伝的小説」とありましたけれど、私はそういうことを意識せずにこれは小説だと思って読みましたが。

 最初がそういう、自分に近い人間を書いた作品だったので、その次は自分から遠いものを書こうと思いました。又吉直樹さんの作品が好きなんですけど、又吉さんの作品で今出ているものは、自分に近い人の話じゃないですか。好きだからこそ、同じことをやっても駄目だなと思って、離れたものを意識しました。

――『祐介』の文庫版に収録されている「字慰」や、芥川賞候補になった『母影』は、子供の視点ですね。

 『母影』は母親と子供の話を書こうというのが先にあって、その後で子供だと年齢も離れているからいいなと気づきました。

 いまだに身体が思うように動かないので、よく整体や鍼に行くんですけど、昔通っていたところで、隣で女の子が宿題をやっているのが見えたことがあったんです。その時なんとなく、もしここが、いかがわしいところだったらどうだろうと思ったんですよね。「リンネル」という雑誌の企画でチョコレートを題材にした短篇を書いた時に、隣でお母さんを待っていて指についたチョコレートのざらつきがとれなくて、という子供の話を書いたんです。今回はそれを膨らませました。

――子供の一人称って難しくないですか。

 それを、後で知ったんです。当時は何も気にせずに書いていたんですけど、今年になっていろんな人から「難しい」という意見を聞いて、もっとはやく言ってほしかったって(笑)。でも、あれじゃないと書けなかったんです。ただでさえ難しい小説に対して、あれぐらい難しいテーマじゃなかったらエンジンがかからなかった。難しいということは、それだけ可能性があるということだから。

 小説って本当に難しい。1作書くと「また次書きたい」というより、「次書けるだろうか」という気持ちが強いんです。音楽だったら、1曲作ったらまた次も作れると分かっている。でも、小説は次の保証がないんですよね。まず書き上げるということが一番の目標です。

――以前、「怒り」の感情から作品にすることが多いとおっしゃっていましたよね。

 『祐介』は怒りだけで書き上げたところがあります。音楽も、ただ怒っているだけで成立してしまう事がある。でも、小説は怒っているだけじゃ作品にならないと感じるようになり、もう一個何かないといけないなと考えて、次に思ったのは「諦め」です。もうどうしようもなく怒るんだけど、そこには諦めもある。たとえば誰かが死んでしまった時に、「なんでいなくなったんだ」という怒りが湧いたとしても、死んだという事実はあって、もうどうしようもない。怒りの感情にプラスして、そんな絶対的なものの前にいる時の諦めを書いたのが『母影』でした。

――諦めというのは、現実を受け入れるということですか。

 受け入れるというのとは違って、「それでも生きるよな」という情けなさのようなものです。自分自身、歌が上手く歌えないもどかしさがあるけれど、それでもやっている。満足に歌えなくなったから全部がマイマスかというとそうではなくて、その分身体のことを気にするようになったし、執着が生まれたし、だからこそ続けていられる実感もある。『母影』でいうと、人によってはつらい話だというけれど、自分はそういう暮らしがあることをたんたんと描きたかったんです。それでも生活をしていく、ということを子供の視点を通して書きたかった。でも、読んで「可哀そうだし嫌な気持ちになった」という人もいっぱいいます。そういう人は自分をこの物語に投影しないし、「自分はそっちには行かないよ」という意志がある。でも、「自分も子供の頃に抱いたあの感情を今味わえてよかった」と言う人もいる。はっきり違いが出るから、なんだかリトマス試験紙のような物語だなと思っています(笑)。

――執筆はパソコンを使っていますか。

 なにか思いついたらまずiPhoneにメモしておきます。結局それはほとんど使わないんですけど、なんとなく書いた時の感覚が溜まっていくので、そうしたら書き始めます。原稿用紙20枚分くらいまでたまったらそれをポメラに縦書きで清書して、またiPhoneで書き溜めてと、効率が悪いけれどそれが今のところ自分には合っています。

――1日の中で、執筆時間は決まっていますか。それと、普段の読書スタイルは。

 小説を書くのは夜が多いですね。『母影』を書いている時は緊急事態宣言でずっと家にいたので夕方に書いたりもしていましたけど、書くのはやっぱり夜が一番いいです。

 本は家で読みます。カフェで本を読むといったことができないんです。人の話を聞いちゃうから(笑)。いつも家で寝っ転がって読んでいます。

――今後、どのような小説を書きたいですか。

 音楽ってちゃんと嫌なところもあるのに、小説の中だとロマンチックに書かれることが多い気がしていて。トリプルファイヤーというバンドの吉田靖直さんのエッセイ『持ってこなかった男』は音楽の嫌な部分がちゃんと書かれていて、自分もいつかそんな小説を書きたいと思いました。

 次は、自分自身を書くわけではなくても、自分の経験を通した、自分だからこそ書けるようなものが書きたいですね。表に出て仕事をする人間の視点で、自分だから知っている感覚を書きたい。他にもいろいろ書くものがあるので、それが終わってからですけど。年内には絶対に書きたいなと思っています。

 今、小説も共感できるかどうかで判断されがちだけど、それにちょっと違和感があるんです。多くの人の前に立って表現する人間が、簡単に共感されてしまっていいのかと思う。共感というより、新しい感覚を提示したい。それと、10代の頃「こんなこと考えている自分はヤバいんじゃないか」という状態を本に救ってもらったからこそ、自分もそんな人を救いたいですね。

――最後に、やはりお身体のことが気になるのですが。

 ずっと闘いながらやっていますね。相変わらず、ライブが怖いと感じる事もあります。

 でも今、バンド専門の鍼の先生に見てもらっていて、結構奥まで刺すからすごく痛いんですけど、かなり良くなってきています。

 芥川賞の候補になれたことで、自分の中で決着がついたところがあります。小説もしっかりやっていけるという自信がついたし、歌えない自分にも向き合う覚悟ができました。だから今わりとこうして、いろんなところでこのことを話せています。「情熱大陸」の取材でも歌えないことは話したし、鍼を受けているところも撮影してもらいました。

 これからは、そういうことも伝えていきたいですね。他のミュージシャンでも似た症状で悩んでいる人や辞めていく人が多いし、実際そういう症状を抱えている友達も増えました。だから、悪いことばっかりではないです。

 本当に小説に救われていますね。身体のことがなかったら小説を書いていなかったし、小説を書いていなかったら音楽を辞めていたと思う。小説のことでいろんなことを言われてつらい思いもしますけど、でも、思うように歌えないことに比べたらなんでもない。だから、またこれからも書きたいです。

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