東日本大震災から10年。体験の風化が危ぶまれる今、地震や津波と原発事故が襲ったあの災害以降、今日までの経過全体を捉え返す時に来ている。節目の報道だけでなく、歴史として何を刻むべきか。この半年の出版物に絞ってひもといてみたい。
政府の復興構想会議の中心メンバーらによる『総合検証 東日本大震災からの復興』(五百旗頭真ほか監修、岩波書店・4400円)は、多くの関連事業が完了するのを前に、自治体のこれまでの施策を網羅的に点検し、政策提言にまとめている。政府による総括がない現段階では、最も包括的といえる。ただし、生業や地域社会の再生については、被災地の厳しい現状の分析が目立つ。その最たるものが、原発事故の爪痕だ。自然災害と全く異なる被害の全貌(ぜんぼう)把握と克服の難しさが、ますます明らかになっている。
この10年は、事故の実態究明に費やされた日々でもあった。『福島第一原発事故の「真実」』は、専門家との実証実験を重ねたNHKスペシャルの集大成。最悪の場合、東日本一帯が放射能汚染で壊滅しただろう。免れたのは複数の偶然、それも原発の欠陥や注水の失敗が幸いしたからだという。いかに脆(もろ)い前提で「安全」が語られてきたか、読み進めるほどに震撼(しんかん)する。
原点から読む力
だが社会の大勢は、復興五輪のかけ声に沸いた。かき消されがちな声を、『原発避難者「心の軌跡」』が10回にわたる調査で追跡している。その間、家族内の反目、賠償打ち切りの不安など、多くの苦境が心身を痛めつけた。原状回復を求める願いとは裏腹に、「創造的復興」は故郷の風景を一変させ、孤立感は一層深まる。この原発避難者に特有な「感情被害」が、地道な取材で浮き彫りとなる。他方、成果を急いで新住民の流入を促す県や国の政策を、本書は鋭く批判する。自主避難者からは、周囲の目を気にして、顔を出した取材をいまだに断られる現実も、書きとめている。
福島県の浜通りには、復興など許されず、地図上の空白となった帰還困難区域が広がる。『白い土地』(三浦英之著、集英社・1980円)は、その傍らで生きる人々を追ったルポ。なかでも、事故後に「闘う町長」と慕われた浪江町長の死の直前の無念さが目に焼きつく。以前は「原発記者」を自認していた著者も、安全神話に浸(つ)かり、事故を全く想定できなかった。その「後ろめたさ」が、率直な取材へ突き動かす。
自問自答の10年を生きた人々の姿は、私たちの震災への向きあい方を問いただす。震災後に頻繁に使われた「寄り添う」は、「被災地では拒否感を抱かれるほど軽い言葉となった」。『被災地のジャーナリズム』(寺島英弥著、明石書店・2750円)は、東北の地方紙の記者として各地を歩いた経験から、当事者に「寄り添う」には、変化を追うだけでなく、「その意味するものを原点から読み解ける力」が必要と説く。その批判は、読者にも向けられている。
ツケは誰が払う
日本社会は、事故の教訓を活(い)かして変われただろうか。東京電力の経営体質、官邸の統括能力から復興政策まで、幅広く検討した『福島原発事故10年検証委員会 民間事故調最終報告書』の結論は、懐疑的だ。コロナ禍への対応を見ても、危機に対する「備え」や「想像力」の欠如は変わっていないからだ。
政府は、増え続ける汚染処理水の海洋放出を正式決定した。感染拡大のさなかにも、聖火リレーは黙々と続いている。原発もウイルスも、「アンダーコントロール」どころではない。このツケは誰が払うのか。責任の曖昧(あいまい)さと、当事者性の自覚のなさもまた、大きな課題のままで10年を越してしまった。=朝日新聞2021年4月17日掲載