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野原広子「消えたママ友」「妻が口をきいてくれません」 明るい画風で、心の闇をより深く

 今年も手塚治虫文化賞が決まりました。マンガ大賞は山下和美の『ランド』、新生賞は山田鐘人(かねひと)作・アベツカサ画の『葬送のフリーレン』、短編賞は野原広子の『消えたママ友』と『妻が口をきいてくれません』、特別賞は吾峠呼世晴(ごとうげこよはる)の『鬼滅の刃』です。いずれも現代日本マンガの水準の高さを証明する秀作揃(ぞろ)いですが、今回は、とくに驚いた野原広子作品について触れたいと思います(『ランド』についてはすでに昨年10月の本時評で取りあげました)。

 野原広子のマンガは、基本的に、1ページに4コマを2列並べ、数ページで1回のエピソードになる構造をとっています。絵柄は、いかにも4コママンガにふさわしい単純化された描線で、つねに登場人物をユーモラスに相対化するまなざしがあります。その意味で、日本の4コママンガの伝統的方法をしっかりと受け継いだ作品なのですが、全体を通して読んだときに浮かびあがってくるのは、月並みないい方ですが、人間の心の闇の深さなのです。

 雑誌やネットで評判を呼んだ『妻が口をきいてくれません』がまさにそのことを表しています。主人公は、妻と2人の子供がいるサラリーマンの誠で、あるときから妻の美咲がまったく口をきいてくれなくなってしまいます。

 このマンガの凄(すご)いところは、妻が口をきいてくれないという出発点のシチュエーションが与えられるだけで、なんとそれが5年間も持続して、短編の積み重ねから、無理なく、みごとに首尾一貫した長編マンガが紡ぎだされていることです。夫の視点と妻の視点を並行させることで、けっして交わりえない夫婦の内心が徐々に明らかにされます。なぜ妻は夫と口をきかなくなったのか? その謎が、なまじの推理小説より面白く、説得的に解き明かされるのです。絵柄はユーモラスですし、ラストはポジティブに終息しますが、人間心理の深淵(しんえん)を見せてくれます。

 『消えたママ友』になると、夫婦2人の関係から、ママ友4人とその夫や子供たちや姑(しゅうとめ)までも含めた複雑きわまる関係に発展し、ここでも、幸せを絵に描いたような有紀というママ友がなぜ失踪したのか、という謎が提起され、その謎に確かな解答があたえられます。

 しかし、そこで終わりではありません。その謎解きが示す有紀の心の屈折は特殊なケースではなく、ここに登場するすべてのママ友にも思い当たるものであることが示唆されるからです。野原広子の一点のくもりもない明るい画風が、この心の闇をいっそう深く、味わい深いものにしています。=朝日新聞2021年5月19日掲載

>「消えたママ友」作者・野原広子さんインタビューはこちら