「週刊朝日」「サンデー毎日」が創刊されて来年で満100年になる。一世紀の歴史を持つ我が国の週刊誌、画期は1956年の「週刊新潮」創刊だろう。新聞社発ではなく、出版社に週刊誌など作れるはずがない、と言われていた。それが独自の編集で成功すると、3年後に創刊の「週刊文春」「週刊現代」はじめ数多くの後続の出版社系週刊誌を産んだ。近年、週刊誌をめぐる意欲的なノンフィクションの出版が相次いでいる。
「女、カネ、権力」
森功『鬼才 伝説の編集人 齋藤十一』は「週刊新潮」を創った特異な編集者の評伝だ。昭和10年に入社以来、60年余り、絶大な影響力を行使して“新潮社の天皇”と呼ばれた。戦後は文芸誌「新潮」編集長として太宰治『斜陽』、坂口安吾『堕落論』を世に送る。他方、「貴作拝見、没」と並み居る作家を切り捨てた。「週刊新潮」に移ると一転、自分は俗物、「女、カネ、権力」が興味とうそぶき、あの独特な見出し群を御前会議で下げ渡して、編集長以下、部員らが手足となって働く。81年に「フォーカス」を創刊、一大ブームに。なぜ写真週刊誌を? 「人殺しの顔を見たいだろ」と答えたとの伝説も。齋藤は「週刊誌で文学をやりたかった」という。一方で文芸書、他方でスキャンダル週刊誌を出す我が国の出版社の有り様は、圧倒的な教養を持ち、かつ偉大なる俗物、齋藤十一の分裂した精神の投影かもしれない。こんな面白い人物がいたのか! と感嘆した。
柳澤健『2016年の週刊文春』。表題の年の流行語大賞に〈文春砲〉がノミネートされた。大賞は「神ってる」だが、まさにこの年の「週刊文春」は「神って」た。年頭からベッキー、甘利大臣の醜聞スクープ、イケメン議員のゲス不倫、清原和博、元少年Aを直撃と文春砲のつるべ撃ち。前年秋、編集長の新谷学が上層部から休職を宣告されるところから本書は始まる。この新谷とかつてのスター編集長・花田紀凱を二つの軸として歴史を綴(つづ)る。「週刊新潮」の齋藤十一独裁と対照的に「週刊文春」はチームプレーの雑誌だ。作家たちが寄り集い立ち上げた文芸春秋の社風でもある。「毎週、文化祭をやってるような雰囲気」で記者たちが走り廻(まわ)る。わくわくするエピソードのてんこ盛り。ことに新谷の泥酔した上での狼藉(ろうぜき)、大ケガ、溺死(できし)寸前の御乱行の数々には驚愕(きょうがく)した。文春砲の砲手は傷だらけなのだ。
ちなみに柳澤と先の森とは我が同世代(昭和35、36年生)で両誌の記者出身だ。先頃、2人が対談して、文春は明るいが新潮は暗い(社屋も)と意見が一致していておかしかった。新潮社の社屋内で携帯電話の電波が通じにくいのは、齋藤十一の霊がバリアーを張っているからだ、なんて都市伝説もあったっけ。
ライバルと呑む
元木昌彦『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』。元木は戦後(昭和20年11月)生まれ第一世代、講談社に入社して「フライデー」「週刊現代」の編集長を歴任した。“ヘアヌード”という言葉を産み、マドンナのヌード写真の掲載権を1000万円で買った。経費も呑(の)み代も使い放題、野蛮で豪放な時代の「日本で一番危険な編集者」(©田原総一朗)の回顧録はめっぽう面白い。ライバル誌「週刊ポスト」編集長と(さらに関口宏と)月に何度も呑んでいた等の秘話も満載。えっ、こんなことまで書いていいの? と、どこか新宿ゴールデン街の呑み屋で酔っ払いの無頼派オヤジのホラ話を聞くような趣もあるが、ああ、この人は丸ごと全身「週刊誌的人間」なのだな、と感服もした。『野垂れ死に』という書名に込めた、これはかつてあった人間臭い“週刊誌の時代”への挽歌(ばんか)のようである。=朝日新聞2021年5月22日掲載