- ブックキーパー 脳男
- 麻倉玲一は信頼できない語り手
- 幻視者の曇り空――cloudy days of Mr.Visionary
正当防衛などのやむを得ぬ事情がない限り、殺人者は「悪」ということになるだろうが、フィクションの世界においては、殺人者がある種の人格的魅力や高い知性を具(そな)えていたり、正義と邪悪の境界線上の行動をとるなど、単なる「悪」にとどまらないダークヒーローとして描かれることがある。特にミステリーの世界では、そのようなキャラクターが謎解きを複雑化させたり、読者の倫理観を攪乱(かくらん)するなど、さまざまな役割を担っている。
首藤瓜於(しゅどううりお)『ブックキーパー 脳男』は、感情を持たない代わりに並外れた記憶力と身体能力を持つ殺人者・鈴木一郎が数々の事件の裏に出没する「脳男」シリーズの久々の第三作。拷問を受けた三人の男女の死体が日本各地で発見され、シリーズの舞台である愛宕(おたぎ)市でも同様の手口の殺人事件が起きる。二年前に医療センターから脱走して指名手配中の鈴木一郎が関わっているのか? 彼と因縁を持つ県警の茶屋警部らに加え、新たなキャラクターとして警察庁から来た破天荒な警視・鵜飼縣(うかいあがた)が登場。悪徳警察官の吹き溜(だ)まりのような警察署、代々フィクサー的な役割を務めてきた旧家などをめぐる謎が入り乱れ、物語は善悪が絡み合うトルネードのように暴走してゆく。
太田忠司『麻倉玲一は信頼できない語り手』は、日本で死刑制度が廃止された近未来が舞台だ。フリーライターの熊沢克也は、離島の特別拘置所に収監されている最後の死刑囚・麻倉玲一の告白本を執筆することになったが、その拘置所は異様なまでの秘密主義で貫かれていた。厳重に監視された状態にありながら人の心を操る麻倉は、トマス・ハリスの『羊たちの沈黙』に登場するハンニバル・レクター博士を彷彿(ほうふつ)させるが、もちろんただの二番煎じではなく、このような人物を登場させた背景には著者が仕組んだ大トリックが潜んでいる。読者はこの大胆な仕掛けを見抜けるだろうか。
織守(おりがみ)きょうや『幻視者の曇り空――cloudy days of Mr.Visionary』の主人公・久守一(くもりはじめ)は、人に触れるとその相手の秘密が見えてしまう特殊能力の持ち主だ。久守はある日、美大生の佐伯優に触れて、彼が連続殺人者であることを知ってしまう。人に関わらないように生きてきた久守だが、なんとかして佐伯の次の犯罪を防ごうと彼に接近する……。本作の興味深さは、佐伯が極めて魅力的な人物であり、偽りの友情で近づいた筈(はず)の久守が、いつしか彼に本当の友情を覚えてしまう点にある。物語の結末も、善悪で割り切れない人間心理の複雑なかたちを見事に描き出しており、読者の感情をざわつかせるだろう。＝朝日新聞2021年5月26日掲載
