四半世紀ほど前。雑誌編集者だった私の憧れのヒーローは星野道夫だった。消費をあおる雑誌づくりに疲れていたせいもある。極北の大自然と人々の輝きを描く星野のエッセーや写真にどっぷりつかって息苦しさをまぎらわせていた。
やがて『旅をする木』や『森と氷河と鯨』などに登場するアラスカやカナダの北西沿岸部にも出かけるようになった。カヤックという小舟を漕(こ)ぎ、「氷河のきしむ太古の音」に耳をすませてキャンプをしたり、「苔(こけ)むし、植物さえ生えるトーテムポール」に会うために「孤島」に渡ったりもした。「流木はゆっくりと腐敗しながらまわりの土壌に栄養を与え、いつの日かそこに花を咲かせる」と彼が描く、生命の分解と循環、そして循環をめぐる時間の豊かさと静けさに夢中になった。会社を休職し、米国の大学院でジャーナリズムを学んでいたときは原油のパイプライン建設に反対するグッチン族の活動を追いかけた。この本にも出てくるカリブーの狩猟で生活する人々だ。こうして振り返ると気恥ずかしい。経験のなさを星野をなぞって埋めようとしていた青臭い自分がいる。でも、「ブレーキのないまま」人間の歴史が欲望と自由にまかせて走り続けることの危うさを彼から学んだのは確かだ。
20年後、自然界・人間界の循環と資本主義をリンクさせて論じる、斎藤幸平という青年が目の前に現れた。この人は時代を変える本をつくるという直感が働いた。『人新世の「資本論」』が花開いたのは、星野の美しい遺産のおかげでもある。=朝日新聞2021年8月11日掲載
◇はっとり・ゆか 集英社新書編集部編集長を経て学芸・学術書編集部編集長。