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「日本移民日記」MOMENT JOONさんインタビュー 「移民」として生きる、そして引退宣言

MOMENT JOONさん=家老芳美撮影

「キャラクター」を当てはめられる違和感

――あえて「移民」という言葉を使うのはなぜでしょう?

 外国人や外人ではなく、「移民」という言葉を使ったほうが、自分が置かれている状況を正しく伝えられると思っています。外国人という呼び方は、日本にいても外国にいても、「こことは縁のない」というニュアンスがあります。一方、移民は「移ってきてここに住んでいる」という意味がある。移民という言葉を使うことで、日本社会とうまくコミュニケーションができるんじゃないかと思いました。

 日本、移民、日記。この3つの単語が並べられることはないですよね。日本で「移民」といったら、政策の話や社会学の話になると思います。でも、もっと個人的なことを書くという意味で、日記にしました。この3つの言葉を並べた時に、おもしろいものが出てくるんじゃないかなと思いました。

――日本社会は「外国人」や「韓国人」といった「キャラクター」ばかりで理解してしまい、一人ひとりの「人間」の個性を見ない傾向があると指摘していました。

 もちろん日本だけでなく、世界のどんな国に行ってもそうだと思うんですよ。日常生活では、全員に深い理解ができるわけではありません。すぐに何か判断ができないと、社会は動かないですから。

 でも日本では「外国人だからこうだ」というキャラクターで理解して、その先の一人ひとりの違いを深く知ろうとしないことが多いように感じます。そういうキャラクターを当てはめられる側から書いたもの、作ったものが少ない気がするんです。そういう意味では、この本は自分が足りないと思っていたものを書けたと思います。

――どういう時に感じるでしょうか?

 「日本語上手ですね」という言葉があります。どれくらい住んでいるかを聞いたあとにそう言うんですね。でも何年も住んだ後に日本語が上手なのは、そんなに珍しいことじゃないんです。日本で生まれなくても、日本人の血が流れていなくても、日本語母語話者みたいに話せる人はいます。

――そのレベルになると「日本語がうますぎて」起こる現象があるそうですね。

 日本人の前提条件とされるようなものを持っていない人が、母語話者みたいに話すと、パニックになるんですよね。そこで自分の頭で理解できないギャップを埋めるために「日本人の心を持っている」と言う。「日本語能力」と「日本人らしさ」を同じように考えてしまう。でも、言葉はツールでしかなくて、考え方がまったく違っても、日本語を話すことはできるんですよ。

――本書はいろいろな人の声や意見がサンプリングされたように入っているように感じました。

 それは本当にそうですね。特に付き合っている女性の声がいっぱい入っています。日常生活で教えてもらった視点がたくさんあります。僕の鏡のような人なんです。彼女がいなければ移民という視点も見えてこなかった。ロシア人で白人なので、見た目でジャッジされるタイミングが、僕のような韓国人とは違うんです。

 僕はコンビニの簡単なコミュニケーションでは「外国人」だと見られない。でも彼女は最初からそう見られます。「ロシア人なら寒さに強いでしょう」などと言われるのは、「韓国人だから辛いものが好きでしょう」と言われるのと同様かもしれませんが、最初から見た目で判断されてしまう人が経験する世界は、自分には絶対わからないんですね。

――「私にとっての日本は、日の丸でも政府でも、富士山でも天皇制でもなく、あなたです」と書いていましたが、MOMENTさんは日本に対してどういう思いがありますか?

 日本という言葉に特別な思いはないですが、それこそ本当にここで出会った人なんだと思います。自分の音楽や文章を受けとってくれる人々、彼女や周りの人々との出会いがあった。それが自分にとっての日本だったとしたら、今の時点では日本はホームですね。これからどういう人に出会うかで変わっていくと思います。

詩人・金時鐘さんとの出会い

――7章「僕が在日になる日」では、在日コリアンの人々に対する思いを書いています。

 日本に来る前から、映画や文学で存在は知っていました。日本に来てからも、在日文化に対する愛情を感じていました。逆に自分とは一緒ではないという気持ちもありました。でもここまで考えはじめたのは、つい最近のことです。特に移民という言葉を使いはじめてから、これは真正面から向き合わないといけないと思いました。

――詩人の金時鐘さんを訪問したり、楽曲「TENO HIRA」で金さんの朗読をサンプリングしたりしています。お会いしてどうでしたか?

 僕がお会いして感じたのは、在日文学において大きな存在の方なんですけど、直接渡ってきた世代であるからこそ、僕と似ているなと思ったんです。朗読をお願いしたのは、1950年に書いた「夢みたいなこと」という作品でした。金さんは「昔の作品だから恥ずかしい」とおっしゃっていました。でも、日本に渡って1年後に書かれた作品だったからこそ、僕は惹かれたんだと思うんですよ。70年の時間を経て、変わらないことと、変わったことの両方があります。

――金さんはこの70年間「結局何も変わってないですよ」と何度もおっしゃったと。

 金さんから見ると、そう見えるんだと思います。僕も日本に来てからの10年、あまり変わっていないと思うので。でも「いや変わったよ」と言ってくれる若い人が出てきたらいいと思います。僕が金さんのお話を聞いて「変わったと思いますけどね」と言いたくなったみたいに。直接は言えなかったんですけど。

――「TENO HIRA」はそうした希望を込めた曲でした。

 そうなんですけど、作品は発表してからは、自分のものじゃないんですよ。特に今は絶望モードですね。だいぶしんどいですけど、その絶望のなかのユーモアや皮肉を表現できたら、リスナーにとっても価値があると思うんですよね。

 「俺は悲しくて落ち込んでる」と言うだけだと、単なる叫びになってしまう。そこで芸術としていいものを作らないといけません。表現できるツールは持っていると思っているので。次のアルバムは完全にそういう内容になると思います。

自分の最高傑作を出して引退したい

――絶望しているのはなぜですか?

 2つあると思います。1つは気候変動問題です。最近は世の中の終わり、アポカリプスのイメージがあります。30歳だからかもしれないですけど、自分の未来を考えた時に、子どもが欲しいと思うことが多くなりました。でも気候変動が進んだ世界を考えると、子どもを産めないなと思っていて。

 今、大阪の夏は猛暑で生活するのも大変です。お金がある人は夏だけでも、涼しい地域で生活できるかもしれませんけど。気候変動の話をしても「環境主義者ですごいですね」と変人扱いをされてしまう。あまり希望を感じられないです。

 もう1つは自分の器です。これまでは辛くても目指しているものがあったから、我慢して頑張ってきました。でも最近、そこまでして追いかけたい夢がそろそろなくなっているということ。その自分の器の小ささを認められるようになりました。次のステップに行きたいなと思っています。

――12月8日に行った東京でのワンマンライブで引退宣言をしました。今、どのような思いなのでしょうか?

 MOMENT JOONとしての活動は、次のアルバムで終わりにしようと思っています。自分のファンとの関係、チームとの関係、自分自身との関係、音楽との関係において、いろんな矛盾が多すぎるんです。でもそういう矛盾を全部乗り越えて、みんなに求められるものを見せるのがプロだと思うんですよね。でもそれはできないと最近、気がつきました。

 自分のなかでも混沌としています。みんなから期待されて求められるものから自由になれない。自分の音楽で妥協していると感じることが本当に多く出てきたんですよね。やりたくてやってるのか、やりたくないのにやってるのか。もう何日考えても、よくわからない状態まで来ました。だからいったん区切りをつけたいんです。

――その後はどのような活動をするのでしょうか? 名義を変えて音楽活動をすることもありますか?

 名前を変えて活動するのか。音楽はやらずに他の芸術活動をするか。英語教師になるか。音楽をするならば、僕だとわからないかたちでやりたいと思っています。今はとりあえず、矛盾を抱えるなかでいいものを作りたいという欲望があります。次回作でそれを解決して、引退したいと思っています。

――次回作は「日本のヒップホップ最高傑作になる」と宣言しました。

 世の中にそう宣言することで、自分を追い込むための言葉でもあったんです。最高傑作といっても、みんな基準は違いますよね。少なくとも自分にとっては、ちゃんと胸を張って「これが完全に僕のベストの作品です」と言えるものを出したいと思っています。