これまで何度か「本屋がある思い出の街」について書いてきたけれど、思い出というものは決して良いばかりではない。トラウマとセットになっている街も、当然ある。私にとってそれは、赤坂だった。
ドキュメンタリー番組が作りたい一心で試験をかいくぐり、意気揚々と入社した会社の分室があった。しかしいざ入ってみると仕事は多忙を極め、先輩は皆怖くて、私は仕事が全くできずどうしていいのかわからないまま、1年でリタイアした。
そんな痛いばかりの赤坂を、以来私はなるべく避けていた。だから双子のライオン堂に行くのも、若干の勇気がいった。
久々に赤坂駅から乃木坂方向に歩く。しばらくぶりに来たから、先輩に深夜無理やり連れていかれた中華料理屋が今も存在していたのには、ちょっと笑ってしまった。
その店の角を氷川神社方向に曲がると、かつての職場がある。スルーしてさらに進んでいくと、「本」と書かれた看板と、ブルーの四角い大きな、本のようなものが目に入る。「本の扉を開いて中に入る!!」と書いてあるので、これが扉なのだな。
開いてみるとすぐに木箱に高く積まれた書棚と、靴を脱ぐスペースがあった。でも中は見渡せないので、どこに誰がいるのかが入口からではわからない。「こんにちは」と声をかけると、店主の竹田信弥さんと女性が迎えてくれた。竹田さんの母親だという。
店名の由来は夫婦の星座
竹田さんは現在35歳で、少しだけ江東区にいたことはあるものの、目黒生まれで基本目黒育ちの、バリバリの東京っ子だ。子どもの頃の遊び場は駒沢公園で、友人と秘密基地を作ったり野球やサッカーにいそしんでいた。だから中学3年生頃まで、本はほとんど読んでいなかったそうだ。
でも受験勉強の逃避として、友人に勧められたライトノベルを機に読書を始めた。すると両親から「勉強しなさい」と言われることがなくなった。とある大学付属の高校に進学したものの、同級生とそりが合わず不登校になってしまったという。辞めようと思ったりしなかったのだろうか? それこそ、かつての私のように。
「ギリギリまで悩んだけれど、皆が悪いわけではなかったし、家族や友人からのサポートがありました。本を読んだり色々な人と会ったりする中で、『学校だけじゃない世界がある』と思えるようになったんです。それにせっかく入学したのだから、とりあえず卒業だけはしようかと」
2年生に進級するとクラスの雰囲気も変わり、穏やかな日々をようやく過ごせるようになった。そんな折、学年主任の先生から、大学の授業に出てみないかと声をかけられた。竹田さんの高校では、毎年夏に付属大学の授業に参加できるイベントが開催されていたのだ。
参加にあたっては課題の提出がある。竹田さんは小説を書いて選考にパスし、国語部門の授業に加わった。そこで辻原登さんや山城むつみさんなどの「プロの書き手」に出会い、「いつか自分も何かを書いてみたい」と大いに薫陶を受けたという。
さらにこの頃、のちに結婚相手となるクラスメイトと出会った。漠然とネット古書店をやってみたいと考えていたが、彼女が背中を押してくれたことで「よし、やろう」と決意できたという。「古本屋」を名乗るには古物商の免許が必要で、18歳以上の未成年は保護者の承諾も求められる。3年生になり、18歳の誕生日が来た瞬間にサクッと古物商免許を取得し、オンライン古本屋としての「双子のライオン堂」がスタートした。
しかしなんで、双子のライオン堂という名前なのだろう?
「最初は中二病的な名前を考えていたんですけど、1人でやっているのではない感じのものにしたくて。僕が双子座で、彼女がしし座だったからその2つにちなんでつけました(笑)」
「古本屋やってます」が自分の支えに
オンライン古本屋を続けながら大学に進学し、内定切りに遭ったりしながらも卒業後は会社に就職した。そこを2年で退職して違う会社に移ったものの、半年経たずに辞めて元の会社に戻るなど、自分のポジションが分からない日々を送っていた。そんな時は、古本屋をしていることが生きる力になったという。
「自分が何者かという、アイデンティティの不安がずっとありました。でも『古本屋をやっているんです』と名乗るものができたことが、自分の支えになっていると気付いたんです」
この頃から「双子のライオン堂」をメインに生活しようと思うようになり、竹田さんは本屋の開業セミナーに通うようになった。正社員を続けるのではなく、アルバイトを掛け持ちして生活費を稼ぎ、店を大きくしていこう。そう思っていた矢先に文京区白山にある、父親の友人の事務所を間借りできることになった。それが2013年4月にオープンした、リアル店舗の第一歩となった。
「リアルの店では、古本と新刊の両方を置こうと考えました。新刊本を仕入れようと大手取次に電話したのですが、取引を断られてしまって。困ったなと思っていたら『本を仕入れられない』と書いてあるブログを見つけ、そこに『神田村(神保町にある、小規模取引が可能な取次会社群)はどう?』というコメントがついていて。それを見て電話をしたら、弘正堂図書販売という取次の細野寛行社長が、仲間を何軒か紹介してくれたんです。そこから仕入れられるようになりました」
選書者による品揃えと、自分の置きたい本
新刊は辻原登さんや文芸評論家の山城むつみさんら恩師をはじめ、「この人が選んだ本を知りたい」と思った人の選書を置くことに決めていた。それぞれ「100年後にも残したい紙の本」を、最低10冊以上選んでもらう。恩師以外の選書者は年に数人ずつ増えていて、現在は東浩紀さんや文筆家の吉川浩満さんが選んだ本などが並んでいる。もちろん、竹田さんの選書も置かれている。
「本は基本的に2冊ずつ仕入れているのですが、3冊とか5冊ぐらいある時は、こっそり自分の趣味で置いているものもありますね(笑)」
リアル店舗で何をするか。本の話ができる空間にすることと「100年続く本と本屋」を考えることをしようと決めた。そこで始めたのが、読書会だった。
「お客さんの勧めで、集客のために始めたのですが、最初は本屋が1冊を取り上げて語らうのはどうかな、知らない人と本の話ができるかなと不安でした。でもたくさんの人が来てくれたし、やってみたら大学のゼミのような、熱い雰囲気を共有できたんです」
そこから2年半経った2015年10月に現在の赤坂に移転し、今に至る。たまたま赤坂の物件を紹介されて見に行くと、喧騒から離れた住宅街の一角にあって、近くには公園もある。良さそうな場所だと思ったのと、白山の常連さんが「移転しても行く」と言ってくれたことで、引っ越しを決めたそうだ。
さらに2017年からは竹田さんが発行人兼編集長をつとめる文芸誌の『しししし』も定期的に発行するようになった。と、割とあっさりいきさつを紹介したが、このあたりのことや竹田さんの生い立ちについては、『めんどくさい本屋』(本の種出版)に詳しく書かれているので、ぜひ読んで欲しい。
「白山の店は書棚とイベントスペースが同じ場所だったので、それを分けたいなと思ったんです。ここは元々漢方薬局だったので、窓にヘビ酒が並んだりしていたと聞きました」
本屋というものが100年続くために
いざ赤坂に移ってみると、本屋巡りが好きな人や、新しい本屋に興味がある人たちがわざわざ足を運んでくれた。しかしコロナ禍以降は、地元の人の割合が増えたという。時には近隣のサラリーマンが、サボりがてら寄るようになったそうだ。確かに赤坂駅から少し離れているけれど、店の前で観察していると実に多くの人が通る。
「リアル店舗は昨年12月頃から売り上げが戻ってきたけど、先が見えない状況で非常に厳しい日もあります。でもネット通販と出版でカバーしています。今の店舗では奥のスペースでイベントをしていましたが、これも今はライブ配信するスタジオに切り替えました」
竹田さんはこうも続けた。
「100年続くと言いましたが、この店が、というよりも本屋自体が続くといいと思っていて。自分以外の若い誰かが始めてくれればいいし、今のような売り方でなくなっても、たとえば展示場のように見本が1冊あって注文すると配送される仕組みを作るとか。そんなことをいろいろ考えているんですよね」
過去ばかりだと思っていた赤坂の一角に、100年先を見つめる本屋があったなんて。それはどんな未来なのだろう。私も見てみたいな。
また赤坂に来てみたい。そう思った瞬間、痛い記憶が好奇心で上書きされて解けていくのを、ひしひしと感じた。
(文・写真:朴順梨)
竹田さんオススメ
●『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』若林正恭(文藝春秋)
オードリーの若林さんが単身キューバへ行った時の紀行文。見たもの感じたものを、飾らない素直な文章で書き綴っているのが魅力です。コロナ禍ちょっと立ち止まって自分の足元を点検したい人におすすめです。すでに売れている本ですが、ファン以外の人にも手にとって欲しくて紹介しました。
●『あるノルウェーの大工の日記』オーレ・トシュテンセン 牧尾晴喜訳(エクスナレッジ)
タイトルの通り、ノルウェーで大工をしている人の日記です。書き手の仕事と向き合う姿を読んでいると、自然と背筋が伸びます。また、業界の問題、効率化の弊害など、分野や国は違っても同じような問題があり、共感するとともに本当にこのまま便利・簡単・安い方向へ行って良いのかという問いも浮かんできました。
●『なぜこの店で買ってしまうのか ショッピングの科学』パコ・アンダーヒル 鈴木主税、福井昌子訳(早川書房)
お客さんについて徹底的に調査分析した本。読んだあと、お客さんを見る目が変わるはずです。店内で、どう動き、何を見て、何を触り、購入を決めるのか。何気ない行動に理由があり、仕組み理解してちょっと工夫するだけで、売り場に変化が起こるのが楽しいです。