言語の使われ方を研究する言語学と、ものごとの「善悪」を論じる哲学。その両分野をまたぐ言語哲学が専門だ。「メインストリーム哲学に比べて特に地味」と卑下するが、本書を読めば、言語的なふるまいの「善しあし」を考察できるこの哲学の一分野が、ヘイトスピーチやデマなど現代的課題に対抗する知見に満ちていることがよくわかる。
様々な「悪い」言葉の使い方が検討される。「女/男は○○だ」と主語の大きすぎる「総称文」や、「あるべきでない序列関係を作り出したり、維持しようとしたりする」罵倒やヘイトスピーチ。トランプ前米大統領の発言など時事も絡めつつ、「悪さ」のメカニズムを解明していく。「毎日使っているから自分は言葉のことをよく分かっている、と思わないほうがいいんです」
後半は、「悪い」表現の法的・自主的な規制の可能性についても論じる。こうした議論に必ずでてくる反論が「言葉狩り」というものだが、「そもそも言葉を“狩る”ってなんだろうと」。言葉はナイフのように個人が所有できるものではなく、むしろ蒸気船やタンカーのような公共物とみなせば見方は変わってくるのではないかと促す。
博士課程を学んだ米国では、哲学者が象牙の塔から飛び出して一般読者向けに本を出すのがさかん。その傾向はトランプ政権によるモラル・パニックでさらに強まっている。ジェイソン・スタンリーのプロパガンダ研究やケイト・マンのミソジニー(女性嫌悪)研究に「哲学でこんなこともできるんだ」と感化され、日本語の読者向けに「社会還元」を実践したのが本書ともいえる。「社会還元というと大げさですが、僕らが使っている言語はメカニズムが研究されている最中で、その探究の面白さをまずは体感してもらえたら」(文・板垣麻衣子 写真は本人提供)=朝日新聞2022年3月5日掲載