1. HOME
  2. インタビュー
  3. 著者に会いたい
  4. 永田和宏さん「あの胸が岬のように遠かった 河野裕子との青春」「歌集 置行堀」インタビュー 若き日々たどり心に変化

永田和宏さん「あの胸が岬のように遠かった 河野裕子との青春」「歌集 置行堀」インタビュー 若き日々たどり心に変化

永田和宏さん

 妻で歌人の河野裕子(かわのゆうこ)さんが2010年に亡くなってから、まだ一度も遺影に手を合わせられないでいる。納骨もしていない。「彼女の死を認めたくないというあがきですね」

 大学時代に歌会で出会い、40年余をともに過ごした。遺品を整理して見つけた結婚前の日記をためらいつつ開いたのは、「俺は河野にふさわしかったのか」という思いが募ったからだ。日記に別の男性も登場することは分かっていた。出会いから半年後、「先に愛した男性がいて忘れられない」と揺れる気持ちを告げられていた。代表歌の一つ〈たとへば君 ガサッと落葉すくふやうにわたしを攫(さら)つて行つては呉(く)れぬか〉は、その日に詠まれたと日記で知った。

 「僕だけでなく、彼にも強い思いを抱き続けていたことに逆に感激した。若い時に読んだらこんちくしょうと思ったかもしれないけれど」。河野さんの一途に人を想(おも)う気持ちを残したい、と十数冊の日記帳と二人で交わした300通超の手紙、互いの短歌をもとに、青春の彷徨(ほうこう)記をつづった。「書くことで、これでよかったんだね、と少しずつ自分を納得させていった」と振り返る。

 京都大や京都産業大で細胞生物学を教え、20年春からJT生命誌研究館館長に。宮中歌会始や朝日歌壇の選者も務め、妻の闘病中も科学と短歌の両立で忙しかった。置いてけぼりにしたと悔いたが、やがて置いてかれたのだと気づく。〈本所には置行堀(おいてけぼり)のあるといふ置いてけとなぜ叫ばなかった〉と第15歌集で詠んだ。

 青春の日々を改めてたどり、心境に変化が訪れた。今夏の十三回忌を前に、デートコースだった京都・法然院に墓と歌碑を建てる準備を進めている。息子の淳さん、娘の紅(こう)さんも歌人で、5人の孫がいるが「墓に入るのは二人だけ」とほほ笑んだ。(文・佐々波幸子 写真・大野洋介)=朝日新聞2022年4月16日掲載