沖縄の日本復帰から50年。この「世替わり」を描いた、NHKの朝の連続テレビ小説も始まった。20年前の沖縄ブームと同様、家族・文化を前面に出し、明るい沖縄像を提示する。
一方、沖縄でも復帰への関心は高いが、祝賀ムードはなく、その歴史的な意味を批判的に問うものが多いように思う。近年、軍事要塞(ようさい)化が進行し、ウクライナでの戦争も続くなか、「基地なき平和な島」をめざした「未完」の復帰が問われている。1972年は歴史の「歩み」のなかで捉える必要がある。
別の戦後日本
国場(こくば)幸太郎の『沖縄の歩み』は、復帰翌年に児童書として刊行されたが、平易な文体のなかに歴史的な苦難と抑圧への抵抗経験を、沖縄住民の「歩み」として描き出す。先史時代を含む「通史」を叙述しながら、その視線は、自身が生きた米軍統治下の沖縄社会と復帰に向けられていた。50年代半ばの土地闘争で農地を奪われた伊佐浜(現・宜野湾市)住民の苦悩と抗議の声、自身の受けたCIC(米陸軍対敵諜報〈ちょうほう〉部隊)による拉致と拷問の理不尽さ。これらの経験を、運動の組織者にして透徹した理論家として綴(つづ)った。
さらに視線は、世界史に広がり、復帰への動きとベトナム戦争を関連づけ、「予想される困難な前途と希望」へいたる。国場は、復帰後も変わらぬ軍事基地を前に困難を語る一方で、「植民地支配のもとで苦しんできたアジアの人民と腕をくんで進む道を求める人びと」の出現に希望を見出(みいだ)した。復帰とは、まさにこの「歩み」のなかにあった。
しかし、同じ沖縄住民でありながらも、「歩み」を共に進められぬ者たちもいた。
土井智義は、『米国の沖縄統治と「外国人」管理』において、米軍が伊佐浜で強制接収したのと同じ時、沖縄島から日本本土へ強制送還された住民がいた事実から、戦後史を再考する。
送還を可能としたのは、本書の研究対象たる「非琉球人管理制度」だ。その制度下で「琉球住民」は、米軍の抑圧を受けながらも住民として扱われ、恩給等も支給された。一方、「非琉球人」は、返還後の奄美出身者を含め他の都道府県に本籍がある者と旧植民地出身者らで、管理と排除の対象とされた。土井は、これを〈別の戦後日本〉と呼ぶ。
復帰は〈別の戦後日本〉の終焉(しゅうえん)を意味しない。本土の外国人管理制度に統合されながらも、「内地人(ナイチャー)/沖縄人(ウチナーンチュ)」という分断線は自明視されている。また、本書は、管理や排除を正当化してきた沖縄社会へも鋭い批判を向ける。歴史へのこだわりであり、社会を分断へと駆り立てた統治権力への視線である。
暮らしが浮上
復帰という転換点は、「豊かさ」をめぐっても、共に「歩み」を進めることの困難を生み出した。豊かさをめざす開発の嵐は、沖縄住民のつながりや心性、そして地表にある風景をも根こそぎつくりかえようとした。だが、そのなかで、再度浮上するのが暮らしであり、沖縄戦体験であった。
嶋津与志(つよし)の短編小説「骨」(73年)は、那覇のホテル建設現場から沖縄戦で亡くなった多くの遺骨が出てくるという話だ。その土地を経済的な事情から手放した「カメ婆(ばあ)さん」は、「ジャパニー」(日本人)の骨かと問う作業員に、「あんた、戦さで死んだ者にジャパニーもアメリカーもあるね」と切り返す。分断線をずらす慧眼(けいがん)である。
復帰から50年の今も、辺野古新基地建設に遺骨の混じる土砂を使うことが問題となり、不発弾による通行止めも続く。分断や排除の根は深いが、歴史の「歩み」を、足下に未(いま)だある戦争を見つめ、そこで共に暮らすことから再構築できないか。日本、世界にも共通する課題だろう。=朝日新聞2022年5月14日掲載