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新栄堂書店 新宿パークタワー店(東京) 本と向き合い、客を思い棚を作る

 電車が混んでいる。

 完全にコロナが収束したわけではないが、2020年3月以前と同じか、それ以上の賑わいが戻ってきているような気がする。そしてこの連載はコロナ禍と同じタイミングでスタートしているので、これまでは個人書店や街の本屋さんなどにお邪魔することが多かった。でもすっかり人も戻ってきているようだし、ビルに入っている本屋さんは今、どんな感じだろうか。ふとそんなことを思い、東京・西新宿の新宿パークタワーに店を構える新栄堂書店を訪ねた。

新宿パークタワーの地下1階、レストランやショップが並ぶ一角にある。

ビルの昼間人口はコロナ前の約半分に

 新栄堂書店は終戦直後の1946年、神田までリヤカーを引いて仕入れた本を池袋駅前で売ったのが発祥で、約75年もの歴史を持つ。グリーン大通りに面した本店は2006年に閉店したが、「西の芳林堂、東の新栄堂」 と言われるほど、池袋の顔的書店として親しまれてきた。池袋にはサンシャインシティの専門店街アルパにも店舗があったが、こちらは2017年5月にクローズ。現在は東池袋駅にほど近い場所に、11坪の路面店がある。一方のパークタワー店は2008年にオープンし、約70坪の広さで展開している。しかしこの新宿パークタワーには5つ星ホテルのパークハイアット東京もあるので、普段着じゃちょっと気おくれしちゃうなあ……なんてことを少しだけ考えながら向かうと、休憩から戻ったばかりの古川努店長が迎えてくれた。

店長の古川努さん。

 新宿パークタワーにはインテリアショールームやインテリアショップ、建設会社などが入居しているので、デザイン関係の本が豊富だという事前情報を仕入れていた。確かに建築やデザイン関連にしっかり棚を割いているが、旅や料理、社会学やフェミニズム関連の本もあり、ビルで働く人だけを見ているわけではないことがわかる。現在は古川さんを入れて4人のスタッフがいるが、コロナ前とは大きく変わったことがあるという。

「2020年初頭までは約1万2000人がビル内で働いていましたが、テレワークなどの影響もあり、現在は約半分の5700人になってしまっています。以前は平日は20時まで開けていましたが今は19時でクローズしています。日曜日はもっと早くて、17時にまでになりました」

 2020年の5月から6月にかけて休業していた際は、お客さんはいないけれど毎日新刊が届くので、誰もいない店内でひたすら品出しと返品に追われていたそうだ。街の賑わいと比較すると客足の戻りは鈍いけれど、「リオープンした時はまた店に立てると本当に嬉しかったし、今はあの時よりはマシ」だと語った。

オシャレインテリアショップの「ザ・コンランショップ」本店と同じ敷地内にあるだけに、テレンス・コンラン関連の本もバッチリ。

岡崎京子を知り、一気に世界が広がる

 そんな古川さんは、埼玉北部のとある街で生まれ育った。10代の頃は「週刊少年ジャンプ」の全盛期。だけどジャンプ作品ならではの「友情・努力・勝利」やラッキースケベ(狙ってないのに突然スカートがめくれたりブラが見えたりするアレ)に馴染めず、成田美奈子の『CIPHER(サイファ)』や川原泉の『笑う大天使(ミカエル)』など、多様性溢れる作品を愛読していた。

 高校卒業後、大学に通うために千葉に引っ越し、そこで岡崎京子の作品と出合い、強い衝撃を受けたという。

「だって埼玉にいた頃は岡崎京子のことを、誰も教えてくれなかったんですよ。地元スーパーの中の本屋には創元推理文庫もないから、ラヴクラフトを買うために神保町の三省堂まで行っていたぐらいですから」

 その北の街と川を挟んだ群馬で育った私だが、中学時代から岡崎京子や桜沢エリカ、内田春菊などを読み漁っていた。もっと田舎でも出会えたのに、なぜ古川さんは目にする機会がなかったのだろうか……? そういえば私は「Olive(オリーブ)」や「宝島」を熟読し、そこに描かれた文化を、ひたすら吸収していた。しかし「Olive」のボーイフレンド的存在だった「POPEYE(ポパイ)」はモテ追求雑誌だったし、ライバル誌の「Hot-Dog PRESS(ホットドッグプレス)」はもっと露骨で、バカ売れするのはセックス特集だった。ジャンプ同様、男性ファッション誌も男らしさに溢れていた時代だったから、古川さんの望む情報はそこにはなかったのだ。

 岡崎京子がきっかけで世界が広がった古川さんは、本屋でアルバイトをしようと思い立った。それまでも授業そっちのけで引っ越しや食品会社倉庫などでアルバイトに明け暮れていたが、小売店で働いたことがなかったのもきっかけになった。

「マンガや雑誌が好きだったので採用されたんですけど、2回目の2年生を迎えた時に「昼も入らないか」と言われて」

 大学生だから参考書に詳しいだろう、というかなりざっくりした理由で昼バイトにスカウトされた古川さんだったが、実際彼がセレクトした参考書はよく売れた。しかしその店の労働環境は決して良いものではなかったことから93年に大学を中退し、求人広告を見て応募した山下書店に移った。即戦力だったこともあり、入社後1年でラフォーレ原宿にあった店舗の店長を任された。

「ラフォーレは流行の発信地だったこともあり、現役のクリエイターのお客さんが多く、彼彼女らから色々学びました。90年代の原宿は文系文化で、文鳥堂とブックストア談と本屋が3軒もあったんですよ」

 最先端の地にある本屋の店長として、休みの日は青山や渋谷の書店巡りをし、情報収集につとめた。2年後に新宿マイシティ(現在のルミネエスト新宿)に入っていた本店の副店長からの店長となったが、99年に再びラフォーレ店の店長に。2000年の秋にまたもや本店の店長となり、2004年にマイシティから山下書店が撤退するのを見届けた。その後は渋谷や大塚、東銀座店などを経て、2015年に新栄堂に入社した。店長になったのは、1年後の2016年だ。

「店の広さや送られてきた在庫をただ並べるだけではない、現場に委ねている姿勢が山下書店と近いなと思ったんです。ラフォーレで働き始めた頃は「白洲正子って誰?」っていうレベルだったけれど、お客さんを通して学んできたことを糧にして、棚作りを続けています」

オールマイティな品揃えながらも、『戦争は女の顔をしていない』など、読むべき本はしっかりおさえている。

サブカルと哲学書が、隣り合わせにある理由

 新宿に位置しているが参宮橋や初台駅も徒歩圏内なので、地元に住んでいる人たちにも応えるべく、アートやビジネス書以外もしっかり置くようにしている。ただ、売れないのでほとんど棚を割かないジャンルもある。それは転職関係といやらしい本だと、古川さんは言う。

転職関連の本は、棚の半分にも満たない量しかない。

「いかがわしい本を読んでいるところを会社の人に見られたら気まずいし、転職本を手に取ってたら「あいつ会社辞めるのか」って言われるからでしょうね」

 「エロ」とタイトルに銘打ってる本もあることはあるが、その内容はサブカルであって決していやらしくはない。しかもそれらが陳列されている上の棚には、なぜかニーチェやヴィトゲンシュタイン、ハイデガーなどが並んでいる。

『エロ本水滸伝』のすぐ上には、エミール・デュルケムの『自殺論』が!

「西新宿にかつてブックスローランって本屋があったんですけど、平台はアダルト本がぎっしりだったのに、棚にはビジネス書が並んでいて。あれを見た時は衝撃を受けましたね~」

 今はなき店に敬意を表したわけではないと思うが、エロをヘーゲルやハイデガーで覆うとはなんというお客さん思い! そんな話をしながらも古川さんの目は常に棚を向き、手は書棚の整理にいとまがない。

「棚の乱れが気になってしまうんですよ。他の店に行ってもついやってしまいそうになって「あ、やばい! ここうちの店じゃない!」って思うことも多々ありますね」

 ちょっと恥ずかしそうに笑った古川さんは、休日になるとホームセンターや雑貨店巡りをしていると語った。それは買い物が目的なのではなく、何が必要とされているか、どんな陳列をしているかなど店作りのヒントがいっぱいあるから。全てが「本ありき」につながっているのだ。

 同じ時期に北関東で過ごし、同じように文化を渇望していた「当時は見知らぬ誰か」だった人が、今は本を介して文化を伝える橋渡しをしている。そんな古川さんがおススメする本を知りたくて、軽い口調で「毎回3冊ぐらいセレクトして頂いてるんですけど」と言うと、うーんと考え込み、空気が一気に重厚になった。

「どうしよう……、何を選んだらいいのか……。だってその本に対する責任があるじゃないですか。すぐには決められませんよ」

 そんなことを言った人は、今までで初めてだった。

 誰もが味わったことがないアフターコロナの局面は、以前と同じようにはいかないかもしれない。大変なことも、まだまだ続くかもしれない。でも本と向き合い続ける根っからの書店員がいれば、きっと大丈夫だろう。根拠はないけれど、そんな気持ちになった。口に出すと薄っぺらく過ぎ去っていきそうだったから、黙っていたけれど。

池袋店と共通の書皮は、北原白秋全集や萩原朔太郎の『月に吠える』などの装丁を手掛けた、恩地孝四郎によるもの。

古川さんが選ぶ、今を生きる上で読むべき3冊

●『ニ十歳の原点』高野悦子(新潮文庫)

学生運動に投じていた1969年1月、二十歳の誕生日から自ら命を絶つまでを綴った日記。
「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」
この言葉に惹かれ、二十歳の時に手にした1冊。
本書を購入した書店でバイトを始めた私の書店員としての原点でもある。

●『ブルースだってただの唄』藤本和子(ちくま文庫)

中央線文化に憧れ以前阿佐ヶ谷に住んでいた。その阿佐ヶ谷北口に「西瓜糖」というリチャード・ブローティガン「西瓜糖の日々」が店名の由来と思われる喫茶店があった。
そのブローティガン作品の多くを翻訳した氏が80年代アメリカで生活していた時期の黒人女性に対しての聞き書き。
しばらく手に入らない作品であったが’20年に文庫化。岩波文庫「塩を食う女たち」とあわせて読みたい。

●『グレイトフル デッドにマーケティングを学ぶ』ブライアン・ハリガン/デイヴィッド・ミーアマン・スコット(日経ビジネス人文庫)

「コミュニティ=場づくり」「シェアリング/フリーエコノミー」現代社会のキーワードを半世紀も前から既に行っていたロックバンド・グレイトフル・デッド。バンドのリーダー、故ジェリー・ガルシア「自分の生き方をさがしている人のために」やドラマーのミッキー・ハート「ドラム・マジック」の復刊を切に願う。

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