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【戦争と平和①】 未だ「醜い世界」を問うために 作家・中村文則

ウクライナから避難してきた人たち=3月23日、ポーランド東部メディカ

 本は私達(たち)に、様々な「気づき」を与えてくれる。
 『戦争プロパガンダ10の法則』(アンヌ・モレリ著)は有名な本だ。戦争プロパガンダのその「10の法則」が、そのまま各章のタイトルになっている。並べるだけでも興味深い。
 第1章「われわれは戦争をしたくはない」
 第2章「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
 第3章「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
 第4章「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」
 第5章「われわれも意図せざる犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
 第6章「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
 第7章「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
 第8章「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
 第9章「われわれの大義は神聖なものである」
 第10章「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」

 戦争がどう宣伝され、世を煽(あお)るのかがよくわかる。湾岸戦争時、ナイラと呼ばれた少女がイラク兵の蛮行を証言し、世界は怒り戦争に流れたが、後にPR会社作成の嘘(うそ)だったと判明し、大問題になったこともあった。
 ほぼ全ての戦争の背後に大国達の思惑と、資源や軍需産業の莫大(ばくだい)な利権があるのは言うまでもない。世界は未(いま)だに醜い。

熱狂・無残・虚無

 その戦争の無益さを見事に描いたのが『戦争と平和』(トルストイ著)だと思う。
 ロシア人のトルストイは自身も戦地に行った。戦争に向かう人々の熱狂と、無残な実際の戦闘と、和平の虚無が描かれる。戦争で得たものと、その戦争で死んだ人々の命は釣り合うのか、という痛烈な問いがある。人々の死と釣り合う和平条約など存在しない。だから戦争は、始まる前にやめなければならない。

 指導者も歯車の一つに過ぎず、事柄の発生は全ての人が原因とトルストイは書く。だが僕はそれには濃淡があり、指導者達の責任は重いと思う。ロシアとウクライナの戦争で言えば、ロシアの大統領とその周辺を僕は許せないし、例えば米大統領とその周辺も許せない(既に指摘されている通り、オバマ政権の副大統領時代も含め、彼のロシアとウクライナへの関わり方を辿〈たど〉れば、争いを煽ったとしか僕には思えない)。

 この戦争は避けられなかった、と本気で言う専門家はいないのではないか。ウクライナの人々が気の毒でならない。
 本は危険な現実を進む私達に、ブレーキを踏む感覚を促してくれる。トルストイは、出来事の発生過程を丹念に描く。前述の戦争で言えば、抑止のためNATO加盟を望み、逆に戦争に結びついてしまう悲劇もあった。日本も煽られ「抑止」を強化し過ぎれば、周辺国との緊張を生み、ウクライナと似たことが起こるだろう。

私は殺すのか?

 そしてそもそもの戦争の本質を描いたのが『俘虜記』(大岡昇平著)である。徴兵され、著者の大岡も戦地に行っている。
 部隊からはぐれた主人公は、密林で一人の若い米兵を発見する。相手は自分に気づいていない。今なら撃てる。今なら相手を殺せる。しかし――。
 私は殺すのか。
 私は殺さないのか。
 これは、人類の究極の問いになる。戦争犯罪は絶対に駄目だ。だがそもそも兵が兵を撃ち、弾丸が肉体をえぐりその命を奪うのはいいことなのか。戦争は長引く程人が死ぬ。今もである。=朝日新聞2022年7月30日掲載