ロシアのウクライナ侵略は、日本国内でも大きな注目を集め、議論を喚起した。自分自身の政治信条に根差した見解を主張する前に、まずは困難な境遇にあるウクライナの人々のことを理解したい。岡部芳彦『本当のウクライナ』は、研究者である著者と、様々なウクライナの人々との出会いが、具体的に描写されていて、ウクライナを疑似体験する思いにさせてくれる情熱的な書だ。
倉井高志『世界と日本を目覚めさせたウクライナの「覚悟」』(PHP研究所・1760円)は、政策論の観点から、今回の危機の意味や、ウクライナ政府の政策の性質を、体系的に教えてくれる良書だ。著者は、ウクライナ大使を務めあげた濃厚な経験もふまえ、ウクライナの人々が、なぜ、どのように、ロシアと戦い続けているのかを説明してくれる。
真野森作『ルポ プーチンの戦争』(筑摩選書・1980円)は、丹念な聞き取り取材を積み重ねた労作だ。2014年から始まったウクライナ東部地域の(ロシアの介入も含めた)「内戦」に焦点をあて、紛争社会に生きる人々の息遣いを伝える。同時に、背景にある歴史的・社会的問題を知ることができる。
民族自決と東欧
それにしても東欧地域の歴史は複雑だ。今日の国際社会の大原則「民族自決」が、第一次世界大戦後に米国大統領ウッドロー・ウィルソンによって導入された際、まず東欧地域に適用された。敗戦国となった諸帝国の崩壊後の政治的混乱を新しい方法で処理する必要性が、東欧で、特に高かったためでもある。だが現実の民族アイデンティティは複雑である。ウィルソンが、パリ講和会議に向かう船上で東欧の民族史を勉強して、「民族自決」原則の適用の困難を思い知ったという逸話もある。
さらにソ連という20世紀の「帝国」の崩壊後に再生したウクライナ国家のアイデンティティは、現代世界情勢を反映した新たな複雑さも持つ。このウクライナのアイデンティティを考えるには、中井和夫『ウクライナ・ナショナリズム』や、黒川祐次『物語 ウクライナの歴史』(中公新書・946円)が有益だ。島国で他国の支配で民族性を消された経験を持たない日本人には、なかなか実感がわかない。だが、ウクライナの人々にとって、ウクライナ人としてのアイデンティティが、あまりに繊細で可憐(かれん)なものであるがゆえに、戦ってでも守りたい価値を持っていることは、知っておきたい。
今日的な重要性
今回の戦争が、ヨーロッパ地域の安全保障制度のあり方の問題と深く関わっていることは言うまでもない。15年の拙著『国際紛争を読み解く五つの視座』(講談社選書メチエ・2035円)では、ヨーロッパ地域の紛争の構図は、地政学の理論でよりよく説明される、と指摘させていただいた。22年のロシアのウクライナ侵攻は、「大陸国家」のほとんど運命論的な拡張主義的政策と、それに対抗する措置をとらざるをえない「海洋国家」の不可避的な立場を、あらためて劇的に示した。地政学理論の視点の今日的な重要性が裏付けられたと言える。特に重要なのは「東欧を支配する者が、ハートランド(ロシアを指す)を制する」と洞察した20世紀初頭の「地政学者」ハルフォード・マッキンダーの議論であろう。『マッキンダーの地政学』は、ある種の教養書として、読んでおくべき書物である。
ただしイギリス人であったマッキンダーの地政学理論に対して、ナチス時代のドイツや、今日のロシアでは、異なる内容を持つ「大陸」地政学の理論が信奉されている。様々な地政学の視点をふまえた議論の整理には、北岡伸一、細谷雄一編『新しい地政学』(東洋経済新報社・2640円)を活用していただきたい。=朝日新聞2022年8月27日掲載