きゅうり・・・と思ったらバナナ!?
——「これは、きゅうり。/……じゃなくて、バナナ!」。リアルなきゅうりの絵画からページをめくると一転、実は……というだまし絵のような面白さ。2019年に出版された『じゃない!』(フレーベル館)は、人間の身体や物にリアルなペイントを施すアートで注目を浴びるアーティスト、チョーヒカルさんが初めて手がけた写真絵本だ。
フレーベル館の編集さんから、「絵本をつくってみませんか?」と声をかけられたときは、本当にびっくりしました。それまで、自分の作品が子ども向けの絵本にできるなんて、思ってもみなかったから。でも、編集さんから「チョーさんの作品は見るだけで不思議な体験ができる。子どもも大人も同じ感覚で楽しめて、絵本にぴったりです」と言っていただいて、初めての絵本に挑戦することになりました。
「食べ物のペイントを見せて、ページをめくると実は……と種明かし」というフォーマットが決まってからは、アイデア出しとラフに対する担当さんの“千本ノック”が始まりました(笑)。スーパーに行って野菜や果物を手に取りながら、「これとこれは形が似ているかも……」と、悩む日々でした。最終的に決まるまで、掲載している倍くらいはアイデアを出したと思います。
生ものの撮影は一発勝負
——ペイントが施されているのは、バナナやトマト、あさりなどの生もの。制作は素材となる食品が傷まないよう、時間との戦いであり、作品の撮影現場では「一発勝負」の緊張感が漂っていたそうだ。
撮影日が決まったら、2日前くらいにスーパーでペイントの土台となる野菜や果物、食品を吟味。買ったバナナに黒い斑点があるかどうかなどは、撮影当日に皮をむいてみないと分からない。目を皿のようにして、新鮮な素材を選びました。
だいたい1つの作品をペイントするのに、4時間から8時間かかるので撮影の前日は、ほぼ徹夜で作業します。あさりを使った制作では、いったん冷凍してから表面に絵を描きはじめたのですが、途中から解凍されたあさりが目覚めてしまい、「こんにちは?」と次々水管が出てきて(笑)。真夜中にそりゃもう慌てました。
撮影現場では失敗できない緊張感がありましたね。果物や野菜などを切って撮影するときは、きれいな切り口が見えるように、スパッと100点満点の切り方をしないといけない。卵を割ったときに黄身と白身が美しく流れるか……なども、失敗したときのプレッシャーが大きいから、カメラマンさん、編集さん、私で順番に回して責任を分散させました(笑)。
すべての作品に思い入れがありますが、新しいチャレンジができたのは「コーヒーカップだと思ったら実は……」という作品でしょうか。まっぷたつに切られたコーヒーカップの中身を見ていただいたら、まさに“脳がバグる”体験が味わえるんじゃないかと自負しています。ほかに気に入っているのは、最後のアイスクリームのページ。ペイントを見せて、種明かしのページが2回続くんですが、これは自分のなかでも納得のいくロジックで展開できました。感覚的だと思われることもありますが、実は「理詰め」が好きなんです。
想像力が世界を変える
——『じゃない!』というタイトルに、「世界を疑え!」という帯のコピー。「知らないもの、シンプルに見えるものを決めつけてしまうのは簡単です。けれど、世界は私たちの知っている何倍も広くて、何十億もの人が住んでいる。」——。あと書きにも、絵本を通じて読者に伝えていきたいチョーさんのメッセージが込められている。
今、目の前にあるきゅうりは、実はきゅうりじゃないかもしれない。この作品シリーズをつくったのも、外側だけで単純にジャッジしないで、自分の力で考えたり、想像したりすることが大切なんだよ、ということを表現したかったから。『じゃない!』というタイトルも、ちょっと挑戦的な帯のコピーも、そういう私の気持ちをくみ取って、担当さんがうまく言語化してくれました。
2019年に渡米し、ニューヨークの大学院でアートを改めて学び始めました。続編『やっぱり じゃない!』(フレーベル館)の制作を始めたのは、ちょうど新型コロナウイルスの脅威が、世界中に広がっていった時期。パンデミックのパニックのなか、偏見が助長されたり、人々の分断が痛ましい事件を引き起こしたりするのを目の当たりにしました。
『やっぱり じゃない!』の制作などのために、日本に一時帰国する機会があったんですが、私は生まれも育ちも日本なのに中国籍であるために入国がとても大変だったんですよ。コロナ禍での体験を経て、属性やレッテルで人や物事を判断するのはやめようよ、という気持ちがより一層強くなった。「じゃない!」ものを嫌悪したり、切り離したりするのではなく、共存して楽しんでいこう——続編の帯コピー「世界は、変えられる!」にも、こうしたポジティブなメッセージを込めています。1作目は「食べ物しばり」でしたが、続編では「電球に見えたものが実は……」とか「宝石に見えたものが実は……」など、さらに想像力の飛躍が感じられる仕上がりになっていると思います。
アナログだからこそ感じる驚き
——9月に発売した写真絵本『なにになれちゃう?』(白泉社)では、自身の代名詞ともいえるボディペイントを使った絵本づくりに挑戦。今後も「手で直接描く」という表現にこだわっていきたいと語る。
デジタルで描くことが簡単な時代に、アナログで描く意味って何だろうと考えていたときに出合ったのが、ボディペイントでした。『じゃない!』のシリーズだってCGを使えば合成できるんだけど、やっぱり初めて見たときの驚きや感動は、手描きだからこそだと思うんです。そして、アナログだから感じられる楽しさって、“絵本”という媒体にも共通するものじゃないかなと。紙の手触りやにおい、ページを自分の指でめくった瞬間の喜びは、タブレットでは味わえないものだから。
『じゃない!』シリーズの制作を通じて、自分のつくっているアートは、絵本というフォーマットでも伝えることができるんだなという新たな発見がありました。「読み聞かせをすると盛り上がります!」と子どもたちとの動画を送ってくれた保育園の先生や、「絵本を真似して、親子で卵にペイントしてみました」とSNSで報告してくれる読者もいて、すごくうれしかったですね。絵本が持っている可能性が体感できたので、これからも未来を担っていく子どもたちに向けて、絵を描くことや想像してみることの楽しさを届けられればと思っています。