1. HOME
  2. 書評
  3. 「偶然の散歩」書評 一瞬を永遠にそっと結び付ける

「偶然の散歩」書評 一瞬を永遠にそっと結び付ける

評者: 稲泉連 / 朝⽇新聞掲載:2022年11月19日
偶然の散歩 著者:森田 真生 出版社:ミシマ社 ジャンル:エッセイ

ISBN: 9784909394743
発売⽇: 2022/09/22
サイズ: 19cm/234p

「偶然の散歩」 [著]森田真生

 数学者である著者は、「一度きり」と永遠はなぜこれほどまでに似ているのだろう、と書く。
 著者には幼い子供たちがいて、「おとーさん、おさんぽいこう!」と彼らが駆け寄ってくる。
 〈歩く速度でしか見えないものがある〉
 〈ともに歩いてくれる人がいるからこそ、歩く速度を緩めることができる〉
 そこから始まる散歩は、我が子とのささやかな日常のときもあれば、ソクラテスやヴィトゲンシュタインといった哲学者・思想家と歩みをともにするときもある。そうして紡がれる一つひとつの言葉の味わい深さに、何とも言えず心惹(ひ)かれる魅力があった。
 一つひとつのエッセイに満ちているのは、「数学」と「言葉」に対する深い思索だ。著者は数字の起源について語り、数学の営みの美しさや深淵(しんえん)さを語る。そして、数という概念を覚え始めた我が子を観察し、大人にとっては当たり前に見える光景を、子供が溢(あふ)れんばかりの好奇心で吸収し、その度に生まれ変わっていく様子に心を震わす。
 歩く速度だからこそ目に映る光景――それを宇宙の広がりや永遠の時間へとそっと結び付ける筆致が胸に響いた。一瞬のかけがえのなさを描く言葉の連なりが、ときに詩のようにも感じられたからだ。
 「遅々として、遠くまで」と題された一編があった。
 その中で川に石を落とす音を「ぽたん」「ぴとん」と表現し、子供が拾った青い実で父親は「足し算」を教える。子供の成長を見つめる眼差(まなざ)しが、「一度きり」の時間への思いを深めていることが確かに伝わってくる。
 そうして自らもまた世界と出会い直しながら、〈進むだけでなく歩む喜び〉を感じていく著者は、三歩進んで四歩下がる、その七歩の歩みこそを書き残したいという。柔らかな描写に触れていると、世界に対して心を開くとはこのようなことなのか、と思った。
    ◇
もりた・まさお 1985年生まれ。独立研究者。著書に『数学する身体』『計算する生命』など。